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滋賀・呼吸器事件 再審確定

西山美香さんの手紙・供述弱者を守れ 冤罪の解き方(5) 秦融(編集委員)

大阪高裁の再審決定文の組み立てを「イチローが突然現れたような感じ」と例えた水野智幸法政大法科大学院教授

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 言い得て妙な例えだった。「野球に例えると、イチローが突然現れたような感じ。振り子打法で、足を上げて、それで打てちゃうんだ、みたいな」。呼吸器事件で、大阪高裁(後藤真理子裁判長=現東京高裁部総括判事)が示した再審決定文の論理構成を聞くと、元刑事裁判官の水野智幸法政大法科大学院教授から、そんな言葉が返ってきた。

 「まず読んで、すごい構成をしているな、と。第一次再審、第二次再審の地裁決定ともまったく違う。弁護人の再審請求の構成とも外れて、高裁が独自で組み立てている。すばらしいと思った」

 決定文の構成に興味を抱いたのは、司法関係者から賛辞が相次いだからだ。

 三十件以上の無罪判決を出した元東京高裁判事の木谷明弁護士は「異例ですね。再審裁判でこんな訴訟指揮を見たことがない」。刑事裁判官時代に日本裁判官ネットワークの設立に携わった安原浩弁護士も「構成がすごい。後藤さんという裁判長がおられたのは例外中の例外」と驚きを隠さない。

◆医学的な検証優先

 決定文の特徴は、最大の争点だった自白の信用性を後回しにし、チューブを「外れていた」と誤認した鑑定が導いた死因の窒息死の信用性を検証した上で「自然死」の可能性が相当程度あることを論証し、自白が誘導された可能性を立証する構成にある。

 水野教授は「普通なら自白の問題から入りがち。あえて医学的な検証を優先し、自白の任意性、信用性は少し抑え気味にしている。そこで勝負してない。医学的なところで、ほとんど決まりなんだよ、とした上で、自白を論じている」。安原弁護士も「客観的証拠が成り立たないことを論証した上で、自白の信用性を検証するという逆転の発想。これなら上級審でも崩れにくい。他の裁判官も見習うべきだ」と話す。

 この事件は自白の信用性を疑わせる経緯に事欠かなかった。西山さんは、取り調べ中には「もっと一緒にいたい」とA刑事に抱きつき、裁判前には「罪状認否で否認しても(略)私の気持ちではありません」とA刑事の要求通りに、検察官あての手紙を書くなど、心理的に支配されていた形跡が一審の法廷で明らかにされていた。それでも、自白を焦点に無罪判決や再審決定を導くのは裁判官にとって、危険だという。

 なぜか。安原弁護士は「自白が矛盾しても、検察が理屈をつけてああだこうだと言うことができてしまう。どちらにも解釈でき、崩されやすい」。水野教授も「裁判官が疑念を抱くと、検察側は有罪の支えにする証拠を次々に補充してくる」と無罪判決に対する検察の激しい抵抗を挙げる。弁護人の主張に沿って無罪判決を出しても、上級審で逆転されてしまうリスクは高いという。

◆無実は罰しない

 西山さんが両親への手紙で「全力で一生懸命裁判官にうったえます」と書いたように、検察の主張ばかりに寄らず、独自性を持つ裁判官こそあるべき姿と、多くの人は願うかもしれないが、現実は違うようだ。では、大阪高裁が独自の着眼点で訴訟指揮を展開できたのは、なぜか。「やはり『これは無実だ、救わなければ』と真剣に思ったからでしょう」と元裁判官の井戸謙一弁護団長は言う。

 再び、イチローの打撃に戻る。まだ鈴木一朗と呼ばれていた高校三年のドラフトのとき、私はプロ野球の中日担当記者だった。その三年後、210安打のプロ野球記録を打ち立てたシーズンの印象は鮮烈だった。球史に前例のない打撃は往年の名打者らをも仰天させたが、独自の打法は、類いまれな選球眼、バットスピード、バットコントロールなくしては不可能だった。

 裁判官に例えれば、独自の訴訟指揮に不可欠なのは、検察主張の矛盾を見抜く着眼、限られた時間で膨大な情報を処理する能力、無罪を立証するスキのない判決文の構成力、ということになろうか。

 それに加えて、欠いてはならない必須の要素がある。

 裁判官として、無実の人を罰してはならない、という強い信念の持ち主であることだ。それは、イチローが海の向こうを見渡してもなお、他の誰にも勝る「安打への強烈な思い」を持つのと同じことでもある。

 一昨年十二月に大阪高裁が再審開始決定後、検察が特別抗告し、最高裁で審理が続く滋賀の呼吸器事件。足利事件と同じように、供述弱者だった二十四歳(当時)の看護助手が「自白」を誘導されていった事件の構図を、高裁はどう切り崩したのか、検証する。

 

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