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【わがまちの偉人】金沢市 消防車メーカー創業 長野三郎 1903〜62年 

創業者の教えを受け継ぎ、フルオーダーで製造した消防車を見上げる長野幸浩社長=金沢市浅野本町で

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命懸ける声に応える

 加賀鳶(かがとび)発祥の金沢の消防活動を、戦前から支え続ける会社がある。北陸唯一の消防車メーカー長野ポンプ(金沢市浅野本町)だ。地域の特性や要求に合わせて造るため、受注生産で、県内消防本部の消防車の約七割を製造している。フルオーダーにこだわる背景には、創業者長野三郎の思いがある。「消防士は命を懸けて火に立ち向かう。だからこそ彼らの要求に応えてあげなさい。『できない』と言ってはならない」(堀井聡子)

 一九三四年、同市彦三町で長野自動車ポンプ製作所として創業した。当時の日本の消防車は、米国車にポンプを載せた改造車。十代から消防車造りを学んだ三郎は、消防士のあらゆる要望に技術力で応えた。

 戦時中は市消防本部の依頼を受け、空襲時に急患を運び、消火もできるポンプ付き救急車を、日本で初めて開発した。戦後、市内に三階以上の建物が増え始めると、十メートルのはしごを載せたはしご車を造った。福井県小浜市の依頼でバキュームカーまで製造した。

 三郎の孫で三代目の幸浩社長(57)は「とにかくアイデアマン。しかも全て手作業で造っていた」と驚く。完成した消防車の前で、三郎が従業員や消防士と並ぶ写真が会社に多く残る。「納車すると皆で祝った」。三郎と消防士たちとの公私を超えた親交があったからこそアイデアも生まれた。

 仕事着は白衣。「おしゃれな人で角帯を締めて、毎日暗がり坂を下りて主計町の茶屋に通っていたと聞く」と幸浩社長。バイク好きで、革のヘルメットにゴーグル姿で遠乗りも楽しんだ。

 病で亡くなる五カ月前、東別院が焼失する大火事があった。一時退院して金沢市尾張町の自宅にいた三郎は「屋根に上がりたい」と無理を言って、屋根に載せたいすに座り火事を見つめていたという。現場の消防士を思っていたのか。今では知るよしもない。六二年十二月、三郎は五十九歳で永眠した。葬儀の際は、尾張町から武蔵が辻まで約五百メートルにわたって花輪が並んだ。

 同社は今年で創業八十五周年を迎えた。七年前には日本初のアルミ製消防車を開発。軽量でより多くの水が積め、全国に広まっている。幸浩社長は「『できないと言ってはいけない』という言葉には、常に新しいことに挑戦せよという意味が隠されている。私たちはものづくりに決して妥協しない」。 =敬称略

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 次回は、不妊治療に尽くした能美市出身の産婦人科医、加藤修(一九四六〜二〇一四年)を紹介します。

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 ながの・さぶろう 金沢市東長江村(現在の東長江町)に生まれる。尋常小学校卒業後、地元の消防ポンプ製造所で奉公し、現在の消防車製造大手モリタホールディングス(大阪)に入社。昭和恐慌をへて故郷の金沢に戻り、1934年に創業した。

 

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