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滋賀・呼吸器事件 再審確定

鑑定書の矛盾放置なぜ? 滋賀・呼吸器事件

◆食い違う死亡状況

昨年12月、再審開始が決まり、笑顔を見せる西山美香さん(中央)=大阪市で

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 昨年十二月に大阪高裁が再審開始を認めた滋賀県の呼吸器事件で、無罪を訴えながら殺人罪で十二年服役した元看護助手の西山美香さん(38)は今も心療内科に通い、トラウマ(心的外傷)に苦しむ日々を送る。事件が浮き彫りにしたのは、死亡患者の司法解剖鑑定書の矛盾を放置してきた裁判のずさんさだ。鑑定書は、呼吸器のチューブが外れていた前提で死因を判断。外れていなかったと認定した確定判決と食い違う。なぜ裁判では見落とされてきたのか。

 西山さんは昨年八月に満期出所した後、滋賀県彦根市内の実家で両親と暮らしている。事件で受けた心の傷は深く、「眠れない日が多い。両親のためにも頑張りたいが、一人でいると投げやりな気持ちになる。再審を闘う毎日が本当につらい」。不採用を繰り返した末にこの春、ようやく見つかったコンビニでの仕事と、冤罪(えんざい)支援団体の依頼で講演する「支援活動」が心の支えになっている。

 服役中も無罪を訴え続け、二度目の再審請求でようやく大阪高裁が再審開始を決定した。殺人ではなく自然死の可能性さえ指摘されたが、検察はすぐさま最高裁に特別抗告し、再審はまだ開かれていない。西山さんから「二十代」を奪い、今もなお平穏な日常をむしばむ事件は「鑑定書」の誤りから始まっていた。

 滋賀県東近江市の病院で脳死に近い植物状態の男性患者(72)が死亡したのは二〇〇三年五月。当夜、西山さんと当直していた看護師が気づき、慌てて当直医を呼んだ。看護師は「人工呼吸器のチューブが外れていた」と当直医に伝えた後、痰(たん)吸引をしたように診療記録を書いた。二時間おきにする吸引を怠っていたため、とっさに呼吸器の不具合を装ってしまった可能性が指摘されている。実際、別の当直看護師が警察に「痰吸引はしていない」と否定した。

◆「外れていた」前提

 だが「外れていた」は独り歩きした。司法解剖した鑑定医(滋賀医科大法医学教室教授=当時)は警察から伝えられた「外れていた」を理由に窒息死とする鑑定書を作成してしまった。

 これを前提に、警察は業務上過失致死容疑で捜査に着手。しかし、チューブが外れると鳴るアラーム(警報音)を病棟内で聞いたという証言がなく捜査は迷走した。一年後、「鳴った」と証言したのは西山さんだった。新たに西山さんについた三十代の刑事が「鳴ったはずや」と脅したためだ。重要な証言をした西山さんを警察官たちは落としにかかっていく。

 優しくなった刑事に好意を抱き、西山さんは呼び出しもないのに何度も通った。一方、責任を問われた看護師との板挟みに苦しんだ。連日の聴取でうつ状態に陥って自暴自棄になり「私がチューブを外した」とウソの「自白」に追い込まれた。自白の数時間前に受診した精神科では「不安神経症」と診断されていた。

 〇四年七月、西山さんが逮捕された段階で、看護師は「実際は外れていたか目で確認していない」と当初の供述を撤回し、県警は西山さんが一時的に管を外してから「つなぎ直した」という手口で立件した。

 検察側の筋書き通りなら「外れていた」が前提の「窒息死」は根拠を失う。だが、検察側が鑑定書を訂正しないまま翌年、一審大津地裁(長井秀典裁判長)は有罪判決。判決の中で、証拠採用された鑑定書の「外れていた」と、認定された「つなぎ直した」(その結果、発見時は外れていなかった)という犯行手口が矛盾したまま、併存する形になった。

