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考える広場

ボランティアとは?

 一九九五年は「ボランティア元年」。同年一月の阪神大震災がきっかけだった。それから四半世紀。ボランティア文化が広がる一方、半ば「押し付け」のようなケースも。ボランティアとは何だろうか。

 <阪神大震災とボランティア> 1995年1月17日に発生した阪神大震災では、被災地に全国からボランティアが駆け付け、復旧・復興を手助けした。これを契機に普通の人にもボランティアが浸透。政府は同日を「防災とボランティアの日」と定めた。災害時に限らず、スポーツ大会や地域活動などでもボランティアは活躍している。ただ、東京五輪・パラリンピックでは東京都が中学・高校にボランティア体験会への参加を求めたとして批判された。

◆「やれるだけ」でいい サッカー元日本代表・巻誠一郎さん

巻誠一郎さん

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 熊本地震の前震が発生した二〇一六年四月十四日夜、県内のサッカー場でスクールをしていました。けが人はなく、グラウンド近くの実家にいた家族も無事でした。しかし、十六日未明の本震の被害は大きく、実家の裏の家が倒壊しました。

 交通インフラやライフラインが止まり、物資がない。まずは自分の会員制交流サイト(SNS)で物資を送ってもらうよう呼び掛けました。次に、熊本と福岡に倉庫を借りて物流拠点にしました。できることが徐々に増え、仲間を募って民間の支援団体「ユアアクション」を立ち上げました。

 募金用の口座を設けたり、必要な物資のリストを作って全国の人にネット通販で購入して送ってもらったり。行政は平等に支援しないといけない。でも、僕たちは、目の前に困っている人がいたら、その人から助けるというスタンスでした。

 地震から一週間ほどたったころ、ある避難所から子どもたちと一緒にサッカーをしてほしいと頼まれました。こんな状況の中、サッカーをしていいのだろうか。不安もありましたが、やってみたら子どもたちがみな楽しそうで、見ている大人たちも笑顔になって。これは続けるべきだと確信しました。

 避難所訪問は、一回だけではあまり意味がないので、同じ所を何度も訪ねました。そうやって寄り添い、状況や心の変化を知ることで、丁寧で繊細な支援ができたと思います。ただ、僕は地元にいて、自由な時間もあったからできたんです。ユアアクションの理念は「あなたのやれることをやれるだけ」。ボランティアは「できること」だけでいいんです。

 スポーツ選手や芸能人など、いわゆる有名人の強みは情報発信力だと思います。SNSなどで積極的に被災地の現状を伝える。それを見て、被災地を応援しようという気持ちになってくれる人もいるはずです。

 いろいろな被災地を回って感じたのは、災害が起きてからでは遅いということ。大切なのは常日頃からのコミュニケーションです。サッカーは一つのツールになります。誰かに向かってボールを蹴れば、必ず蹴り返してくれる。その繰り返しでコミュニケーションが生まれます。

 今後もサッカーを通して人や社会とつながり、情報を発信していきたいと考えています。

 (聞き手・越智俊至)

 <まき・せいいちろう> 1980年、熊本県生まれ。2003年、ジェフユナイテッド市原入団。06年ワールドカップ日本代表。14年、ロアッソ熊本に移籍、18年で引退。NPO法人ユアアクション理事長。

◆隙間を見つけて動く 全国災害ボランティア支援団体ネットワーク代表理事・栗田暢之さん

栗田暢之さん

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 始まりは二十五年前の阪神大震災でした。当時私は同朋大(名古屋市)の学生課の職員。被災地では障害者が二重の苦しみを受けているという報道を見て、学生たちが「自分たちでも何かできることがあるのでは」と窓口に来たのです。上司の理解もあって彼らを引率して現地入り。二カ月間滞在し、延べ千五百人が活動しました。

 ボランティアに対しては「偽善だろ」という冷めた見方があります。言われるまでもありません。私たちが震災の被災地に入った時まず感じたのは、「おまえら何しに来たんだ」という冷ややかな目でした。ところが学生たちは「お手伝いさせてください」と言って通い続けたんです。いろんな課題を見つけてきては解決の工夫をしました。

