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深まる謎“新品”の古窯 12〜13世紀築造?多治見から出土

多くの焼台が残った古窯を見学する関係者=多治見市内で

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 多治見市内の山中から、十二〜十三世紀のものとみられる不思議な古窯が出土した。窯はほぼ新品で、焼成の際に焼き物を置く「焼台(しょうだい)」が二百七十個並ぶ。当時の職人が窯を使いこなす前に、何らかの理由で壊れてしまって放棄したのか−。「掘れば掘るほど謎が深まる」。関係者は首をひねっている。

 市文化財保護センターによると、窯は山林内にあり、斜面にトンネル状の穴を掘った「窖窯(あながま)」で、縦十三メートル、幅三・二メートル。同時代の窯に比べて幅は一メートルほど広い。表面の土を二十〜六十センチほど掘り下げると、足跡のようにも見える焼台がずらり。出土した陶片が少ないことから、あまり使われないうちに崩れたとみられる。窯があることは十五年以上前から分かっていたが、民間の建設事業が予定されていることから、センターが今年一月から発掘作業を続けている。

 センター職員の各務(かかむ)嘉洋さん(43)は「使い捨てのはずの焼台が、これほどきれいな状態で出るとは」と驚きを隠さない。

 各務さんによると、窯がある地域には、他にも平安時代以降の窯跡が多く残る。灰釉(かいゆう)陶器や、釉薬をかけない「山茶碗(ぢゃわん)」と呼ばれる生活食器の一大産地だった。今回の窯は、出土した陶片の形状から、十二世紀後半から十三世紀初頭の築造と推定される。

 造ったばかりでなぜ放棄されたのか。「焼成中に窯が崩落した」と各務さんはみる。窯の中に陶片があり、焼台が残っているためだ。焼台は地面にしっかり固定されており「器だけを取り出した状態だった可能性もある」という。

 ちょうど一一八五年には琵琶湖周辺を中心に大きな被害を出した文治地震があった。地震で崩壊した可能性については、「当時の文献がないことには何も言えない」と慎重だ。

 発掘は六月ごろまで。「東濃地域は当時も陶磁器の一大産地だった。窯業の実態が少しでも解明できれば」と各務さんは願う。

◆記者のつぶやき 

 時代は鎌倉幕府が開かれた前後。交通も土木技術も未発達だったはずです。それでも「通常より大きな窯を造って量産してやろう」と挑戦した職人がいたのならおもしろいな、と想像を巡らせました。

 (野瀬井寛)

 

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