◆弁護士「裁判官に有罪慣れ」

本紙が入手した鑑定書には、死亡発見時に「管が外れ」と誤った事実から死因が導き出された経緯が明記されていた

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 本紙が入手した鑑定書によると、「事歴」の欄に「看護師らが人工呼吸器の管が外れ、心肺停止の状態になっていることに気付き」と明記されている。事実誤認のまま死因を導いた経緯は明白だ。最高裁に特別抗告した大阪高検も矛盾について「確かに、人工呼吸器の管がつながっていたか否かという点で、解剖時に解剖医が得ていた情報と、確定判決が認定した事実に齟齬(そご)がある」と認めている。

◆計24人が審理

 無実の訴えは一審と高裁(若原正樹裁判長)、最高裁(泉徳治裁判長)、第一次再審(一審〜最高裁)、第二次再審一審の計七回の裁判で退けられた。裁判官計二十四人(一、二審は三人ずつ、最高裁は確定審五人、第一次再審四人)が関与したが、「鑑定書の誤り」と「一審判決の矛盾」とも見逃したことになる。なぜ繰り返し見過ごされたのか。

 「鑑定書は破綻している」。訴訟資料に目を通した元東京高裁判事の木谷明弁護士は驚きを隠さない。「呼吸器が外れていたという前提の鑑定書なのに、検察は『つなぎ直した』という正反対の主張。裁判官は『この点(矛盾)をどう理解すれば良いのか』と訴訟指揮すべきで、本来は確定審で無罪としなければいけない事件だ」と話す。

 実際、再審開始決定した高裁が着目したのも鑑定書の信頼性だ。決定は、鑑定書の証拠能力は「減殺された」として、患者は実際には自然死した可能性を指摘。「病死が殺人事件にされてしまった」という弁護側の主張を受け入れた。

 元刑事裁判官で在職中に裁判の改善のため「日本裁判官ネットワーク」の設立に携わった安原浩弁護士は、有罪率99%を超える日本の刑事裁判で生まれる「裁判官の有罪慣れ」が背景にあると指摘。「別件逮捕などの手法で自白させられても、裁判官は『そう簡単に殺人を自白するわけないだろう』と考え、少しぐらい矛盾があっても詳細な分析を怠ってしまう。構造的な問題だ」と深刻にとらえる。

 鑑定書の事実誤認が素通りした背景には、一、二審の弁護団が指摘しなかったこともある。当時の弁護団は「痰詰まり」「呼吸器の偶発的な外れ」「機械の誤作動」の可能性で反論し、窒息死は争わなかった。

無実の訴えが繰り返される獄中からの手紙(一部画像処理、アンダーラインは家族による)

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◆自白偏重は危険

 公判で見過ごされたのは鑑定書の矛盾だけではない。「取調官の手に手を重ねた」「刑務所移送前に『離れたくない。もっと一緒にいたい』と抱きついた」「拘置所に面会に来た刑事に頼まれ、検事あてに『もし否認しても本当の私の気持ちではありません』と上申書を書いた」。不自然な話も次々に明るみに出ていた。だが、判決は自白の任意性を認め、職場で孤立していた西山さんが刑事にこぼした「病院への不満」が犯行動機とされ、「迎合しやすい性格で、自白は刑事の誘導」という弁護側の主張は一蹴された。これに対し、再審決定では、捜査側の誘導の可能性を認めた。

 出所までの十二年、西山さんは両親に三百五十通余の手紙を書き、幼いころから友達ができなかった悩みや、「刑事を好きになり、気に入ってもらおうと必死だった」と告白。昨年四月、本紙取材班と弁護団の協力で、精神科医と臨床心理士が獄中で西山さんの精神鑑定を実施。軽度知的・発達障害があり、典型的な供述弱者と判明した。

 安原弁護士は「留置場や拘置所で『死にたい』などというだけでほとんど会話できない被疑者が、供述調書では理路整然と述べたように記載されているのに驚くことは、私の経験でもある。供述能力が劣る人ほど、誘導に乗りやすいことは事実。供述調書による事実認定は危険だ」と日本の司法の自白偏重を戒める。(角雄記、秦融)

 

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