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考える広場

迷惑な隣人たち

 人間関係が希薄になったからか、近隣トラブルが増えている。そもそも、なぜ迷惑な人になってしまうのか。トラブルを避け、解決するためには、どうすればいいのだろうか。

 <近隣トラブル> 国土交通省の「マンション総合調査」2018年度版によると、居住者間の行為・マナーを巡るトラブルの中で最も多いのは「生活音」で全体の38・0%を占めた。次いで「違法駐車」の19・0%、「ペット飼育」が18・1%。日本法規情報(東京)の18年調査では、約3割の人が近隣トラブルを経験していた。

梅谷薫さん

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◆「気兼ね」減少が一因 医師・梅谷薫さん

 心療内科には、ご近所トラブルや職場での人間関係に悩んでいる人が多く訪れます。不条理な攻撃を仕掛けてくるお隣さんや上司、同僚。そういう「危険な隣人」が増えているように感じるのはなぜでしょう? 

 私たち日本人は「お隣さん」をとても大切にしてきました。農村という共同体で生きていくためには、ご近所とのもめ事は命取りになりかねませんでした。しかし今の社会ではお隣さんもすぐ入れ替わるし、ネットではお隣という考えがありません。お互いへの「気兼ね」が減ったことが、こうした要因の一つだと考えられるのです。

 では、すぐに「キレる」という現象が起きるのはなぜでしょう? 怒りや恨み、ねたみといった「ネガティブな感情」は、本来自分を守るために備わっている脳内のシステムです。特に怒りは強力な感情です。怒りを爆発させれば困難な事態を一気に打開する力にもなります。

 しかし、けんかばかりでは社会は成り立ちません。ブレーキをかける感情として「後ろめたさ」とか「やましさ」があるのですが、キレているときはブレーキが利きません。仲介役の「理性」もその勢いに引きずられ、自分の行動を正当化するために使われたりするのです。

 このとき使われる論理が「正義」、つまり社会のルールです。脳の表層にある論理のシステムは、感情の暴走を抑えて社会生活を安定させるために発達しました。「自分は正しい」という個人レベルの「正義感」が、私たちに自信や行動力を与えてくれます。しかし、この正義感は、自分の都合のいいように脳内で書き換えられやすいのです。「ゆがんだ正義感」はこうして生み出されます。

 では、こうした問題にどう対処すればよいのでしょうか。キレやすいのは、自分に自信がなく、プライドだけ高い人が多い。コンプレックスの裏返しで必死に強がってみせ、ネット上で賛同者を募ったりします。だから危険な隣人から攻撃されたら、まず客観的に状況を判断し味方を増やすことです。相手との適切な「距離」を保つことも重要です。自分の人生の「大切な課題」だと思って対応する。

 自分自身を保ち「自己評価」を高めてゆくことが、人生のバリアーとなり、お互いに住みやすい社会をつくる基礎となるはず。そのように考えています。

 (聞き手・越智俊至)

 <うめたに・かおる> 1954年、兵庫県生まれ。東京大医学部卒。専門は心療内科、消化器内科。『「毒になる言葉」「薬になる言葉」』『ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人』など著書多数。

◆「相互理解」の復活を 弁護士・荒井洋一さん

 近隣の迷惑ごとのトラブルは増えています。減る要素はないといっていい。ただでさえ、住宅が増えて昔より居住空間同士の距離が近くなり、騒音、日照不足などのストレスが増している中、近隣とのお付き合いの形が変わってきたからです。

荒井洋一さん

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 昔は「向こう三軒両隣」という言葉が生きていて、ご近所の暮らしぶりはもちろん、考え方まで知っていました。相手を理解しているということは、その立場も気持ちも分かるということ。逆に、こちらのことも分かってもらっていた。そういう仲では紛争は起こりづらかった。

 今はそういう相互理解はなくなってきています。もともと近所付き合いの少ないマンションはもちろん、戸建てが並ぶ住宅地でも。世代交代で関係が希薄になり、夫婦共働きが増えて井戸端会議のようなコミュニケーションも減りました。

