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<ともに歩む 中日教育賞50回> (中)グローバル化への対応

他言語で考える ディベートを終えた生徒たちに講評する池上教諭(左)=長野県松本市の松本県ケ丘高で

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 ヒト、モノ、カネが地球規模で動く「グローバル化」は、広く学校教育にも影響してきた。英語という言語の習得から、多文化の理解、そしてその先へ。中日教育賞の五十年の歩みは、その変化を映す。

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 「美容整形でコンプレックスがなくなれば自信が持てて幸せになれる」

 「中毒性がある。性格や体形を変えることでも自信は持てる」

 長野県松本市の松本県ケ丘高校の三年生は、英語の選択授業で四月からディベートに取り組む。今回の論題は「政府は美容整形を禁止すべきだ」。肯定側と否定側に分かれて議論を展開していた。

 様子を見守る池上博教諭(65)は、二〇一六年(第四十八回)の中日教育賞を「高校での英語ディベートの普及と指導法の発展」で受けた。「全国高校英語ディベート連盟」の設立にも携わった、英語ディベート活動の先駆者だ。

 県内の他の英語教諭らと動きだしたのは一九九二年。当時、英語の部活動に演劇やスピーチはあったが、チーム対抗で競う要素はなかった。「世界で渡り合うのに生かせる。感情を離れ、意見に対して賛成・反対を理論的に伝える訓練になる」と、みんなで考えた。

 翌年、第一回県大会を開催。勤務先の高校は一勝もできなかったが、試合後、生徒たちは「もっとやりたい」。もっぱら大学で取り組まれ、高校生には無理ではないかという意見もあった英語ディベート活動は、その後、岐阜県などの高校にも広がり、二〇〇六年には全国大会が開催された。

 池上教諭は「生徒が自分で考える力を養うこと」を一番に考えてきたと言う。連盟で採用しているディベート方式は、多様な生徒が取り組みやすいよう工夫した。全国優勝も経験し、一〇年には初めて世界大会に出場した。「ディベートがあって、生徒と一緒に成長し、世界が広がった」

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 この五十年、学校現場は海外と接触する機会がどんどん増えた。日本企業の海外進出により一九六〇〜七〇年代には、増加した帰国児童・生徒(帰国子女)への対応が課題に。「教育の国際化」が注目された八〇年代は、各地で海外の学校や地域の外国人との交流が盛んになり、九〇年代に入ると、外国籍の子どもたちが教室に増えていった。中日教育賞でも、地域ぐるみの国際交流や外国人児童・生徒への日本語指導などの取り組みに授賞した。

 さらに、地方の学校の学びの場を世界に広げたのが、インターネットの登場だった。桧鼻(ひばな)幹雄さん(61)は「インターネットを活用する国際理解教育」で二〇〇四年(第三十六回)中日教育賞を受賞。当時勤務していた福井県若狭町の上中中学校で、英語の授業と総合学習の時間をリンクさせ、英語という「道具」を使う場をつくった。前任の小学校でパソコンが導入された一九九八年から、授業でネットの活用を始めたという。

 上中中では学校や日本文化を紹介する英語版ホームページを作って海外の学校と交流し、水資源や少年兵などの問題を調べて英語でリポートも作った。米国オハイオ州の小学校とテレビ会議をして、二〇〇一年の米中枢同時テロを題材にスピーチを披露したこともある。

 「英語ができても、同時に相手の文化や歴史も学ばないと『コミュニケーション』には至らない」と、桧鼻さんはねらいを話す。自分や相手の歴史・文化を知ることが他者を尊重し、「共に生きる」ことにつながる。「国語でも社会でも、そういう視点で授業をすればすべてつながる」

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 国際理解教育が専門の椙山女学園大の宇土泰寛教授(68)は「記録的猛暑や災害から分かるように、特に気候変動という世界規模の課題には他国との協力が不可欠」と指摘する。環境や人権などを守るために国連が採択した「持続可能な開発目標(SDGs)」を教育に取り入れるべきだとする。「一つの教室に多国籍の子どもがいて、多様な解決案を出し合うことができる。環境問題などと多文化共生を同時に学ぶことができます」

 (辻紗貴子)

 

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