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滋賀・呼吸器事件

西山美香さんの手紙・供述弱者を守れ 冤罪の解き方(6) 秦融(編集委員)

検察自ら特別抗告申立書で認めた「事実」の食い違い

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 「齟齬(そご)」。辞書によると、語源は中国語で「上下の歯がかみ合わないこと」。転じて、食い違うこと、掛け違うこと、行き違いが生じること、などとある。

 呼吸器事件で、大阪高検が最高裁に提出した特別抗告申立書の中にその言葉を見つけたときは、正直、驚いた。そこには、こう書いてある。

 「確かに、被害者の異常を発見した時点で人工呼吸器の管がつながっていたか否かという点で、解剖時に解剖医が得ていた情報と、確定判決が認定した事実に齟齬がある」

 ここで言う「解剖時に解剖医が得ていた情報」と、一方の「確定判決が認定した事実」とは何か。患者死亡時の人工呼吸器のチューブの状態のことだ。鑑定書は「外れていた」ことになっており、確定判決は、つながっていた、と認定した。正反対だ。かみ合わない、とか、食い違う、という次元の問題ではない。

◆アラームの“関門”

 「チューブの問題は、検察の致命的な欠点。それを指摘され、認めてしまったらね」。元裁判官の安原浩弁護士は、この期に及んでの検察の反論を「無理がありますね」と評した。

 供述弱者の元看護助手西山美香さん(39)は、この誤った鑑定書をもとに、警察官や検察官に「うその供述」をどう誘導されたのか。再審へと導くには、そこを解くカギが必要だった。

 この事件を西山さんが企てた殺人事件に仕立てるためには、避けて通れない“関門”があった。それは、チューブを外すとけたたましく鳴り響くアラーム(警報)音を、殺害時にどう鳴らないようにするのか、という難題だった。

 呼吸器に詳しい病院内の技師に対し、警察が「殺害方法」の指南を求める驚くべき質問が、技師の供述調書に残っている。

 「人工呼吸器を装着した所謂(いわゆる)、植物状態の人を誰にも知られずに人工呼吸器を操作して殺害する方法はどんな方法があるのか」

 技師は、この質問に「私自身、人の命を助ける仕事に就いていますので考えたこともないのですが」と、とまどいながら「もし、殺害するとしたら」と、完全犯罪マニュアルとでもいうべき手順を、呼吸器の特殊な機能をもとに説明した。

 アラーム機能はこうだ。(1)チューブが外れると一拍おいて鳴る(2)消音ボタンを押すと消える(3)一分後に再び鳴る。

 アラームを鳴らさないためには、チューブを外してすぐに消音ボタンを押し、一分たつ前に再び押す。これが技師の答えだった。だが、この完全犯罪マニュアルには、問題があった。

 第一に、思いついてすぐに実行できるような手口ではない。「かなりの訓練が必要ではないでしょうか」と技師は補足した。第二に、成功させるには、再び鳴りだすまでが「一分」だと正確に知っている必要がある。一瞬でも遅れると鳴りだすからだ。病院内にその「一分」を知る看護師は一人もいなかった。しかし、警察はつじつまさえ合えばよかったのだろう。「鳴り続けていてもほっておきました」という西山さんの当初の供述はまるで変わり、突然キーワードの「一分」が登場する。

 「消音ボタンを一回押せば、一分間アラームが消え、そのたびに消音ボタンを押した」

 調書には、二度目の消音ボタンを押す前に西山さんが、頭の中で「一、二、三…」と六十まで数えた、という供述も加わった。しかし、検事は正看護師でさえ誰も知らなかった機能を看護助手が「知っていた」では、公判を維持できない、と思ったのだろう。検事による調書では「知らなかった」になった。

◆高裁が矛盾を発見

 不自然な供述の変化の中に、大阪高裁(後藤真理子裁判長=現東京高裁部総括判事)の三人の裁判官は、弁護団でさえ気づいていなかった決定的な矛盾に気づいた。

 「知らなかったのであれば、なぜ、一分を頭で数えたのか」

 再審決定文では、チューブの「外れ」をめぐる客観的な事実の誤りから、自然死の可能性を指摘。それだけで結論を導かず、供述の「誘導」があった可能性から、自白の信用性を突き崩した。チューブは「外れていた」か「つながっていた」か。一分を「知っていた」か「知らなかった」か。客観的事実、誘導された自白とも論理が破綻した検察側の申立書には、二本立ての矛盾のいずれに対しても、納得のいく明確な反論は見当たらない。

 事実の誤り、供述の誘導にもとづく検察のシナリオそのものが完全に「齟齬」を来している。

=おわり

 一昨年十二月に大阪高裁が再審開始決定後、検察が特別抗告し、最高裁で審理が続く滋賀の呼吸器事件。足利事件と同じように、供述弱者だった二十四歳(当時)の看護助手が「自白」を誘導されていった事件の構図を、高裁はどう切り崩したのか、検証する。

 

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