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高校生・大学生

松田亘哲投手に聞く ドラフトで中日育成1位

松田亘哲投手

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 十月に行われたプロ野球の新人選手選択会議(ドラフト会議)で、名古屋大四年の松田亘哲投手(22)が育成一位で中日ドラゴンズから指名を受けた。各界で多くの卒業生が活躍する名古屋大から初めてのプロ野球選手となる若者は、どんな少年時代を送り、大学時代をどう過ごしたのか。

 −野球を始めたのはいつですか。

 二歳上の兄が地元のスポーツ少年団に入る時についていき、小学一年で始めました。投手になった理由は覚えていません。有利とされるサウスポーだから、まわりに推されたのでしょうか。中学では学校の野球部ではなく、やはり兄を追って軟式野球クラブに入りました。当時は身長が一四〇センチほどと小柄で球速も遅く、投手として力不足。外野手で試合に出ることもたびたびでした。

 −中学卒業とともに野球はやめましたよね。

 高校野球となると、やはり硬式。硬球は重くて、力強い球を投げられる自信がなかった。「実力もないし、野球はもういいや」と体験入部で面白そうだったバレー部を選びました。レシーブが好きで、守備専門のリベロをやっていました。

 −名古屋大に現役合格。どんな勉強をしましたか。

 部活がなくなる定期テスト前は一生懸命やりましたが、部活がある日は帰宅後に予習や課題を少し。三十分もやらなかったかな。ただ面倒見のいい高校で、一年の時から通常の授業と同じような形で土曜に補習がありました。当時は面倒くさいと思っていましたが、基礎が身に付いたと思います。

 三年の春に部活を引退すると、朝の七時に登校して授業開始まで一時間ほど勉強。授業が終わると、夜の七時まで居残って勉強しました。家では英語の単語帳を眺める程度。文系の割に数学ができる方でしたが、教科の好き嫌いはなく、まんべんなく好きでした。塾に通ったことはありません。

 −なぜ大学で再び野球を始めたのですか。

 「やりたいな」って思ったんですよね。思い付きみないなものです。中学生の時に「無理だな」と感じた硬球だけど、高校生のころに遊びで硬球でキャッチボールをして「体が成長して、やれないことはないかな」と感じていました。

 −プロを意識し始めたのは。

 一年の冬に、社会人を含めて上のレベルを意識し始めました。というのも、投げ込みや走り込みを重ね、ご飯をたくさん食べて体重を増やした結果、入学時に最速百二十キロ余りだった球速が百四十キロに伸びました。そこで「大学卒業後も続ければ、もっと上達するのでは」と思いました。可能性を信じて練習するのが楽しかったです。

 −就職活動は。

 三年の夏ごろに企業のインターンシップ(就業体験)が本格化しますが、その時期には卒業後も野球を続けると決めていました。就職活動をする同級生を見ても焦りはありませんでした。プロや社会人野球から声が掛からなかったら、その時に考えようと思っていました。

 −同世代へのメッセージを。

 今はただの大学生。たいしたことは言えませんが、やりたいことがあるなら自分を信じて努力するだけです。とはいえ、努力しても結果が出る保証はありませんよね。僕の場合、がむしゃらにやっても、解雇されるかもしれません。

 そこで大事なのは「納得できるかどうか」ではないでしょうか。僕は「安定」は納得感を得るのに直接結び付いていなくて、「やりたいことをやる」ことに意味を感じているのかなと思います。

 (諏訪慧)

 <まつだ・ひろあき> 愛知県岩倉市出身。身長176センチ、体重80キロの左投げ左打ちで、最速148キロ。県立江南高から名古屋大経済学部に進み、西洋経済史のゼミで学ぶ。アルバイトは週に2回の塾講師。野球道具やプロテインなどにかかる費用はできる限り自分で稼いでいる。

 

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