トップ > 岐阜 > 9月11日の記事一覧 > 記事

ここから本文

岐阜

息子生きた証し、記憶に 県防災ヘリ墜落事故から10年

長男敦さんの遺影(左)のそばで、集めた資料や新聞記事のファイルを開く後藤学さん=笠松町で

写真

 思い出すのはつらい、でも忘れられたくない−。2009年9月11日に高山市の北アルプスで起きた県防災ヘリ「若鮎(わかあゆ)2」の墜落事故から10年。犠牲となった救助隊員の後藤敦さん=当時(34)=の両親は、息子の生きた証しを残そうと、複雑な心情を抱えながらメディアなどに訴え続けている。 

 「息子を忘れてほしくない」。八月二十七日、京都アニメーションの放火殺人事件で犠牲となったアニメーターの父親の記者会見がテレビで流れた。

 後藤さんの父、学さん(69)=笠松町=は、この十年間の自らの姿が重なった。「息子が『あつし』で同じ名前だから余計に気持ちが分かる。息子の名誉のためなら何でもやったから」

 事故の数日後、県警幹部から「当初、事故を起こしたのは(県ではなく)県警だと思った」と言われ、不審がよぎった。三千メートル級の山々が連なる北アルプスの山岳救助は通常、県警航空隊の担当だ。敦さんも日ごろ「北アには行かん」と口にしていた。それがなぜ…。

 自ら調査に乗り出し、疑問に感じたことを訴えた。次々とやってくるメディアへの対応で疲労したが、真相解明に味方してくれていると思っていたから、できる限り取材には応じた。

 県幹部は会見で、ヘリ出動について「問題なかった」と言い切った。だが、県防災航空隊は北アでの訓練も救助実績もなかったことが分かってきた。県警と県の情報のやりとりを、当事者に聞き取ったり、情報公開請求したりして資料を集めた。

 誰が未経験のヘリを現場に向かわせたのか。作り上げた事故時の情報伝達のチャート図を眺めると「いろいろな組織全体が少しずつ事故に向けて後押ししていった」ように感じた。資料は、事故を調査した国土交通省運輸安全委員会に送り、報告書が出た後も独自に調べ続けた。

 だが、調査活動は一二年末にやめた。総括を求めてきた県からは対応は示されず、学さんは「ここまで調べたことに、何も話がないのか」と落胆。事故と距離を置き、資料も「事故を思い出すから」と妻のとし子さん(68)が押し入れに片付けた。県は新しい防災ヘリを導入し、事故は忘れ去られていくように思えた。

 昨年秋、久しぶりに取材を受けた。一七、一八年に長野、群馬と県の防災ヘリの墜落事故が相次いだ。とし子さんは「また、同じ苦しみをする遺族ができた」と寝られなくなった。学さんは「事故の経験が生かされていない」と思い、取材に来た記者に「むなしい」と訴えた。

 夫妻は、事故後、一度も山に登っていない。テレビで流れる山の風景や、時折聞こえるヘリの音に胸が締め付けられる。

 十年の節目を前に、夫妻は数社の取材を受けた。「風化は避けられない。でも息子の生きた証しを、あのヘリに乗っていたことを、少しでも記憶に留めてほしいんだ」と訴えた。今年の慰霊祭は二十一日に営まれる。

 (安福晋一郎)

 <県防災ヘリ墜落事故> 高山市の北アルプス奥穂高岳付近で遭難者を救助中の県防災ヘリが墜落。乗っていた機長と整備士、救助隊員の3人が死亡した。運輸安全委の事故調査報告書は、空中で静止するホバリング中に機体の高度が下がり、主回転翼が岩壁に接触したと推定したほか、県の運航管理体制を問題視した。県警は業務上過失致死容疑で機長や運航管理の責任を担った当時の県危機管理統括監、防災課長、防災航空センター長の4人を書類送検。いずれも不起訴となった。

 【土平編集委員のコメント】今日紹介したのは、岐阜県全域を対象にした岐阜県版の記事です。事件事故の被害者の遺族への取材はつらいものがあります。身近な人を亡くし、悲しみにくれる人に話を聞かせてほしいとすることに、「人間としてどうなのか」と言われたこともあります。それでも取材を受けた遺族らの訴えが社会に伝わり、法律や制度が変わることがあります。殺人事件の時効廃止がそうですし、最近ではスマホのゲームをしながらの運転による交通事故で、子どもを亡くした父親らの訴えで「ながら運転」を厳罰化する道交法改正も行われました。後藤学さんも社会への教訓になればと、取材に応じていただいたと理解しています。その思いを受け止めねばと感じます。

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山
地方選挙

Search | 検索