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加賀国府解明 手掛かりに 石部神社 かわらけ大量出土

(上)大量のかわらけが出土した場所を見学する地域住民ら(下)境内から出土した土師器の破片=いずれも小松市古府町で

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 小松市国府地区の石部(いそべ)神社境内(古府町)で、十一〜十二世紀の土師器(はじき)の破片が出土した。地区には、かつて加賀国の国府があり、神社は加賀国の神社の祭神を集めて祭った総社と推定されている。市埋蔵文化財センターは「土師器は総社を裏付ける重要な史料になり得る。加賀国府の解明につながる手掛かり」として、引き続き調査を続ける。(竹内なぎ)

小松市埋文センター 「総社説強める根拠」

 石部神社は、国府南にあるとして府南社(ふなんしゃ)と呼ばれたと伝えられている。境内がある丘陵はフナンヤマといわれる。「府南社は加賀国総社」と書かれた文献はあるが、当時の社殿跡など確かな史料は見つかっていない。

 加賀国府調査のため、市埋文センターは昨年十〜十一月、現在の社殿西側の境内を発掘。三カ所で土師器が出土した。うち二カ所で十一〜十二世紀の皿の破片、一カ所では十五〜十七世紀の皿の破片が見つかった。出土総数は千数百で、全て土師器の破片。

 直径約十センチの土師器の小皿は「かわらけ」といわれ、祭礼でお神酒を注ぐなどして使われたとされる。神聖な祭礼では、一度使ったかわらけは捨てるため、かわらけが大量に出るのは、多くの祭礼が行われる総社の特徴という。

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 石部神社の創建時期は不明だが、延喜式神名帳には記載があり、八二三年の加賀立国以前とされる。総社の制度ができた十一世紀以前の出土品はないため、市埋文センターは「今回の土師器は、神社と総社を結び付ける有力な根拠になる」という。発掘場所一帯は当時平坦だったとも分かった。建物跡も見つかっていないが、かつての社殿が立っていた可能性も強まった。

 国府地区では、昭和四十年ごろ、耕地整理が行われたが、加賀国府の正確な位置などは明らかになっていない。市埋文センターは二〇一九年度も境内を発掘し、総社があったとされる敷地の範囲などを調べる。宮田明主幹は「石部神社の古代の姿を描けるようにしたい」と話している。一七年度には加賀国分寺と関わりの深い立明寺町の窯跡で、窯の一部が見つかっている。一九年度は窯跡も再び調査し、国府の実態に迫る。

 ◇ 

 市埋文センターは二十四日、地元住民向けの見学会を現地で開き、計百十人が参加した。樫田誠所長は「二三年の加賀立国千二百年に向け、ぜひ地元で盛り上げてほしい」と呼び掛けていた。

 

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