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知るコレ!

日本が誇る花を選手に ビクトリーブーケ

ビクトリーブーケのデザインを発表(はっぴょう)する磯村信夫(いそむらのぶお)会長(左)ら=東京都内(とうきょうとない)で

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 スポーツ大会の表彰式で、メダリストが花束を掲げているのを見たことがありますか? 「勝利の花束」を意味する「ビクトリーブーケ」と呼ばれています。来年の東京五輪で3大会ぶりに採用されることが決まり、12日、デザインが発表されました。(北村希)

 「世界に誇れる高い品質の日本産の花を、感謝を込めて選手たちに贈りたい」。東京五輪・パラリンピック組織委員会が開いたビクトリーブーケのデザイン発表会で、日本花き振興協議会の磯村信夫会長(69)が意気込みを語りました。デザインは五輪とパラリンピックで一つずつ。黄色のヒマワリ、赤のバラ、紫のリンドウなど計6種類の花を使います。

 「復興五輪」と位置付けられ、東日本大震災の被災地を応援する目的もある東京五輪。東北の被災地で夏に育てられる花を中心に、「明るく元気の出る色」を選んだそうです。会場の装飾などには、被災地以外の花も使う予定です。

 ビクトリーブーケは1984年のロサンゼルス五輪からメダルの副賞として始まったとみられています。ただ生花は日持ちせず、選手が持ち帰れないため、2016年のリオデジャネイロ五輪、18年の平昌五輪では採用されず、代わりに大会マスコットのぬいぐるみなどが贈られました。

 東京五輪で復活させようと、全国の生花店や生産者などは17年春に日本花き振興協議会を結成。組織委員会などに要望を続けた結果、採用が決まりました。

 東京五輪の開催決定は、花を作る業界に大きなインパクトを与えました。種苗会社などはビクトリーブーケの採用を見越して、真夏の開催でもきれいに咲く花を準備するため、新しい苗の開発に着手しました。

 大手種苗会社「イノチオ精興園」(広島県府中市)の愛知田原試験農場(愛知県田原市)では、秋の花である菊を真夏に咲かせる研究が15年から本格化。約100品種を試験栽培し、暑さに負けず、見た目も鮮やかな4品種を昨年、選びました。赤い菊や、中央が黄色く周りが白い菊など、お墓参りなどで供える仏花のイメージとは全く違います。

 今回、残念ながら菊はブーケに選ばれませんでしたが、イノチオ精興園の林彩子さんは「夏の暑さが年々厳しくなる中、強くておしゃれな品種ができたことは大きな成果。一年中、心の癒やしを提供できるよう、今後も研究を続けたい」と前を向いています。

 実は1964年に開かれた前回の東京五輪では、聖火台に続く花道や会場が国花の菊で彩られました。育てたのは東京都練馬区で花農家をしていた7人。その1人、浅見喜代司さん(78)は「当時は花を咲かせるために、ただただ一生懸命だった」と振り返ります。

 組織委員会から練馬区の花農家団体に「10月10日の開会に合わせて菊を1万本作ってほしい」と依頼があったのは、開催の約2年前。当時は栽培の技術も今ほど進んでいません。気候などが咲き方に大きく影響するため、反対意見が圧倒的でした。それでも「こんな機会はめったにない」と、有志7人が手を挙げたそうです。浅見さんは大会の前年、菊3000本を育て、10月に咲かせるための実験をしました。夏に5日おきに10本ずつ芽を摘み、8月20日ごろに最後の芽を摘めば、きれいに咲くことが分かりました。

 実験を基に翌年、予備も含めて1万本を栽培。毎日、朝から晩まで水をやり、手入れをした結果、ほとんどが大会に合わせて咲き誇りました。「会場に運び終わって、ようやくほっとした。黄色と白の菊で飾られた花道をテレビでみたら、うれしくなっちゃって」。浅見さんは、来年の五輪もテレビで見守る予定といいます。

生産者らが注いできた愛情は2020年にも引き継がれ、大舞台に花を添えようとしています。

1964年の東京五輪(とうきょうごりん)に向(む)けて育(そだ)てた菊(きく)を車に積(つ)む浅見喜代司(あさみきよし)さん=東京都練馬区(とうきょうとねりまく)で

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