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知るコレ!

負の歴史 目を背けない 今こそ学ぶ満蒙開拓

開拓団(かいたくだん)がたどった歴史(れきし)を学ぶ中学生ら

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 太平洋戦争の終結から74年。「20町歩(約20ヘクタール)の大地主になれる」といった言葉を信じて、日本から旧満州(今の中国東北部)へ渡ったのが満蒙開拓団です。満蒙開拓に特化した全国唯一の施設で、長野県阿智村にある「満蒙開拓平和記念館」は、開拓団が結果的に加害者になった負の側面にも向き合っています。若い世代にはどう映るのか、平和学習会を訪ねました。(石川由佳理)

◇平和学習会で生の声聞く

 満蒙開拓団は戦前から戦中にかけ、約27万人が土地や家を手放した上で、満州に渡りました。実は満州の土地の多くは中国人から強制的に安く買い上げたもの。1945年8月、ソ連(今のロシア)軍に攻め込まれ、開拓団は逃げ惑います。恨みを募らせた現地の人からも襲われる混乱の中、集団自決などで約8万人が命を落としました。

 「日本人は米を食べるで米のご飯食べさせようってな。食べさせてくれたに、われわれだけにはな」。8月4日の平和学習会。愛知県と長野県の中学生3人が、2015年に亡くなった元開拓団員の野中章さんの証言を読み、野中さんの気持ちを想像しました。

 野中さんは9歳だった45年5月、家族9人で満州に渡りましたが、父とはぐれ、母と兄、弟は収容所で亡くなりました。それでも、中国人の養父母に引き取られ、翌年10月に2番目の姉と2人で帰国を果たします。長野県飯田市旭ケ丘中1年の伊藤貴佳さん(12)は開拓団が中国人にとって加害者となった部分に着目。「中国の人は日本人にひどいことをされたのに、なぜその子どもを育てたんだろう」と驚いた様子です。

 3人はボランティアの案内で館内を見学、10代の男性が「満蒙開拓青少年義勇軍」として送られたことも知りました。教師の指導や親の勧めで、約8万6000人もの若者が渡ったと聞き、戸惑う3人。「自分もだまされたかも」「行かないという選択肢はあるかな」

 中国帰国者2世の中学校教諭、大橋春美さん(49)=長野県豊丘村=の講演もありました。大橋さんの祖父母は元開拓団員。祖父は過労で亡くなり、ソ連軍が攻め込む中、祖母と父は必死に逃げました。当時5歳の父は中国人の家で育ち、成人して結婚。兄3人と大橋さんが生まれました。8歳の時に帰国。日本語がわからず、クラスメートとは別の教室で1年間、兄たちと日本語を学んだそう。「満蒙開拓団に関係した人が身近にいるかも。戦争は教科書の中だけではなく、現在にもつながっています」と語りかけました。

 愛知県蒲郡市の海陽中等教育学校3年の加藤天志さん(14)は「戦争を真剣に考えたことはなかった。体験者の話は想像以上だった」と話します。阿智村阿智中1年の松江恒成さん(12)は「勧められて満州に行き、国に裏切られ、亡くなった人たちがいたことを忘れない」と力を込めました。

◇体験者証言や映像を充実

 戦争を知らない子どもたちにどう伝えたらいいのでしょう。満蒙開拓平和記念館は寺沢秀文館長(65)らがつくった準備会が1億円を超える寄付金や補助金を集め、2013年に開館しました。語り部の多くは高齢化で80代半ば〜90代。6年がたち半数近くが亡くなりました。体験者の証言や映像を充実させたほか、寺沢さんは「体験者がいなくなる中、その子孫が語り継ぐことも必要」と話します。

 寺沢さんの両親も元満蒙開拓団員。兄は1歳で、収容所で亡くなりました。父はシベリアに抑留され、帰国後、新たな土地を開拓。「中国の人たちの悔しさを知った」と聞かされたそうです。「満蒙開拓には多くの人が関わったのに、不都合な歴史として語られてこなかった」と寺沢さん。「どこで間違いがあったのか、不都合なことに目を背けず、教訓を学ばねばならない」と語ります。

 県外からの修学旅行生など来館者数は増え、昨年10月には15万人を突破。若い世代に満蒙開拓の歴史を知ってもらおうと、9月末には120人を収容できる部屋を備えたセミナー棟が完成します。

満州(まんしゅう)で農地(のうち)を耕(たがや)す開拓団員(かいたくだんいん)ら(満蒙開拓平和記念館提供(まんもうかいたくへいわきねんかんていきょう))=いずれも長野県阿智(ながのけんあち)村の満蒙開拓平和記念館(まんもうかいたくへいわきねんかん)で

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