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論壇時評

「表現の不自由展」中止問題 「情」の可能性、信じる 中島岳志

 開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった。「表現の自由」や「権力による芸術作品への検閲」などが議論となり、出展した作家の離脱が相次いでいる。

 この芸術祭が掲げたテーマは「情の時代」。原初的な「情」による連帯や創造を目指しているが、一方で、出展作品に対する否定的な「情」が、執拗(しつよう)な電話での抗議や脅迫を生み出し、企画展を中止に追いやった。「情の時代」とは一体、何なのか?

 芸術監督を務める津田大介は、開会に当たって発表した「コンセプト」の中で、「情」を『漢字源 改訂第五版』に基づいて三つに分類する。一つ目は「感情」「情動」のような「感覚によっておこる心の動き」(=情(1))。二つ目は「実情」「情報」といった「本当のこと・本当の姿」(=情(2))。三つ目は「なさけ」のような「人情・思いやり」(=情(3))。

 津田の問題意識は、「情(1)」(=感情)と「情(2)」(=情報)の共犯関係によって、他者への暴力が繰り返されている現状に向けられる。人々の「感情」は「視聴率や部数を稼ぐために不安を煽(あお)り、正義感を焚(た)きつけるマスメディア」や「対立相手を攻撃するためであれば誤情報を拡散することも厭(いと)わないソーシャルメディア」などの「情報」によって左右され、動揺させられる。結果、煽られた感情が、攻撃的な言説を生み出し、排他的な状況を生み出す。

 津田は、シリア難民への欧州諸国の世論の変化に注目する。当初は、難民申請者を「感情」で拒否する動きが強かったが、「3歳のシリア難民の少年が溺死した姿を捉えた1枚の写真」によって状況は一変し、難民受け入れの流れが生み出された。「欧州を埋め尽くしていた『情報』によって作られた不安を塗り替えたのは、人間がもつ『情』の中でもっとも早く表出するプリミティブな『連帯』や『他者への想像力』ではなかったか」

 「情(3)」(=人情)が、「情(1)」「情(2)」を凌駕(りょうが)した時、世界に連帯の可能性が開かれる。人間は「困難に直面している他者に対し、とっさに手を差しのべ、連帯することができる生き物である」。この「情(3)」の可能性を追求することで、ネガティブな「情の時代」を乗り越えることができるのではないか。

 そして、その力が芸術には備わっていると津田は訴える。「われわれは、情によって情を飼いならす(tameする)技(ars)を身につけなければならない。それこそが本来の『アート』ではなかったか」

 しかし、展示中止をめぐる現実は、「情(1)」「情(2)」が「情(3)」を押しつぶした形になった。一部のアーティストは、芸術祭からの撤退に動いている。

 何が足りなかったのか。そして、何が必要なのか。

 ここで参考になるのが、社会学者の宮台真司が近年主張している「感情の劣化」という問題である。「感情の劣化」とは「真理への到達よりも、感情の発露の方が優先される感情の態勢」で、「最終的な目的」の達成ではなく、カタルシスを得ること自体が目的化してしまう。(「宮台真司がネトウヨを語る『あれは知性の劣化ではなく感情の劣化だ』」、リテラ2014年11月4日)。

 この「感情の劣化」を乗り越えるには「内から湧き上がる力」=「内発性」を呼び覚ますことが重要だと、宮台は言う。そして、内発性の喚起による「感染的模倣」(=ミメーシス)の輪を広げる必要性を説く。(『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』幻冬舎、14年)

 津田が説く「情(3)」には、「内発性」が含まれるはずだ。そして、そこには宮台が「真理」を重視するように、宗教的な要素が含まれる。インドの独立運動の指導者ガンディーは、断食や無所有の姿を提示することで、人々の宗教的内発性を引き出し、暴力を超えようとした。

 アートは、内発性を喚起することができるのか。敵対を超えた「情」を生み出すことができるのか。閉会までには、まだ時間がある。「情」の可能性を諦めてはならない。

 (なかじま・たけし=東京工業大教授)

 

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