 やがて学生たちがボランティアサークルをつくり、私は顧問に。ほかの団体にも広がり、ネットワークができていきました。自分たちだけではなくて多くの人たちの参画が必要だという共通認識があったからです。

 尾畠春夫さんがスーパーボランティアとして注目されましたね。実は、災害の現場には「尾畠さん」がいっぱいいます。さっと現れて自分のできることを黙々とやって去って行く。そういう人たちが被災地を支えています。ただ個人の活動には、いつまで、どこまでやれるのかという限界がある。私たちNPOの仕事はその後も続きます。長い道のりの復旧復興を支援するために、多様な被災者と多彩なボランティアが出会える環境をつくることです。

 その延長で社会福祉協議会や行政との連携が出てきます。すると、「NPOは行政の安上がりな下請けになっている」との批判も聞こえるようになりました。確かに、国の審議会に出ると、資料によく「ボランティアの活用」と書いてある。私たちが「活用してください」と言うのはいいが、他者から「活用する」と言われたくないと言っています。まだまだ行政側は上から目線。東京五輪もそうでないことを願っています。行政がボランティアの役割を決めるのではない。行政だけではやれない隙間を見つけて動くのがボランティアですから。

 災害という人生の一大事。「助けて」という声に対し、誰もが「これならできます」と手を挙げる。それが私の目指すボランティア社会です。

 (聞き手・大森雅弥)

 <くりた・のぶゆき> 1964年、岐阜県生まれ。2002年に名古屋市でNPO法人レスキューストックヤードを設立。16年に全国災害ボランティア支援団体ネットワークを設立し、代表理事に。

◆長期的な意義を考えて 東京大准教授・仁平典宏さん

仁平典宏さん

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 阪神大震災の起きた一九九五年は戦後五十年。日本を変えようという機運も高く、九八年の特定非営利活動促進法(NPO法)制定につながりました。一方、ボランティア的なものへの「自己満足」「売名」といった批判や冷笑は、戦前から現在に至るまで根強く見られます。

 ボランティアや運動を通じた社会改良は、回り回って自分のためにもなるので、自己犠牲ではなく長期的にはウィンウィン。このような考え方が定着している国では社会活動が盛んです。豊かな人は寄付やボランティアをするべきだという「ノブレス・オブリージュ」の背景にもこの考え方があります。

 ところが日本では、社会活動についても短期的な収支で考えがちです。多くの企業は社会貢献をコストとしか考えず、豊かな人はボランティアを非合理的と見なしてやらなくなりつつある。世界的にも珍しい傾向で、日本の経済格差が固有の問題を抱えていることを示しています。一方、ボランティアをする人も「売名のためだろう」と短期的な「収支」を勘ぐられて批判されるので萎縮してしまう。

 東京五輪のボランティアが「やりがい搾取」と批判されるのは興味深い点です。日本社会には、不払い残業や女性任せの家事育児などの無償労働がはびこっていて、近年批判されるようになりました。五輪ボランティアの中にも、実態は企業や学校を通した動員に近いものもあり問題です。他方で、本当に納得して参加する人まで批判するのは、その人の意志を尊重しないことになります。

 でも批判する人の気持ちも分かるんです。今回の五輪自体の社会的な意義が分からないからです。だから、スポンサー企業や組織委員会の利益のためのボランティア利用という「短期的収支」の観点から見てしまう。五輪が社会と自分にとってプラスになる、とみんな納得していたら、それを支える活動への批判も起こらない。災害ボランティアをやりがい搾取と呼ぶ人はいません。

 私も、この五輪がヘイトスピーチをなくして社会の多様性を推進したり、障害者の社会的包摂を進めるなら、喜んで協力します。でも観客を心地よくする「おもてなし」だけでは根本的な改善にはつながらない。その意義を明確にしないと、盛り上がるだけ盛り上がって後には何も残らない気がします。

 (聞き手・谷岡聖史)

 <にへい・のりひろ> 1975年、茨城県生まれ。専門は市民社会論、福祉社会学、教育社会学。著書に『「ボランティア」の誕生と終焉(しゅうえん)』『平成史【完全版】』(共著)など。

 

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