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元特攻隊員が最後の語り 高山の小峠さん

自身の飛行服を生徒に着せ、平和の尊さを伝える小峠さん(左)=高山市日枝中で

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 旧日本海軍の特攻隊員だった小峠良三さん(91)=高山市千島町=が十四日、同市日枝中学校で、戦争体験を語る平和講話を開いた。十年近く前から同校で毎年、過酷な経験を語ってきたが、高齢のため今回で最後にするという。広島への修学旅行を控えた三年生百七十九人を前に「平和な日本を長続きさせて。戦争は絶対にやらんように」と思いを託した。

 小峠さんは一九二七(昭和二)年に高山で生まれた。十六歳で志願し、海軍航空隊に入隊。「当時の教育は軍事訓練一色。兵隊に行かないのは、情けないと感じていた」と語った。

 四五年二月、派遣先の台湾で飛行訓練中に米軍機の襲撃に遭い、戦友二十数人を失う。操縦かんを握ったまま亡くなっていた親友の姿が記憶に残っている。台湾から長崎県の諫早海軍航空隊への移動中には、米軍の魚雷で十隻の艦船のうち八隻が沈没し、多くの仲間を亡くしたという。

 同年八月九日には諫早の兵舎から、長崎に投下される原爆を目撃したことも明かし、「ドラム缶のように見えた。ピカーと光って、ドカーンと爆音がした」。爆心地から離れた兵舎の建物が吹き飛ばされるほどで、長崎の街は夜まで真っ赤に燃えていたという。

 翌日十日には、特攻出撃の待機命令が出され、死を覚悟した。「一睡もできないまま、十五日の終戦を迎えた」。終戦後、長崎から汽車で高山へ帰る途中に広島駅で下車。山積みにされた原爆犠牲者の遺体が焼かれる光景を目にし、「涙が出た」と振り返った。

 小峠さんは講話の最後に、自身が着用していた海軍の飛行服を男子生徒に着せ「この服を着ることがもうないように」と締めくくり、最後に生徒たちからお礼の花束を受け取った。「一生懸命聞いてくれてうれしかった」と笑顔を見せた。

 生徒らは真剣に耳を傾け、最後の講話を胸に刻んだ。山本深琉(みりゅう)さん(14)は「親友を亡くしてつらい思いをしたと聞き、戦争は絶対やってはならないと思った。学んだことを家族や後輩に伝えたい」と話した。三年生は二十一日から三日間、修学旅行で広島市の平和記念公園などを訪れる。

 (戎野文菜)

 

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