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令和見ず他界、元号職人 「肩書は仮」長年極秘選定

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 新元号選定を長年にわたり、人知れず支え続けた政府職員がいた。候補名の考案を委嘱した学者らの元に通い、会話を重ねる中で導き出された候補名を回収し続けた。だが昨春、新元号「令和」を見届けることなく他界した。「無事に決まったと伝えてやりたい」。陰の立役者に、委嘱された学者らは賛辞を贈った。

 職員は尼子昭彦氏。二松学舎大大学院で中国哲学を専攻し、数年前まで在籍していた国立公文書館でも公文書研究官として中国古典を担当した。亡くなった当時は六十代。生前の様子を知る中央大の水上雅晴教授は「知識がありながら自分を必要以上に押し出さない控えめな方だった」と話す。

 ただ政府関係者は、公文書館での肩書は「仮の姿だった」と語り、元号選定に大きな役割を果たしていたと証言。国立公文書館の高山正也前館長も「前任の館長から秘密裏に元号関係の仕事をしていたと聞いていた」と明かす。

 普段は公文書館で中国古典の研究や展示などに従事する一方、裏で元号という国家機密を扱う生活。「周囲に言えず、プレッシャーはどれほどだったのか」。高山氏は尼子氏の心中を推し量る。

 ある政府関係者は尼子氏が「平成改元の様子も知っていた」と長く元号の選定に携わっていたと打ち明ける。実際、政府から考案依頼を受けた学習院大の小倉芳彦元学長のところには二〇〇四年四月ごろ、元号の事務を担当する内閣官房副長官補とともに訪れた。

 尼子氏は何度も面会し、過去の元号一覧表を持参して次の元号にふさわしい条件を説明した。小倉氏は一年以上にわたって「こんな考えがある」とやりとりするうち「熟慮に熟慮を重ねた」候補名を手渡した。

 「こういう縁の下の仕事をやる人がいることに感心した。実務家として立派な方で尊敬する」。小倉氏は新たな時代を見ないまま亡くなった尼子氏を称賛する。

 親交があった二松学舎大の石川忠久元学長は「新元号を見られず、残念だった」と話す。

 元号という特殊性から尼子氏の存在は今も厚いベールに包まれている。公文書館の加藤丈夫館長は「元号選定に関わる個人の名前が明らかになれば、不測の事態を招きかねない」と、詳細は明らかにしていない。

◆英弘・久化・広至・万和・万保 他の5案

 政府が「元号に関する懇談会」の有識者や全閣僚会議などに示した六つの原案は、新元号に決まった「令和」のほか「英弘(えいこう)」「久化(きゅうか)」「広至(こうし)」「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」だったことが分かった。このうち万和は二松学舎大元学長の石川忠久氏(86)=中国古典=が考案した。関係者が二日、明らかにした。政府は令和以外の原案に関し、考案者も含めて明らかにしていない。

 選定経緯を巡り、菅義偉官房長官を中心に候補名の絞り込み作業を約二カ月前から始めていたことも判明。有識者懇談会などで提示した原案は、約一週間前に事実上確定させていた。

 令和の考案者は、文化勲章受章者で国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏(89)=日本古典=との見方が専門家の間で浮上している。菅氏は二日の記者会見で「考案者が秘匿を希望しているのに加え、明らかにすれば詮索されるので、公表を差し控える」と述べた。

 関係者によると、原案の出典は英弘が「日本書紀」。広至は国書(日本古典)に加え、中国古典の「詩経」にも由来する。万和は中国古典の「文選(もんぜん)」。万保も中国古典に由来する案だった。

 石川氏は万和に加え「和貴(わき)」「成教(せいきょう)」「正同(しょうどう)」「貞文(ていぶん)」「貞久(ていきゅう)」「弘国(こうこく)」「弘大(こうだい)」「泰通(たいとう)」「泰元(たいげん)」「豊楽(ほうらく)」「光風(こうふう)」「中同(ちゅうどう)」の計十三案を提出していた。

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