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考える広場

「生産性」の話

 働き方改革の一環で、生産性向上の必要性が指摘されている。ただ、働く人の幸福につながらなければ意味はない。一方、何かを作り出せるという意味での「生産性」を人間の価値とみる風潮もあるが、その考え方は果たして正しいのだろうか? 

 <生産性> 日本生産性本部によると、2017年の日本の労働生産性(就業1時間当たり付加価値)は47.5ドルで、経済協力開発機構(OECD)加盟36カ国中20位。先進7カ国(G7)の中では、米国が首位で72.0ドル、次いでドイツの69.8ドル。日本は両国の3分の2程度で、G7の中では最下位。製品・サービスの付加価値を高めるか、労働者数・労働時間を減らせば生産性は上がる。

◆社員の幸せ、意欲生む 未来工業社長・山田雅裕さん

山田雅裕さん

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 未来工業では残業をしません。午後五時には会社から人がいなくなります。

 一日二十四時間のうち八時間は睡眠などに必要な時間、八時間は会社に拘束される時間、残りの八時間が自分の時間です。それは自分のために使ってほしい。創業者の山田昭男はそう考えました。早く帰宅して家族一緒に食事をしたり、自分の趣味を楽しんだり。そして翌朝は笑顔で元気に出社して、きのうより高いパフォーマンスで仕事をしてほしい。それが会社のパワーであり、効率や生産性をアップさせる源になります。逆に、効率が高いからこそ、残業ゼロが可能になります。

 生産性を上げるためには社員のモチベーションを高める必要があります。当社では上司が部下に命令することを禁止しています。命令ではなく、部下を説得し、納得した上で仕事をしてもらう。命令された仕事はやる気になりません。しかし、自分が納得した仕事なら意欲的に取り組めます。時間のかかるやり方ですが、やる気を引き出すことが重要なんです。

 「常に考える」。これが社是です。それを実践してもらうためのツールとして提案制度を設けています。不採用でも一件につき五百円を払います。寄せられる提案は、ピーク時には年に二万件を超えました。過去には優れた提案を全社的に展開し、大幅なコスト削減を実現した例もあります。

 バブルのころは人が来てくれなくて「それならば」と休日を増やしました。取引先には怒られましたが。本年度の年間休日は百四十三日で、年末年始には十八連休を取ります。社員の平均年収は六百万円を超えています。五年に一度、会社が経費を負担して海外社員旅行を行っていて、これもモチベーションアップに効果があると思っています。楽しみにしている社員が多く、実際、社内のコミュニケーションは一気に深まります。

 会社の目標は利益を上げることです。そのために手っ取り早い方法は、社員が幸せになることです。社員が幸せになって仕事に打ち込んでくれれば、会社の利益は上がります。そして利益は社員にしっかり還元する。当社の営業利益率が10%を超える高水準なのは、社員が頑張って働いてくれているからです。会社の利益と社員の幸せは、実は同じことだと思っています。

 (聞き手・越智俊至)

 <やまだ・まさひろ> 1963年、岐阜県生まれ。87年、電気設備資材製造・販売の未来工業(同県輪之内町)入社。2013年から現職。15年に第1回ホワイト企業大賞を受賞。18年12月に東証一部上場。

◆自分なりの価値模索 電動車いすの大学生・慎允翼さん

慎允翼さん

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 「生産性」はもともと経済用語ですよね。それが別の分野に入り込んで、人間の価値を測るような使われ方をしている。昔から今のような意味で使われたわけではない。生産性の議論では、まずこの言葉の歴史性を押さえる必要があるでしょう。

 杉田水脈衆院議員が昨年、子どもをつくらないLGBTは生産性がないと主張しました。ひどい意見でしたが、反論として「優生思想」や「経済至上主義」と言うだけだったことは、命の価値について「分かるか/分からないか」という分断を超えるものではなかった。僕は障害者として「生産性」がいかにちっぽけな価値であるかを分かっていますから、冷めて(覚めて)見ていました。

