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闘病体験 増える発信 知恵や課題 広く共有を

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 自らのがんを公表し、闘病体験を社会に向けて積極的に発信する患者が増えている。病気になっても自分らしく生きる姿や、治療、生活の中での経験を広く伝え、多くの人とがんに関する知恵や課題を共有することが、彼らの願いだ。医療の進歩で生存率が伸び、体験を語れる人が増えていることに加え、会員制交流サイト(SNS)など伝達手段が多様化したことも大きい。 (山本真嗣)

 「がんが人をだめにするのではなく、『がんだから、だめ』と思う気持ちが人をだめにする。寿命は延ばせないかもしれないが、人生は考え方で変えられる」

 五月中旬、名古屋市内の介護施設であった、介護、医療関係者が学び合う場「ケアカフェ名古屋」。講師の薬剤師久田邦博さん(56)=同市=が、参加者約五十人に自らの闘病体験を語った。

自身が慢性骨髄性白血病と分かった、2001年ごろの子どもたちの写真を見せながら話す久田さん=名古屋市千種区で

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 慢性骨髄性白血病と診断されたのは、十八年前。大手製薬会社の営業マンとしてキャリアを重ねていた三十八歳の時だ。家庭では、主婦の妻と幼い息子四人を養う大黒柱だった。

 当時、同じ病の人の半数は診断後三年半で亡くなっていた。「十歳の長男が成人し、大黒柱の役割をバトンタッチできるまで十年は確実に生きたい」。医学論文などを徹底的に調べ、治療法を選んだ。

 がんそのものより、父親や夫、会社員といった「役割」を失うのではないか、ということへの恐怖が心をつらくした。半面、死に直面したことによって気付いた幸せもある。子どもから「お父さん」と呼ばれたり、朝起きて妻と顔を合わせたりする瞬間…。そんな日常に感謝を覚えた。

 二〇〇一年九月、病床で見た米中枢同時テロのニュース。「死がいつ訪れるかは、誰も分からない」と実感した。同時に「死ぬまでは、生きている。充実させなければ損だ」と。

 診断から三週間で会社に復帰。〇二年四月から新人研修の担当を任され、彼らの記憶に残る研修をすることが夢になった。取引先の病院に頼まれ、職員研修で闘病体験を話したところ、他の病院や企業などから講演依頼が急増。がんになっても楽しく生きる方法や患者との接し方、治療と仕事の両立などテーマは多彩で講演は八百回以上に上る。

 新薬が効き、目標の十年は大きく超えた。定年まで十年を残した今春、講演などに集中するため、退社した。これまでにかかった医療費は約七千万円で、多くを公的な医療保険で賄った。「大勢の人に支えられて自分の命がある。少しでも経験を社会に還元したい」

求められる正確な情報

NPOがセミナー開催

情報発信の方法を学ぶがん患者ら=5月、東京都千代田区で

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 情報を発信する患者は年々、増えている。がん患者を支援する認定NPO法人「キャンサーネットジャパン」(CNJ、東京)の大友明子さんによると、乳がん患者のブログだけでも二千ほどに上るという。

 一つには、医療の進歩で早期にがんが見つかって完治したり、治療を続けながら仕事や結婚、出産など普通の生活を送ったりすることが可能になったことがある。「がんとともに生き、充実した生活を送るための知恵や情報が求められている」という。一方、正しい知識がないと、思い込みや科学的根拠に基づかない情報を広める恐れもある。

 CNJは一三年から、がん患者や家族らを対象に、がん医療の現状や医療政策、メディアの活用法、効果的なプレゼンテーションの方法などを学ぶ「がんサバイバー・スピーキング・セミナー」を、東京で開催している。セミナーーはこれまで六回開催されたが、毎回、三十人の定員を上回る応募がある。久田さんや、本紙のこの面で「舌はないけど」を連載中の荒井里奈さんも修了生だ。講師の一人で、聖路加国際病院副院長の山内英子さん(56)は「自分の経験を他の人のために生かすことができれば、そのことが自らの生きる力にもなる」と話す。

 

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