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医療

骨髄移植に私は救われた 4年前に白血病 静岡の25歳女性

ダンスの夢再び、ドナー増に奮闘

 競泳の池江璃花子選手(18)の白血病公表をきっかけに骨髄移植への関心が高まる中、若年層のドナーを増やそうと、四年前に白血病になり、翌年、移植を受けた女性が奮闘している。静岡県富士市のパート事務員石井希(のぞみ)さん(25)は大学の競技ダンスの選手だった二十一歳のときに、急性骨髄性白血病を発症したが、骨髄移植で救われた。若者に経験談を語りながら、もう一度ダンスを踊る夢を抱く。(河野紀子)

(右)白血病を発症する前、競技ダンスに打ち込んでいた石井希さん=2014年9月、埼玉県で(石井さん提供)

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 東京の大学で部活のダンスに打ち込んでいた二〇一五年一月。体がだるく、四〇度近い高熱が出た。病院の検査で血小板の数値が異常に低く、即入院となった。白血病と診断された。

 抗がん剤治療を始め、大学は休学。ダンスもやめざるを得なかった。当時、大学三年生。最後の大会で成績を残そうと頑張っていた。

 当初から骨髄移植が検討され、型が一致する人が複数見つかった。だが、全員辞退したと医師から聞いた。ドナーの負担も理解でき「やむを得ない」と自らに言い聞かせた。半年の入院と抗がん剤治療で、いったんはがん細胞が消えたが、四カ月後に再発した。

 医師から「骨髄移植しか助かる道はない」と告げられ、型が完全に一致しなくても移植することを選択した。ただ、ドナーの免疫細胞が患者の体を攻撃するなど、重い合併症が出る可能性があり、初めて死を意識した。

骨髄液が入ったバックを見つめる石井さん=16年2月、静岡県長泉町の静岡がんセンターで(石井さん提供)

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 型が似たドナーが見つかり、提供に同意してくれた。強い抗がん剤と放射線で、自らのがん細胞と正常な血液細胞を壊した後、ドナーの骨髄液を静脈から四時間かけて注入した。ドナーは「三十代の女性」とだけ知らされた。血液型が、A型からドナーのO型に変わった。「ドナーの方の血液が流れ、生まれ変わったように感じた」

 二カ月後に退院し、その一年後に復学。卒業論文のテーマに骨髄移植を選んだ。学生へのアンケートで、詳しく知っている人が少ないことを実感。昨春の大学卒業後、日本骨髄バンク(東京)の「ユースアンバサダー」の第一号となり、大学などでの講演や寄稿を通じて若年層に登録を呼び掛ける。

骨髄移植の経験を話す石井さん=静岡県冨士市で

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 現在は経過観察中だ。免疫力が落ち、風邪で二週間ほど寝込むこともある。富士市の就労支援の窓口を通じ、治療との両立に理解のある福祉用品関連会社に就職した。パートで週四回、短時間勤務をしている。

 池江選手の公表を聞き、「悔しさはすごく分かる」と闘病を案じ、ドナー登録が増えていることに「影響は大きい」と感謝する。

 退院後、ダンス用のシューズを新調した。体力にまだ不安はあるが「いつか得意のラテンダンスを踊りたい」。ドナーから受け取った命の大切さを伝えながら。

 

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