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医療

「限りある生」輝かせて ステージ4がん患者3人座談会

残された日々を 私らしく生きる

満開の桜をバックに談笑する(左から)加藤那津さん、渡辺さゆりさん、都築修さん=名古屋城で

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 がん医療の進歩を受け、最も進行したステージ4でも、社会の中で過ごせる時間が長くなった。仲間と支え合いながら、あるいは仕事に打ち込みながら、残された日々を自分らしく生きる人たちがいる。乳がんの加藤那津さん(40)、大腸がんの渡辺さゆりさん(49)、肺がんの都築修・中日新聞名古屋本社編集委員(58)のステージ4患者三人が、「限りある生を輝かせる」をテーマに語り合った。 (聞き手・安藤明夫編集委員、構成・生活部医療班)

かとう・なつ 名古屋市緑区、元大学職員。2009年、乳がん告知(ステージ0)。右乳房温存手術を受け、放射線とホルモン療法を始めたが、13年に再発し、全摘。14年、乳房再建手術。16年、肝臓に転移、ステージ4に。進行を止めるためホルモン療法、抗がん剤、分子標的薬と治療変更を重ねる。若年がん患者の会「くまの間(ま)」主宰。愛知県と名古屋市のがん対策関係の委員も務める。

わたなべ・さゆり 長野県飯田市、元英語講師。2015年、大腸がんが判明。多発リンパ節転移がありステージ4と告げられる。大腸の切除後、抗がん剤治療。18年、肺転移。尿路ステントを設置。19年3月、肺がんの進行と肝臓転移で余命半年以下の告知。地元の長野・飯田市立病院の患者会「ひだまりかふぇ」代表、愛知県がんセンターの外国人患者支援団体「Evergreen(エバーグリーン)」副会長。

つづき・おさむ 名古屋市守山区、中日新聞編集委員。2018年10月、当時の勤務地、愛知県半田市で受けた健診で両肺に異常が見つかる。精密検査の結果、肺腺がんで膵臓(すいぞう)に転移、ステージ4と診断される。自宅に近い愛知県がんセンターに入院。現在は抗がん剤の治療を受けている。19年2月から職場復帰。通常勤務をしている。

【大切にしていること】

「行きたいところへ行く」 加藤

加藤那津さん

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 −大切にしていることは? 

 加藤 ステージ4と告げられたのは二〇一六年八月。それからは会いたい人に会い、行きたいところを旅して、思い残すことがないようにしている。今年も大好きな屋久島に二回行ったし、米国の若年性乳がん患者のサミットにも参加した。体調が悪いと落ち込むが、良くなるとじっとしていられない。

「仲間と経験分かち合う」 渡辺

渡辺さゆりさん

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 渡辺 ステージ4と言われて丸三年。その時言われた「余命二年半」を目標にしてきたが、そこを過ぎたら踏ん切りがついた。「生き切った」と。私が経験したことを、必要としている人たちに届けたいという思いが強くなった。

 地元の長野県飯田市の病院で昨年十一月から、患者らが集えるカフェを開いている。受診している愛知県がんセンターでは、英国人患者と共に外国人向けの患者会を設立した。国や言葉が違っても悩みは同じ。仲間が支え合う大切さを痛感している。

「普段通りの生活続ける」 都築

都築修さん

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 都築 「普段通りの生活」が望み。治療の関係で、昨年十二月から会社を二カ月間休んだが、自分はいかに仕事が好きかを再認識した。復職できて満足している。酒もたばこも続けている。これまでの日常を否定するのは嫌なので。

 三月に娘が結婚した。告知をされた時に、余命は十五カ月ほどと言われた。子どもが小さければ取り乱したかもしれないが、二人とも成人した。私が死んだ後、妻が経済的に困ることもなさそう。次の世代にたすきを渡せたかな、と。

 

 −周囲にあきれられても、譲れないことは?

 加藤 病気になってから、山登りやマラソンを始めた。二年前の名古屋ウィメンズマラソンでは、初めてフルマラソンに挑戦。足に激痛を感じながらも完走したが骨盤を骨折した。無理をしたのは、完走するともらえるティファニーのネックレスを、主治医の女性の先生にプレゼントしたかったから。以降、何かをやるときは先生におうかがいを立てるが、「止めてもやるよね?」と言われる。

 渡辺 「患者向けのセミナーがあるから、治療の日程をずらしてほしい」とか伝えている。それを言えるのは、先生たちに恵まれているから。最期まで自分らしく生きる上で、医師との信頼関係はとても大事。

