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医人伝

松野歯科医院(浜松市中区) 静岡県警察協力医 松野彰さん(67) 遺族のため冷静に検視

東日本大震災での経験を話す歯科医師で静岡県警協力医の松野彰さん

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 静岡県警の歯科協力医として約二十年間、災害や事件、事故で犠牲になった人の遺体と向き合ってきた。

 忘れられない現場がある。二〇一一年五月、東日本大震災後で被災した宮城県南三陸町でのことだ。避難所裏に設置された検視作業用のテント。口の中を照明で照らし、歯の状態を一本一本確かめ、記録していく。

 避難所では空のひつぎを机に子どもたちが勉強していた。テント前に車が到着すると、子どもたちは手を止め、車に向かって合掌した。自然と涙が出た。「きっと、子どもたちはうすうす分かっていたんです。テントに遺体が次々に運び込まれていることを。そして、それが自分の家族かもしれないことを」。自身の仕事の重みを実感した。

 歯は「人間の履歴書」といわれ、生前の治療記録と照合すれば、身元特定の大きな手がかりになる。一九八五年の日航機墜落事故を機に、警察活動を手助けする協力医が全国で組織された。静岡県では事故翌年の八六年に発足。松野さんは、検視に長年携わってきた先輩の歯科医師に知識や技術を教わり、この道に入った。

 協力医として活動する日は、経営する歯科医院は休まざるを得ない。県から手当は出るが、本業への影響を考えれば、ほぼボランティアだ。それでも「生死が分からないままでは遺族が前を向けない。遺族の“復興”を助けたい」と話す。長年の功労が認められ、二〇一七年には県警本部長から感謝状を受けた。

 浜松市天竜区出身。父親が薬剤師だったため、「自然と医療系の道に進もうと思った」という。岐阜歯科大(現朝日大、岐阜県瑞穂市)を卒業後、浜松市で一九八二年、松野歯科医院を開業した。「私も患者も一緒に年をとってきたね」。歯科医師としての人生は、地域とともに歩んだ歴史でもある。二〇〇七〜〇八年度には浜松歯科衛生士専門学校の校長も務めた。

 静岡県は、南海トラフ地震の脅威が叫ばれて久しい。近年は検視のスペシャリストとして、学会や防災訓練を通じて地域の若手に技術を引き継ぐことに力を注ぐ。「東日本大震災で体験したことを生かし、現場で冷静に行動できる歯科医師を増やしていかないといけない」

 「体が動く限り、続けていきたい」。自らももちろん、生涯現役を貫くつもりだ。 (鎌倉優太)

 

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