 そうするとどうなるか。例えば、隣家の庭木の枝が伸びてきたというケース。迷惑ですが、民法では勝手に切れないことになっています。昔なら切ってくれるように頼めば済んでいました。今はそれができないから、「迷惑だから切るぞ」「勝手に切るのはおかしい」になってしまう。ある意味どっちも正しいから、こじれる。

 では、どうすればいいのか。もちろん訴訟という手がありますが、ずっと一緒に暮らしていかなければならない人との間では感情的なしこりが残ります。私は、弁護士会や自治体がやっている裁判外紛争解決手続き(ADR)や裁判所による調停をお勧めします。言い分をしっかり聞いてもらえた上でのアドバイスは、双方の当事者に受け入れられやすい。訴訟で勝ち負けを決めるよりは、しこりは小さく、消えるのも早いでしょう。

 その意味では紛争のタイプ別のADRの充実化が求められます。専門性を高めれば紛争当事者の信頼が得られ、納得してもらいやすい。実は既に専門性の高いADRはできてきています。もっとPRすべきです。

 近隣トラブルを防ぐには、さまざまな法令で決まっている受忍限度を各戸に配布するなどの啓発も必要だと思います。ここまでは我慢するという線を示すことで「お互いさま」意識が生まれるのではないでしょうか。今や市民としての倫理や道徳を教える「市民教育」が求められているのかもしれません。

 (聞き手・大森雅弥)

 <あらい・よういち> 1944年生まれ、東京都出身。荒井総合法律事務所所長。同事務所の著書に『隣り近所のトラブル解決Q&A』(法学書院)など。最高裁司法研修所弁護教官などを歴任。

釈徹宗さん

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◆成熟社会への移行期 僧侶・宗教学者・釈徹宗さん

 迷惑の問題は、われわれの社会が次の段階に入る移行期に起きている現象だと思います。

 大まかに言うと、地縁、血縁が強い地域共同体は、迷惑は「お互いさま」。共同体から除外されないために、多少の迷惑は我慢して暮らしていました。

 一方、都市社会では地縁、血縁のわずらわしさから解放されますが、自由を尊重してもらうには「他者に迷惑を掛けない限り」という前提があります。

 田舎も含めた日本全体が「聖域」であるパーソナルな領域にダメージを与える行為は許さない、という風潮です。かつては大きかった個人と個人の間のグレーゾーンがやせ細り、衝突が起きているのです。

 僕みたいに田舎で暮らしていると、本人だけでなく両親、子どもも知っています。何世代もの付き合いなので、多少のでこぼこは気にならない。流動性の高い社会では、短時間で他者を評価します。怒りの発火点が低く、小さな失態も許せない。

 グレーゾーンとは「ためらい」なんです。「もしかしたら自分も…」「ひょっとして相手の立場は…」と、判断をためらうと、迷惑の見え方も変わるかもしれません。

 認知症高齢者のグループホームを運営しているのですが、「お世話され上手」な人っているんです。そもそも、人間は迷惑を掛ける存在です。「迷惑を掛けないように」と生きていても、やがては自分の身を他者に委ねる日がやってきます。

 地域共同体の排他性が解体されるのは大事なプロセスですが、それだけではだめ。成熟社会にふさわしい中間共同体が必要です。国や自治体と家族との中間で、時にお世話したり、お世話されたり。長い時間をかけて他者と関わり合う拠点です。

 今後の日本は、さらに外国人の多い社会に移行します。生活様式の異なる人が隣人になり、朝から近所のモスクのアザーン(礼拝の呼び掛け)が聞こえるかもしれない。「みんなで迷惑をたたく」という単純な図式では解けない問題です。正義は、一歩間違えば傲慢(ごうまん)になります。相模原市の障害者殺傷事件のように排除にもつながります。

 判例などでは「受忍限度」という考え方を使いますが、日常生活のささいな迷惑は公式通りにはいかない。迷惑にも感性が必要です。パーソナルな殻に閉じこもっていてはセンスは磨けません。

 (聞き手・谷岡聖史)

 <しゃく・てっしゅう> 1961年、大阪府生まれ。相愛大教授。著書に、国内の多宗教のルポ『異教の隣人』(共著)、グループホームの運営体験を基にした『お世話され上手』など。

 

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