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甲賀忍者、尾張藩仕え奮闘記 滋賀の旧家に古文書

尾張藩の忍びの勤務実態が書かれた古文書を手にする木村幸弘さん=滋賀県甲賀市で

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 江戸時代に尾張藩に仕えた忍者衆「甲賀五人」の活動や生活ぶりを伝える古文書が、滋賀県甲賀市の旧家で見つかっていたことが分かった。名古屋城下で鉄砲を練習したり、禄(ろく)が少なく滞在費支給を尾張藩に願い出たりしたことなどが記されていた。市教委と協力して調査した国際日本文化研究センター准教授で日本史家の磯田道史さん(49)は「尾張藩の忍びの実態が裏付けられた」と評価している。

 見つかったのは、甲賀五人の頭(かしら)(リーダー)、木村家の由緒や仕事を記した古文書「先祖書●勤書(せんぞがきならびにつとめがき)」。初代奥之助久康の兄の子孫に当たる木村幸弘さん(65)宅の仏壇の引き出しにあるのが分かり、かねて市教委と協力して甲賀忍者を研究していた磯田さんが、二〇一八年六月に訪問。内容を解読した。

 それによると、初代奥之助久康は一六七二(寛文十二)年、尾張藩二代藩主・徳川光友に鉄砲撃ちとして召し抱えられた。七年後には藩の家老からひそかに忍びの家柄の者を集めるよう頼まれ、「甲賀五人」を結成した。木村家は名古屋城下に屋敷を構え、甲賀から参勤してきた他の忍びが、そこに滞在。三代藩主・徳川綱誠(つなのぶ)の時代には、甲賀五人は藩から大小の鉄砲を借り、射撃の練習を始めた。

 二代目の木村伊右衛門が、禄が少ないため藩に願い出て、他の忍びの滞在費として一人あたり銀二匁(もんめ)(現代の価値で数千円程度)をもらったことなども記されていた。

 磯田さんとともに文書を調べた市教委歴史文化財課の伊藤誠之資料調査員(38)は「藩から通達があったり、新たな忍びを探さなければならない時は、頭の木村家が名古屋と甲賀を行き来して他の忍びに直接伝えていたことも分かり、興味深い」と話す。

 尾張藩の忍びの存在は、甲賀五人に名を連ねる渡辺家の記録「渡辺俊経(としのぶ)家文書」などでも知られていた。磯田さんは今回の発見を「頭の家に残っていた文書だけに貴重」と語り、判明した内容を、今後出版する著書に盛り込むことを検討する。幸弘さんは「虫食いがひどくて重要な古文書と分からず、処分するつもりだった」と驚いている。

 (築山栄太郎、写真も)

※●は并の異体字

 

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