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奇跡の生還、強くなれた 中華航空機墜落事故25年

中華航空機事故から25年がたち、飲食店を営む生存者の長谷部弘義さん。右は父親=松田雄亮撮影

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 一九九四年に名古屋空港で起きた中華航空機墜落事故は、二十六日で二十五年を迎える。乗客乗員二百七十一人のうち奇跡的に七人が助かった。三歳で事故に遭い、母を亡くした長谷部弘義さん(28)は今、飲食店経営者として充実した日々を送る。心に余裕も生まれ、「四月二十六日」に特別な思いを抱くようになった。「生きていることや、守ってくれたお母さん、お世話になった人たちへの感謝を忘れてはならない日」と心に刻む。

 名古屋市内の飲食店。酒や料理を手際よく作り、客の話に耳を傾ける。笑顔に幼かった頃の面影が残る。

 墜落時の記憶はない。同乗のフィリピン人の母マリアテレサさん=当時(30)=を亡くした。自身も多臓器損傷で生死をさまよい、一命を取り留めた。母と父は国際結婚で、一時帰国から戻ったところだった。

 退院後、父と二人の生活が始まった。父は「できるだけ一緒に」と勤め先を辞め、毎朝、弁当を作って保育園の送り迎えをしてくれた。大学に進学し、米国に半年間留学もした。

 卒業後は大阪で三年ほど働き、地元の名古屋へ。二〇一五年十二月、念願だった飲食店を開店。父はしばらく毎日、手伝いに来てくれた。年中無休で、今も金曜と日曜は父の手を借りる。来年還暦の父は「これまで大変だったと思わなかった。ヒロの存在そのものが支えだった」と振り返る。

 長谷部さんは、落ち着いて事故と向き合えるようになったと感じる。親しい客には、生還したことを打ち明けている。

退院した当時3歳の弘義さん=1994年7月28日、愛知県小牧市で

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 入院中は泣かない強い子だったと、医師や父から聞かされた。脾臓(ひぞう)を摘出し、体に傷痕が残る。困難があっても気持ちの切り替えが早いのは「自分には今後、あの事故を上回る経験はない」と思うから。「メンタルが強くなったのかも」と前向きに捉える。

 でも、飛行機に乗ると、離着陸時はいつも手には汗。「フラッシュバックや怖い感じはないけれど、ドキドキするのは確か」。三年余り前、母の母国へ墓参りに行った時もそうだった。

 中華航空への憎しみはないが、最近、「平成」を振り返るテレビ番組を見て、あの事故が取り上げられなかったことが気になった。航空機事故は続き、「風化も感じる」と言う。

 一歳年上の女性と結婚した。「生きていて良かった。これからはお父さん、祖父母、お世話になった方々に恩返しをしたい。店も、居心地のいい空間をつくっていく」。感謝をかみしめ、二十六日の夜も、いつも通り父と店に立つ。

 (原一文)

 

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