トップ > 特集・連載 > 改元特集 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

改元特集

紡いだ言葉 つなぐ思い

【戦争】

 天皇陛下「今の日本はどん底です。どんなに苦しくなってもこのどん底からはい上がり、今よりも立派な新日本を建設しなければなりません」(一九四五年、終戦直後、十一歳の時、作文に)

 陛下「多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」(七五年七月、初の沖縄訪問で慰霊に訪れた「ひめゆりの塔」で、火炎瓶を投げ付けられた際の談話)

 陛下「日本では、どうしても記憶しなければならないことが四つあると思います。(終戦記念日と)広島の原爆、長崎の原爆の日、そして六月二十三日の沖縄の戦いの終結の日」(八一年八月、夏の定例会見)

 陛下「(戦争は)浩宮にとっては本当に過去の歴史になるわけですね。それだけにやはり身近に感じないということがあると思います。ですから、沖縄の人が経てきた道という問題は十分に知ることが大事だと話したことがあります」(八六年十二月の誕生日会見)

 皇后さま「特に疎開先で過ごした戦争末期の日々のことは、とりわけ深い印象として心に残っています。当時私はまだ子どもでしたが、その後、年齢を増すごとに、その時々の自分の年齢で戦時下を過ごした人々のことを思わずにはいられません」(九四年十月、誕生日の文書回答)

 陛下「沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです」(二〇〇三年十二月、誕生日会見)

【被災地】

 陛下「亡くなった方や目の前で肉親を失った人たちのことを考えると胸が締め付けられる思いです。これから寒さに向かい、頼る人々を失った上、住む家も、着るものもなく、生活の手段もなく、病気に苦しむ人たちのことを考えると本当にご同情に堪えません」(一九五九年十月、伊勢湾台風の被災地訪問後、記者団に)

 陛下「どうか復興に向けての希望を失うことのないよう、一日も早く被災地の生活が立ち直り、人々の上に安寧がもたらされることを切に祈っています」(九五年一月、阪神大震災被災地訪問の感想)

 皇后さま「当初は、ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした。東北三県のお見舞いに陛下とご一緒に参りました時にも、このような自分に人々を見舞うことができるのか、不安でなりませんでした」(二〇一一年十月、誕生日の文書回答で、東日本大震災について)

【結婚】

 陛下「まあ、努力賞というようなことにしようかと思っています」(一九八四年四月、結婚二十五年を機に、夫婦で点を付けるとしたら、と問われて)

 皇后さま「差し上げられるとしたら、お点ではなくて感謝状を」(同)

 陛下「結婚五十年に当たって贈るとすれば感謝状です」「結婚によって開かれた窓から私は多くのものを吸収し、今日の自分をつくっていったことを感じます」(二〇〇九年四月、結婚五十年会見)

 皇后さま「このたびも私はやはり感謝状を」「この五十年間、陛下はいつも皇太子、また天皇としてのお立場を自覚なさりつつ、私ども家族にも深い愛情を注いでくださいました。陛下が誠実で謙虚な方でいらっしゃり、また常に寛容でいらしたことが、私がおそばで五十年を過ごしてこられた何よりの支えであったと思います」(同)

【象徴】

 陛下「私はこの運命を受け入れ、象徴として望ましい在り方を常に求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません」(一九九四年六月、訪米前の米メディアからの質問への文書回答)

 陛下「新たな公務も、そこに個人の希望や関心がなくては本当の意義を持ち得ないし、与えられた公務を真摯(しんし)に果たしていく中から、新たに生まれてくる公務もあることを、私どもは結婚後の長い年月の間に経験してきたからです」(二〇〇四年十二月、誕生日の文書回答)

【務め】

 陛下「(皇室という)立場上、ある意味ではロボットになることも必要だが、それだけであってはいけない」(一九六九年八月、結婚十周年を機に)

 陛下「憲法上、直接の警告、指導はできないが、人に会う機会が多いので、そのつど問題を質問形式で取り上げ、気付いてもらうように努めています」(同)

 皇后さま「人は一人一人自分の人生を生きているので、他人がそれを十分に理解したり、手助けしたりできない部分を芯に持って生活していると思うのです。そうした部分に立ち入るのではなく、そうやって皆が生きているという事実をいつも心にとめて人にお会いするようにしています」(八〇年十月の誕生日会見)

 陛下「やはり、この国の象徴、国民の統合の象徴である、ということがどうあるべきかということを常に求めていくことにあるのではないかと思います」(八七年十二月の誕生日会見。あるべき天皇像について)

 陛下「日本国憲法および皇室典範の定めるところにより、ここに、皇位を継承しました」「皆さんと共に日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓います」(八九年一月、即位後朝見の儀でのお言葉)

 皇后さま「昭和三十四年のご成婚の日のお馬車の列で、沿道の人々から受けた温かい祝福を、感謝と共に思い返すことがよくあります。民間から私を受け入れた皇室と、その長い歴史に傷を付けてはならないという重い責任感とともに、新しい旅立ちを祝福して見送ってくださった大勢の方々の期待を無にし、私もそこに生を得た庶民の歴史に傷を残してはならないという思いもまた、その後の歳月、私の中に常にあったと思います」(二〇〇四年十月、誕生日の文書回答)

 陛下「真実に生きるということができる社会をみんなでつくっていきたいものだと改めて思いました」(一三年十月、熊本の水俣病資料館で。差別や偏見のため認定申請ができなかった体験を語り部から聞いて)

 陛下「これまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、同時に事に当たっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました」(一六年八月、「象徴の務め」についてのビデオメッセージ)

【本】

 皇后さま「貧困をはじめとする経済的、社会的な要因により、本ばかりか文字からすら遠ざけられている子どもたちや、紛争の地で日々を不安の中に過ごす子どもたちが、あまりにも多いことに胸を塞(ふた)がれます」(二〇〇二年九月、スイスで開かれたIBBY創立五十周年記念大会で)

 皇后さま「学生のころよく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もう一度長い時間をかけて本の立ち読みをしてみたいと思います」(〇七年五月、欧州訪問を前にした会見で、身分を隠して一日を過ごせるなら、と問われ)

【皇太子】

 皇后さま「四年間、強く感じたことですが、第三者が真剣に働いている姿を見る機会に恵まれていません。食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです」(一九六四年二月、皇太子さま四歳の誕生日を前に)

 陛下「私は二人を可能な限り、分け隔てしないでいきたい。(通学するようになるまでは)上の方(皇太子さま)は自由に、下の方(秋篠宮さま)は窮屈にとの方針で育てたいと考えています」(六五年十二月、男児二人の教育について)

 皇后さま「浩宮(皇太子さま)の人柄の中に、私でも習いたいというような美しいものを見いだしています。浩宮を大切に思っているとしか申し上げられません」(七四年十月、四十歳の誕生日を前に)

 皇后さま「浩宮が将来の立場を自覚して、皇室の歴史を貫く仁の心を身に付けていってほしいと思います」(七七年十月の誕生日会見)

 皇后さま「今持っている謙虚さと明るくて楽しい性格を失わずに、一つ一つ新しい世界を開いていってほしいと望んでいます」(皇太子さまの将来について、八二年十月の誕生日会見)

【次代へ】

 皇后さま「陛下はご譲位とともに、これまでなさってきた全ての公務から御身を引かれますが、以降もきっと、それまでと変わらず、国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います」(二〇一八年十月、誕生日の文書回答)

 陛下「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、さらに次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」(一九年二月、在位三十年記念式典で)

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山
地方選挙

Search | 検索