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メメント・モリ

第8部「終を支える」 (3)ホームホスピス

女性が最期を迎えたホームホスピスで、リビングを片付ける久野雅子さん=愛知県みよし市で

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 窓ガラスから日差しが入る平屋の民家。台所には包丁の音が響く。リビングからは、会話を楽しむ人の声。その隣にある六畳ほどの部屋は、一年前に八十七歳で亡くなった女性の「終(つい)のすみか」となった。

 愛知県みよし市の一般社団法人「みよしの家」が運営するホームホスピス。女性を看取(みと)った長女(60)が振り返る。「病院も、施設も、自宅も無理。母の『最期の場所』を探す中で選んだのが、ここだった」

 女性は腸管が細くなり、食事が取れなくなる病を患っていた。刈谷市の特別養護老人ホーム(特養)に入っていた昨年三月、嘔吐(おうと)を繰り返して入院。認知症もあり、点滴やおむつ交換のたびに叫び、抵抗した。病院の生活におびえる姿を見るのが、長女はつらかった。

 十一月には、医師から「これ以上の点滴は難しい」と告げられた。特養では看取りをしていない。「認知症の初期は一緒に過ごせたが、母は混乱し、私も疲れ果てた。穏やかに過ごせず、自宅で看取るのは難しい」と連れ帰ることもできなかった。

 「自宅のように最期まで過ごせる」。知人に聞いて自ら見学もしていた長女は、病院を出たその足で、みよしの家に行った。女性の部屋に通い、ベッド脇から語りかける毎日。小さいころに家族で出かけた旅行のこと。女性が縫ってくれた洋服のこと。母娘の時間を過ごすことができた。

 食事も点滴もできず、死を待つのみ。戸惑う長女に、代表の久野雅子さん(58)が声をかけた。「自然に迎える最期は、とても静かで、穏やかなんですよ」

 入居から十二日後の朝、女性は息を引き取った。最期の瞬間を、長女は久野さんらと見守った。「落ち着いた場所で、逝かせてあげられた」。悲しみの中に、安堵(あんど)感が広がった。

 ホームホスピスは、法律で定められた施設ではない。入居の条件はなく、四〜五人が自由に生活する。みよしの家は二〇一五年の開所以来、十六人が暮らし、五人が亡くなった。

 無類の酒好きという男性もいた。息子が「施設ではルールが厳しくて飲めないから」と男性の入居を希望。「もともと仲が悪かった。酔っぱらって言うことをきかないし、父を殺すか、自分が死ぬか、という感じだった」。そんな切羽詰まった家庭の受け皿にもなっている。

 全国初のホームホスピスが宮崎市に開所したのは〇四年。今年九月までに四十五カ所へ広がった。ただ、全国ホームホスピス協会理事長の市原美穂さん(71)は「必要としている人は、まだたくさんいる」と語る。

 財政運営も厳しい。みよしの家は来年、利用料を月十八万五千円から二十五万円に値上げする。「利用料が収入の柱。定員が少人数なので」と久野さんは語る。

 「死に場所」に困る人々を、民間の努力が支えている。国は在宅での看取りを推進するが、ホームホスピスへの補助はない。厚生労働省は「所管する部局がない」。厚労省の審議会で示された推計によると、年間死者数が百六十万人に及ぶ十二年後の二〇三〇年、約四十七万人を看取る場所がないという。

 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞 社会部「メメント・モリ」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp

 

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