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戦争の記憶どう伝える? 熊倉逸男・論説委員が聞く

 安保法制導入や膨れ上がる防衛費など、軍事への前のめりの姿勢が気掛かりだ。旧日本軍を美化したり、ゲームのように軽く戦争を語ったりする声が大きくなっているのも心配だ。戦争はきれいごとでは済まされない。日本軍兵士の苦しみや恐怖など、戦場の過酷な「リアル」に焦点を当ててきた一橋大特任教授の吉田裕さんと考える。

 <ウォー・ギルト・プログラム> GHQの民間情報教育局が、日本人に戦争の有罪性を認識させるために実施した政策。米軍の視点で、日本軍の残虐行為や、占領の目的などを新聞連載やラジオ放送などで周知させた。評論家の江藤淳が問題提起し、日本人を洗脳したと指摘。自国を否定的にとらえる歴史認識を日本人に植え付けた、などの主張の広がりにつながった。

◆兵士のリアルに焦点 一橋大特任教授・吉田裕さん

吉田裕さん

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 熊倉 一昨年、出版された『日本軍兵士』(中公新書)では兵士の目線から、アジア・太平洋戦争の凄惨(せいさん)な戦場の現実を描き、大きな反響を呼びました。

 本は、日中戦争以降の戦没者約三百十万人のうち、終戦一年前の一九四四年以降が九割を占めると指摘しています。戦病死者や餓死者の割合も異常に多かった。戦場で歯磨きをする余裕がなく虫歯がまん延、兵士らは歯痛に苦しみました。サメ革など粗悪な軍靴が使いものにならなくなり、草履やはだしの兵士もいました。なぜ、こんな状態になってしまったのでしょうか。

 吉田 敗戦が明白だったのに無理に戦争を続けただけでなく、空襲、原爆、引き揚げなどで戦争末期に民間人の犠牲者が増えました。天皇の大権である統帥権が独立し、首相が軍を統制できないなどの制度上の問題もありました。

 補給を無視して無理な作戦を強行しました。軍事衛生を軽視する体質もありました。日露戦争では戦闘による死者が戦病死より多かったのですが、アジア・太平洋戦争では逆転しました。軍備の拡充に衛生制度が追い付きませんでした。専門の歯科軍医もほとんどいなかった。第一次大戦時の米国陸軍に約五千人の歯科軍医が従軍していたのとは対照的です。

 装備の粗末さは国力無視で軍拡し、陸、海軍で予算を奪い合ったためです。軍需産業の基盤は脆弱(ぜいじゃく)で、技術力、生産力とも劣っていました。戦争を戦いつつ、短期で重化学工業化しました。軍靴に必要な縫製工業に使うミシンも外国製の中古が中心。国産化を図ったが、うまくいきませんでした。基礎的な技術力が脆弱で、高性能な製品の開発は成功しませんでした。

 熊倉 兵士の自殺が多かったのも衝撃的でした。極端な精神主義の半面、パイロットらに覚醒剤ヒロポンを使用させた非人間的な側面を持っていた。日本軍の体質とはどういったものだったのでしょうか。

 吉田 初年兵に対する私的制裁(リンチ)は、日露戦争前後から多くなってきました。軍隊内の抑圧度は非常に強く、充満する鬱屈(うっくつ)した感情を下級の初年兵への暴力という形で転嫁しました。

 矛先が上官に向かないよう軍も黙認していました。痛めつければ痛めつけるほど兵士は強くなる、という抜けがたい信念もありました。精神的ないたぶりを含めた密室でのリンチは日本的な特性ではないでしょうか。

 「銃剣突撃による白兵突撃、つまり精神力で勝った」という日露戦争の総括にも問題がありました。欧米にも白兵主義がありましたが、第一次大戦で火力重視に転換しました。日本にはそれがなかった。

 ヒロポンを使用したのは疲労回復のためでしたが、本来は休暇を取らせればいいのです。他の国ではそうしています。

 軍の正規将校は陸軍の士官学校、海軍の兵学校を出た特権的学歴エリートでした。第一線にいる期間は短く、現場を知りません。兵士の苦しみを理解できていなかったことが、非人間的対応の根本にあります。