 「生産性」が議論になったのは、そこに「人間」が絡むからです。「生産性」によって人がモノ扱いされる、哲学の「自己疎外」の問題です。言い換えれば、自分の大切な何かが外に委ねられることで自分から遠くなってしまうこと。そして難しいのは、生産性と強固に結びついた能力主義を完全には否定できないことです。それをしたら社会が成り立たない。だから、能力主義で本当に批判されるべきはどこかを見定める必要があるのです。

 僕は人間をロボットにしてしまうような能力主義、つまり自己疎外と生産性と能力主義が絡みついた状態が問題だと思います。具体的に言えば、自分の価値を自分で模索することができず、「生産性」という外にあるシステムによってのみ決められる状態です。これをどう見るか。一つの仮説としては、「生産性」がここまで語られるのは、日本人の多くが自我を失った結果ではないかと言えます。もう一つの仮説としては、生産性しか価値がないという主張はある確信に基づいていて、そう決断した人は他人の意見を聞く気もない、非常に強い自我を持っているのではないか。

 二つの仮説は矛盾している。では、それぞれの反対の立場に立ったらどうなるか。一つは自分の人生の主人公は自分であると考えることによって自我を取り戻すことであり、もう一つは世界を支配するような肥大化した強い自我を捨てることです。つまり、私たちは世界の中心ではないが、人生の中心ではある。このことが分からなくなって、逆に進んでいることが一番の問題なのだと思います。

 (聞き手・大森雅弥)

 <シン・ユニ> 1996年、千葉県生まれ。東京大文学部4年で哲学を専攻。厚生労働省指定難病の脊髄性筋萎縮症で電動車いす歴20年。NHK・Eテレ「ハートネットTV・B面談義」に出演。

◆成功を目標にしない 哲学者・岸見一郎さん

岸見一郎さん

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 「何かができる」ということすなわち「生産性」に人間の価値があると考える人が多くいます。しかし、例えば仕事をして何かを生み出せることに価値があると考えると、病気や障害、高齢で仕事ができなくなった人間には価値がないということになってしまいます。そうではない。価値に「生産性」を持ち込まないのが私の論点です。

 では、どういうときに自分には価値があると思えるのか。オーストリアの心理学者アドラーは、何らかの意味で他者に貢献していると感じられるときと言っています。それは行為ではありません。自分が生きていること自体が他者の役に立っていると思えたとき、価値があると感じられるのです。

 私は十三年前に心筋梗塞で倒れました。体が全く動かない。そのとき考えました。この先、生きていく価値があるのだろうか。でも立場を変えて、倒れたのが自分の家族や友人だったら自分はどう思うか考えました。一命を取りとめただけで喜ぶだろう。これを自分に当てはめ、何もできないけれど生きているという事実が既に価値があると思えるようになりました。

 働ける人はもちろん働いた方がいい。ただし、成功を目標にはしないことです。哲学者の三木清は幸福と成功を対置し、幸福は存在であり、成功は過程であると言っています。多くの人は当然のように成功を人生の目標にします。しかし、一流の大学を出て一流企業に入り、お金を稼いだ人が幸福かというと、必ずしもそうとは言えません。何も達成せず成功しなくても、今ここにあるだけでわれわれは幸福なのです。

 働くことが好きでたまらないという人がいます。その人にとっては、働くことが生きることであり、幸福でもある。そういう人は働けるうちは働けばいいでしょう。ただ、そういう生き方を国が上から押しつけるなら生きがいの搾取です。

 労働生産性について言えば、日本は先進国の中で一番低いのは事実です。しかし、経済的な指標で国の価値を考えるのはもはや時代遅れではないでしょうか。自分の価値は自分で決める。これに尽きます。どこかの一角が変われば、社会は変わる。私は若い人に期待しています。大人たちが求める人間像に縛られない若者が増えれば社会は変わると思います。

 (聞き手・越智俊至)

 <きしみ・いちろう> 1956年、京都府生まれ。京都大大学院博士課程満期退学。専攻は西洋哲学史。『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(共に共著)『よく生きるために働くということ』など著書多数。

 

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