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樹木希林さん、不登校者への思いが本に

樹木希林さんへのインタビューを振り返る「不登校新聞」編集長の石井志昂さん=東京都文京区で

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 俳優の樹木希林さんには、七十五歳で亡くなる直前まで気にしていたことがあった。「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」。昨年九月一日、病室から外を眺めながら、つぶやいた。「死なないで、どうか生きてください」。その二週間後、樹木さんは帰らぬ人となった。

 樹木さんが不登校の当事者と初めてかかわりをもったのは、二〇一四年に専門紙「不登校新聞」の取材を受けたことがきっかけだった。編集長の石井志昂(しこう)さん(37)らに子ども時代について話した。

 小学生の時は友達の記憶がなく、スポーツが大嫌いだった。六年生の時の水泳大会は、一、二年生ばかりの「歩き競争」に出て一等賞を取り、ノートと鉛筆をもらった。

 「私はにんまり笑ったの。恥ずかしいと思わなかったのは、親の教育だと思う。『そうじゃない』と言われてたら、とっくの昔に私は卑屈になっていたと思う。他人と比較して、卑屈になることはなかったから、それはやっぱり、親がえらかったと思うのよ」

 翌年は「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」のトークイベントに参加。この時、十八歳以下の自殺は九月一日が最も多いことを知った。

2015年に山口県で行われたトークイベントに参加した樹木希林さん(全国不登校新聞社提供)

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 「九月一日に『嫌だなあ』と思ったら、自殺するよりはもうちょっと待って。世の中を見ててほしいのね。必ず必要とされるものに出会うから。そこまでは、ずーっといてよ。ぷらぷらと」

 樹木さんの思いを長女の内田也哉子さん(43)が知ったのは、樹木さんが「死なないで」とつぶやいた時。「あまりに命がもったいない」と繰り返す病床の母から、九月一日がどういう日なのかを教えられたという。

 「これは母からのバトンだ」と受け止めた内田さんは、石井さんや不登校経験のある若者らと対話を重ねた。「せっかく生まれたのなら、無理して急がず、最後にどんな景色を見られるのか、それを楽しみにしていきましょうよ」。母の言う「もったいない」とは、そういうことだったのではないかと今考えている。

 樹木さんのインタビューや内田さんの対話などの内容は、二日発売の「9月1日 母からのバトン」(ポプラ社)に収められている。

 (北島忠輔)

 

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