 熊倉 軍の体質はブラック企業など、戦後の日本社会にも通じるものがあるのではないでしょうか。インド北部への難路行軍で約三万人が亡くなった「インパール作戦」の検証番組をNHKが放映後、ツイッターで「#あなたの周りのインパール作戦」というハッシュタグが作られ、ブラック企業やパワハラ上司になぞらえる書き込みがあったそうです。

 吉田 以前、「二十四時間戦えますか」と歌う栄養ドリンクのCMがありました。多くの国民は組織のあり方は敗戦によっても変わっていないと直観的に感じています。個を尊重せず、多様性を認めずに全体への奉仕を無理強いする。若い人たちは今のブラック企業にもつながっているという問題意識で、『日本軍兵士』を読んだようです。

 熊倉 この悲惨な戦争の指導者らを裁いたのが極東国際軍事裁判(東京裁判)でした。裁判に対しては「勝者の裁き」との批判が根強くあります。連合国軍総司令部(GHQ)の情報教育政策「ウォー・ギルト・プログラム」と併せて、日本人に罪の意識を植え付けて洗脳する狙いがあり、それによって日本人の歴史認識が「東京裁判史観」に改造されてしまった、との指摘もあります。

 吉田 一方的な見方です。裁判は日本の意向も取り入れ、日米が協力しながらすべての責任を陸軍に押し付け、天皇を免責するという「日米合作」の側面もありました。

 ウォー・ギルト・プログラムは日本人の戦争協力を問題にしましたが、軍部に責任があるとしたGHQ全体の方針とは矛盾する逸脱でした。洗脳したという考え方には無理があります。日本人は七十年以上も洗脳から脱却できない情けない国民だということになるからです。

 熊倉 東京裁判を批判する人たちは一方で、日米同盟基軸論を唱えています。並び立たない主張です。

 吉田 東京裁判を否定するなら、裁判を受諾したサンフランシスコ講和条約(連合国四十八カ国との平和条約)を破棄しなければ筋が通りません。米国を批判しつつ議論が日米安保条約の否定までにはいかないのも矛盾しています。

 熊倉 しかし、これまでの歴史教育を「自虐的」と否定する修正主義的な主張の本が書店に数多く並ぶようになりました。どうしてなのでしょうか。

 吉田 冷戦で日本の戦争責任は棚上げになりました。中国、韓国や東南アジア諸国の国際社会での比重も低く、日本への批判は顕在化しませんでした。

 八〇〜九〇年代になってようやくアジア諸国の対日批判が本格化し、当事者意識のない次の世代が責任を追及される形になりました。ためらいや動揺、反発が起きるのはある意味自然なことです。

 熊倉 戦争の悲惨さが伝わりにくくなっている中、歴史認識をどう確立していけばいいのでしょうか。

 吉田 ある歴史観を絶対化するのではなく複眼的な歴史の見方を身に付けないといけない。日本人の戦争の記憶がどのように形成されてきたのかについても批判的な検証が必要です。

 自衛隊に本格的な戦闘の経験者はいません。政治家も自衛隊幹部も戦争のリアルを認識した上で、地に足の着いた安保論議をする必要があります。

 熊倉 東京大空襲・戦災資料センター館長として、歴史家の視点をどう取り入れていくのでしょうか。

 吉田 来年三月に展示をリニューアルします。空襲体験者を中心とした市民、研究者、教育者が交流、協力し合う場にしたい。体験者の証言記録を有効活用できるよう整理することも、急がなくてはと考えています。

 <よしだ・ゆたか> 1954年、埼玉県生まれ。一橋大社会学部教授を経て、現在、特任教授。専門は日本近現代軍事史、政治史。著書は『日本軍兵士』のほか、『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)など。今年6月、早乙女勝元氏の後を受け、東京大空襲・戦災資料センター館長に就任。

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