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西山美香さんの手紙・供述弱者を守れ 冤罪の解き方(4) 秦融(編集委員)

「本来は鑑定書を直すべきだ」と指摘する上野正彦さん=東京都杉並区で

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 冤罪(えんざい)を解く初めの一歩。それは、どのボタンから掛け違ったのか、をまずは明確にすることだ。

 脳死に近い植物状態だった末期患者=当時(72)=の死が事件にされたのは、最初に気づいた看護師が「人工呼吸器の管が外れていた」と報告したことがきっかけだった。看護師はその夜の当直責任者で、死亡の原因が痰(たん)の吸引を怠った自分の責任にされることを恐れて、とっさにそう言ってしまった可能性がある。人工呼吸器は管が外れると、目覚まし時計並みの警報音(アラーム)が鳴る仕組みだった。なのに、静まり返った真夜中の病棟で、入院患者、付き添い家族の誰一人、アラームを聞いた人がいない。

◆管はつながっていた

 一年が過ぎ、当時二十四歳だった西山美香さん(39)が刑事に脅されて「アラームは鳴った」と言わされた。そのため看護師が厳しい取り調べを受けたことで悩み、自分のせいにしようとして「私が管を外した」と自白、逮捕された。だが「外した」と病棟内での「アラームは鳴っていない」という証言のつじつまが合わない。警察が再度、発見者の看護師に聞き直すと、もはや自分の過失で責任を問われることがない、と安心したのか「外れているかどうか目で確認していません。勝手に思い込み(略)答えてしまった」と本当のことを話した。つまり、管はつながっていた。

 そこが最初のボタンの掛け違いだ。警察は「外れていた」という当初の話を真に受けて「すわ医療過誤か」と色めき立ち、憤った遺族が「真相を明らかに」と訴え、解剖した医師は警察の間違った情報で「窒息死」と判断。鑑定書が独り歩きし、ことはどんどん大きくなっていった。

 再審開始を決定した大阪高裁(後藤真理子裁判長=現東京高裁部総括判事)は「鑑定は『管が外れた状態』を併せて死因を判断した」「看護師らが人工呼吸器の管が外れていたのに気づいたという事実は、確定判決により否定された」。鑑定と一審判決の矛盾を指摘した上、死因の窒息死は「証明されていない」と断じた。そこで、最初のボタンに戻る。つながっていた、から始めるとどうなるのか−。

 看護師が気づいたとき、患者はベッドの上ですでに死亡し、人工呼吸器だけが酸素を送り続ける状態だったことになる。急性死だった、と鑑定書は判断した。その場合の死因はどうなるのか。鑑定書は「窒息死」と結論づける一方で、血中カリウムの異常低値に「不整脈を生じ得る」と明記しながら、踏み込んだ検証をしていない。

 高裁は三回目の三者(裁判官、弁護人、検察官)協議が行われた二〇一七年七月、検察官と弁護団に、こう問い掛けた。

◆自然死の可能性浮上

 「急性死で原因不明の場合、死因の中で不整脈と窒息は一般的にそれぞれはどの程度の割合なのか。文献等があれば示してほしい」

 この要望に、井戸謙一弁護団長は「正面から考えようとしてくれているな」と感じたという。「窒息死以外に死因がなければ、チューブを抜く以外に考えられない。しかし、別の死因の可能性があるのなら、自然死の可能性が浮上する」

 弁護団は、救急搬送などのデータから急死のうちの心疾患の割合が相当程度に上ること。さらに、国立の専門病院による「急死の原因のほとんどが不整脈」との見解を示した。

 高裁は、検察が再審請求一審の大津地裁に提出していた証拠も精査し、その中から、急死した高齢者の死因として「五十六例のうち、不整脈が六例だった」というデータを引用し、こう結論づけた。

 「解剖しても臓器に急死を生じさせる疾病を見いだせない場合に、直接の死因が致死性不整脈である割合は、一般的には、少なくとも、死因として無視できるほどに少なくはない」

 初めの一歩。「呼吸器の管はつながっていた」に立ち返ったとき、脳死に近い高齢の末期患者の死は、どう見えてくるのか。約二万体の検視・解剖の実績がある元東京都監察医務院長の上野正彦さん(90)は、鑑定書を読み込んだ上で、こう語った。

 「病死前の末期患者だよね。事件死とは思えない。病死です」

 死因が窒息死なのか、致死性不整脈によるのか、多方面の文献を山のように積み上げるまでもなく、ということだろう。

 「最初に警察に説明を受けた状況から事実が変われば、本来は鑑定書を直すべきだ。先入観で書いた部分もあるわけだから」

 誤ったその鑑定書を理由に、西山さんは今も罪を負わされ続けている。

 一昨年十二月に大阪高裁が再審開始決定後、検察が特別抗告し、最高裁で審理が続く滋賀の呼吸器事件。足利事件と同じように、供述弱者だった二十四歳(当時)の看護助手が「自白」を誘導されていった事件の構図を、高裁はどう切り崩したのか、検証する。

 

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