【乗り越えてきたこと】

 −告知の時は。

 加藤 最初にがんと言われた時は、何となく分かっていたので、ふざけて「ガーン」と言った。でもそれ以外は記憶がない。やはりショックだったんだと思う。

 渡辺 予感はしていたが取り乱した。何が悲しいのかは分からないけれど、泣いて泣いて。事実を受け入れている自分がいる半面、心がついていかなかった。

「突然の告知 妻は泣いた」 都築

 都築 去年の春の人間ドックでは異常なし。一足飛びにステージ4とは驚いた。それでも、自分自身は淡々と受け入れた。隣で妻は泣き叫んでいたが。

 伯父や父ががんだったこともあり、「がんで死ぬのも悪くない」とどこかで思っていた。不慮の事故などと違ってどれぐらい生きられるかが分かるし、他の人にうつす心配もない。自分の体の細胞が変異したがん細胞は、自分の人生そのものという気もした。

 渡辺 最初は、みんなに「申し訳ない」と感じた。世話をしてもらわないといけないと思ったから。でも、人との別れも含め、がんは死ぬまでに準備する時間がある。おぼれかけると仲間が支えてくれた。治療や副作用のつらさと向き合い、一つ一つ「大丈夫」を重ねてきた。ここまでできる、ここまでできると。

 加藤 がんだと分かってから、やりたいことを全部書き出した。でも、今度は「これを実現させたら生きる目標がなくなるんじゃないか」と落ち込んで。でも、「そのときはまた新しいことが出てくるから、やりたいことをやればいい」と医師に言われ、前を向けた。二〇一五年に若いがん患者の会「くまの間」をつくったことも支えだ。

 −家族の存在は。

 加藤 必要以上に病人扱いはせず、必要なときに必要な手を差し伸べてくれている。

「死の話 避けていた夫」 渡辺

 渡辺 夫は最近まで「治る」という期待を持っていた。彼も怖かったんだと思う。でも、死について話さないといけない時に避けられるのはつらかった。事実を受け入れた今は、介護休暇を取ってくれるまでになった。

 都築 妻も加藤さんのように、やりたいことリスト、行きたい所リストを作ったりしたけれど、「普段通りがいい」という私の思いを理解してくれるようになった。感謝している。

【旅立ちの準備】

 −「もしバナゲーム」=メモ=をやります。大事にしたいと思うカードを三枚選んでください。

 渡辺 私は「いい人生だったと思える」「私の思いを聴いてくれる人がいる」「親友が近くにいる」の三枚。生きることは人と関わること。そういう時間を過ごして「あー、面白かった」と言って死にたい。

 加藤 「私が望む形で治療やケアをしてもらえる」「家族の負担にならない」「私を一人の人間として理解してくれる医師がいる」を選んだ。これ以上の副作用は嫌だと思ったら、緩和ケアだけにしたい。主治医や緩和ケアの先生は私を一人の人間として見てくれるので安心している。

 都築 私は「死生観について話せる」「自分の身体がどう変わっていくかを知る」「家族が私の死を覚悟している」の三つ。死を迎えたとき、自分はどう感じるかを知りたい。身体がどうなるかも予備知識として知っておかないと。家族については、できるだけ衝撃が少ないよう濃密な時間を過ごしたい。

 −最期はどこで?

 都築 「日常の延長線上で逝く」が理想なので、自宅がいい。

 渡辺 私も自宅で。夫の負担がものすごいとは分かってはいるけれど、お願いしようと思っている。今、介護サービスの申請などいろいろな準備をしている。

「最期は緩和ケア病棟で」 加藤

 加藤 名古屋市に働きかけた結果、昨年度から二十、三十代の在宅療養を支援する助成制度が始まった。その時点では在宅志向だったが、今は緩和ケア病棟でと考えている。慣れ親しんだ病院で、お世話になった先生たちにみとってもらえるから。

 −こうして「死」について語ることは、多くの人にとってまだまだタブーだ。

 加藤 家族だけで話そうとすると、「そんな話はしたくない」といわれるかも。そういう時は、患者会や緩和ケアの先生ら第三者を交えると話しやすい。

 渡辺 死について考えることは、どう生きるかを考えること。そういう姿勢で、みんなが死を語れるようになれば。恐れて避けてしまってはいけない。

 都築 告知された時から「逃げず、恐れず、取り乱さず」が三本柱。家族や死生観を考えるいい機会かなと。がんで死ぬことを肯定的にとらえたい。

【もしバナゲーム】 「余命半年」と告げられた時に何を優先したいかを、36枚のカードを使って元気なうちに話し合うゲーム。「もしものための話し合い」の略。千葉県の亀田総合病院のチームが作った。参加者は、「痛みがない」「尊厳が保たれる」などと書かれたカードから自分が大事にしたい事柄を選び、理由を話す。

↓↓↓座談会の様子を動画で見られます。

 

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