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白川郷まで一向一揆波及 地元NPO、いさめる蓮如の書状入手

耕雲塾が購入した蓮如の書状=京都市で(白川村教委提供)

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 浄土真宗中興の祖、蓮如上人(1415〜99年)が書き残した書状を、郷土史の研究・調査をしているNPO法人白川郷耕雲塾(白川村)が10日、京都市の古物商から入手した。浄土真宗の門徒が1488年に加賀(現石川県)で起こした「加賀一向一揆」が、白川郷まで波及していたことを裏付ける内容。同塾の板谷本一事務局長(60)は「村や日本の歴史の空白を埋める貴重な史料」と話す。

 蓮如が四男・蓮誓に宛てた書状で、白川郷を治めていた内ケ島為氏の転覆をもくろむ門徒をいさめるよう求めている。日付は六月六日となっているが、年代の記載はない。内容や書状末尾にある花押の筆跡から、室町時代の長享二年〜明応七年(一四八八〜九八年)に書かれたとみられる。

 書状は縦一五・三センチ、横四四・二センチ。蓮如の書状が市場に出回ることはめったになく、購入資金七百五十万円のほとんどは村内外からの寄付金で賄った。

 耕雲塾によると、一向一揆を主導した勢力は一四八八年、幕府奉公衆(将軍の親衛隊)である内ケ島為氏の所領・白川郷へ攻め入った。蓮如は、同氏が討ち取られれば一向宗の門主である自分が幕府の討伐対象になりかねないと危機感を覚え、今回の書状を送ったと考えられる。

 文面では一揆を「言語道断」と一蹴。加担する門徒には破門をも辞さないとしている。耕雲塾長を務める早稲田大の柿崎京一名誉教授(農村社会学)は「蓮如にとっては命懸けの事態。かなり焦っていることが読み取れる」と指摘。白川郷での一向一揆は、これまで学者の間で存在が指摘されてきたが、書状で初めて裏付けられたという。

 一方、書状は飛騨地域での浄土真宗の開祖・善俊の実像も浮かび上がらせた。江戸後期に書かれた「●江記(みんこうき)」では、善俊は弘安五年(一二八二年)の死去とされる。ところが、書状には「白川善俊跡」との記述があり、当時の慣例で「跡」は死後七〜八年を指すため、善俊は一四八〇年代初頭まで、蓮如と同じ時代を生きたと考えられる。

 白川村ではかつて、善俊の存在とともに浄土真宗の教えが住民に浸透していたが、次第に薄れつつある。板谷事務局長は「書状が善俊の存在に再び光を当て、住民が注目するきっかけになれば」と話している。

 (横田浩熙)

 ※●は王へんに民

 

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