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福井藩士へ感謝の書簡 小浜藩士・梅田雲浜の直筆、新たに発見

新しく発見された梅田雲浜による直筆書簡=徳永さん提供

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 小浜藩士の梅田雲浜(うんぴん)(一八一五〜五九年)が福井藩の儒学者吉田東篁(とうこう)(一八〇八〜七五年)に宛てた書簡が新たに見つかった。福井藩を訪れた際に藩士らから受けたもてなしへの感謝を記した礼状。研究者によると、儒学の「崎門学(きもんがく)」などを通した両者の結び付きが改めて分かる発見だという。 

 書簡は縦一七・八センチ、横一二九・二センチ。日付は八月七日としか記されていないが、一八五四(安政元)年に乳がんの手術を受けた東篁の母の容体を尋ねる一文があることから、同年に送ったとみられる。

 雲浜について研究している全国歴史研究会本部正会員の村上利夫さん=元小浜市長=らによると、書簡の内容は資料集などには収録されていない。安政の大獄で逮捕された雲浜の書簡は少なく、発見の価値は高いという。

 書簡では滞在中に藩士らの世話になったことを記し「御深情山海の恩、謝するに處無く候」などと厚く感謝を述べている。「御内政へも頼み奉り候」(内政も頼みます)との一文もある。村上さんはこの内政について、次期将軍や東篁の後継者探しに関する福井藩内の議論を指す、と推測し「藩士らはそんな大切なことも雲浜に相談していた。当時の藩の状況を考えるヒントになる」と指摘する。

 書簡は熊本学園大招聘(しょうへい)教授の徳永洋さんが、関西の古美術商から購入した。福井市立郷土歴史博物館の角鹿尚計館長は「当時、藩の学問の中心だった崎門学を通して同学の雲浜と東篁には強い結び付きがあった。雲浜は崎門学の講義を福井でするために東篁らに招かれたのでは」と話している。

 (坂本碧)

 <梅田雲浜> 小浜藩士で一八四三(天保十四)年から、京都にあった崎門学の私塾「望楠軒(ぼうなんけん)」の講師となった。藩主酒井忠義に意見したことが原因で一八五二(嘉永五)年に藩籍を剥奪される。尊王攘夷(じょうい)を訴えて幕政を批判し、安政の大獄(一八五八〜五九年)で摘発され、獄中で死亡した。

 

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