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高校生・大学生

<あの頃> リチウムイオン電池開発の研究者・吉野彰さん

大阪市内で(撮影・川北真三)

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 著名人が、まだ何者でもなかった若い時代を振り返る「あの頃」。今回はリチウムイオン電池の開発者で、ノーベル賞の有力候補とされる旭化成名誉フェローで名城大教授の吉野彰さん(70)です。大学時代に考古学に夢中になった話から、研究開発の極意まで語ってもらいました。

     ◇     ◇

 −研究者を志したのはいつですか。

 化学に興味を持ったのが小学三、四年。担任の先生のご専門が化学で熱心に教わり、中高でも得意科目になりました。進学する時、ノーベル賞受賞者もいて独創的な研究ができそうな京都大がいいなと。ちょうど高度経済成長の時期で合成繊維が次々出てきて、バケツもブリキからポリに変わったころ。単なるサイエンスでなく、新しいものを生み出したいと、工学部の石油化学科に入りました。

 −大学で考古学研究会に入ったそうですね。

 教養課程の二年間は、いろんなことをした方がいいと言われ、石油化学は当時の最先端だったから、一番古いところの考古学をしようと。工事で土器が出てくると、発掘調査への協力依頼が来る。バイトも兼ね、平日の半分以上は遺跡現場にいました。最初は大きなスコップで掘って、途中からは小さなスコップやへらで削る。地道な作業だけれど、何か出てくるから面白くてね。考古学は文系の学問だけど、物的証拠を基に仮説を立てて検証していくのは研究開発によく似ていて、その後に役立ちました。他大学の考古研にいた家内とも知り合いました。

 京都の桂の近くで、地下五メートルくらいから、塔の柱の土台となる二メートルほどの石の心礎が出てきた時はびっくりした。結果的には、奈良時代の前の白鳳時代の樫原廃寺(かたぎはらはいじ)で、京都で最も古いお寺の一つでした。遺跡の保存運動もしました。国による土地買収を望んで新聞社を回り、署名集めも。結局、史跡公園という形で残りました。四、五年前に何十年ぶりかに一人で行ってきましたが、一応公園として残ってるんだからたいしたもんだ(笑)。

 −三年生からは専門の勉強に励み、後にノーベル化学賞を受ける福井謙一先生の孫弟子になりました。

 先生は普段は穏やかですが、「おまえたちは華々しい最先端の量子化学に憧れて来たんだろうけど、古典化学を一生懸命やらんとあかん」と怒られたことも。古典が分からんと最先端が分からんというのは、どの分野でも事実だろうね。

 大学での研究も面白かったけど、世界を相手に勝負しながら企業で研究開発する方がいいなと、修士を取った後は旭化成に入社しました。二年目から、新しい技術のたねを二年刻みで生み出す探索研究をしましたが、最初の三つのテーマはいずれも失敗しました。

 −四つ目のテーマが、リチウムイオン電池の開発。

 当時、電池の課題は負極の材料。電気が流れるプラスチックのポリアセチレンが良さそうと分かり、研究を始めたのが三十三歳です。三年目に入るころ、かなり致命的な問題も出てきて、胃に穴があきそうな時もありましたよ。でも、まあ何とかなりますわなあ、という能天気さが研究には絶対いるんだよね。執念深さと能天気。この二つをどうバランスさせるかが一番のポイント。ポリアセチレンに代わる材料を必死で探し、見つけました。

 ノーベル賞の受賞者が、授賞対象の業績の研究を始めた平均年齢がやはり三十代半ばだそうです。ある程度の権限も裁量もあり、でもまだ大きな責任は負わされておらず、万が一失敗してもやり直せて、私利私欲なしで挑戦できるのは数年間。極めて短い。

 −若い人への助言を。

 「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」という言葉があるよね。年を取ったら腰を低くしなさいよと解釈されているけれど、実る前はこうべを垂れたらいかん、とも言ってるんじゃないかな。若いうちは少々失敗していいからとんがっていけば、失敗を繰り返す中でも名をなすような仕事もできるよと。

 自分で物事を考える癖をつけることも大事。身近なことでいいし、言葉のお遊びでもいいから自分で仮説を立てて考えるといい。ネット社会になって必要な情報がボンボン入ってきてみんな満足してるけど、こういう時期こそ、自分で考えられる人が勝ちなんだな。他の人が考えない時にあえて自分で物事を考えて行動するんだから。そんな若い人が出てきてほしいなあ。

 (芦原千晶)

◆Profile

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 <よしの・あきら> 1948年、大阪府生まれ。自然の豊かな場所で育ち、トンボやカブトムシをよく捕っていたという。「あまり目立たずマイペースな少年だった」。府立北野高を卒業後、京都大工学部の石油化学科へ。2年間は考古学研究会で遺跡発掘に没頭=写真、前列左から3人目、本人提供。その後ノーベル化学賞受賞者の福井謙一氏の弟子、米沢貞次郎氏の研究室に入った。

 72年、京大大学院で修士課程を修了後、旭化成工業(現旭化成)に入社。85年にリチウムイオン電池の原型を作り上げた。「企業での研究開発の醍醐味(だいごみ)は、誰もができない技術を実現してマーケットを驚かせること」。当初の想定は8ミリビデオだったが、その後携帯電話やパソコンなど用途が爆発的に広がった。2017年から旭化成名誉フェロー、名城大教授。

 

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