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フォークはどこへ行った

 岐阜県中津川市(旧坂下町)で開かれた、日本初とされる野外コンサート「全日本フォークジャンボリー」からこの夏で半世紀。昭和の若者を熱狂させたフォークソングはどこへ行った?

 <全日本フォークジャンボリー> 地元青年らによる実行委員会が1969年8月9日夜から10日午前にかけて開催。高石ともやさん、岡林信康さんら関西フォークの10組が出演し、聴衆2000人を沸かせた。翌年の第2回は東京からも歌手が参加。71年の第3回は、音響設備が故障したステージで吉田拓郎さんがマイクを使わずに「人間なんて」を延々と歌い続けたとされ、伝説と評される。観客は2万人に達したが、この回で幕を閉じた。

◆商業外で生きている フォーク歌手・小室等さん

小室等さん

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 僕が最初に出合ったフォークソングは黒人霊歌でした。米国の教会で黒人が歌う歌です。高校二年のときに入った男声合唱団で歌っていました。ほどなくキングストン・トリオを知ってギターを始め、大学時代はピーター・ポール・アンド・マリーの曲を夢中でコピーしました。

 フォークジャンボリーは、第二回、第三回に出演しました。運営者の態度は事務的な感じがして、当時、いい印象は持てませんでした。でも、後に地元のスタッフの人たちと知り合い、見方が変わりました。中津川にはもともとフォークを使った地域活動があり、だからジャンボリーが実現した。それを知ったからです。地元に根付き、地元を愛しながら音楽が生まれる。まさしくフォークソングです。

 一九七〇年代半ば、ニューミュージックという言葉が出てきて、フォークは一度、死にました。では、死んだフォークはどこへ行ったのか。人数は少ないとはいえ、フォークを求めている人たちが全国にいます。そして、その人たちの所へ歌い歩く歌手がいる。商業とは別の所でフォークは生きています。

 フォークの中にはプロテストソングがあります。僕は一時、プロテストソングから離れましたが、七八年に詩人の谷川俊太郎さんと一緒に「プロテストソング」というアルバムを制作しました。六〇年代末からの政治的嵐のような時期が過ぎ、無目的に、ぼんやり生きている人が多いように見えました。まずいんじゃないかな。歌を通して投げ掛けたかったんです。

 世の中は良くなっていくと思っていました。しかし、時代は圧倒的に、しかも加速度的に悪くなっていきました。同調圧力が強まり、同じ方向を向かされる。あちこちで監視カメラが回る。恐怖を感じました。それで二〇一七年、再び俊太郎さんに頼み「プロテストソング2」を作りました。俊太郎さんは「今どき通用するとは思えないプロテストソングに挑む小室に乗った」と言ってくれました。

 二十代のころ見た映画に、パリの場末の酒場で歌う歌手が出てきました。店に来る労働者たちのリクエストに応え、ギターを弾きながら歌う。自分も、こういう歌手になりたいと思いました。歌を聴いてくれた人が三日間ぐらいは元気でいられる。そんな歌を歌い続けたいと思っています。

 (聞き手・越智俊至)

 <こむろ・ひとし> 1943年、東京都生まれ。68年にグループ六文銭を結成。代表曲に「雨が空から降れば」など。75年、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる各氏とフォーライフレコード設立。

◆いまも新鮮さ失わず 高校生シンガー・ソングライター・崎山蒼志さん

崎山蒼志さん

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 僕は、フォークソングに大きな影響を受けた人の影響で、フォークを知りました。中学生のときです。

 お笑い芸人で小説家の又吉直樹さんがフォークが好きだと言っていて、遠藤賢司さんの名前を挙げていました。それで、ネット検索して、ユーチューブで遠藤さんの代表曲「カレーライス」のライブ音源を聴いたんです。衝撃を受けました。静かに歌っているのに熱があって、迫り来るような感じがあって。ギターも格好いいし。高田渡さんの歌も本当にすごくて、フォークソングは、いま聴いても新鮮です。

 母がビジュアル系ロックバンドが好きだったので、僕も自然に好きになって、四歳のときにギターを始めました。ギター教室に通って、好きなミュージシャンのまねをしていたある日、先生に「曲を作ってみれば」と勧められて。小学校六年生のときから曲作りを始めて、オリジナル曲は今では四百曲近くあります。

 音楽的に一番影響を受けているのは邦楽ロックですが、海外の音楽もたくさん聴いています。ギターの弾き語りというスタイルの面では、フォークの影響もあります。僕はバンド活動が中心だったんですが、ギターと歌だけでも成立するということをフォークシンガーの方々が教えてくれました。弾き語りだと一人なので心細かったり緊張したりもしますが、一人でやる楽しさもあります。

 一年ぐらい前、先輩のミュージシャンの方から吉増剛造さんの詩集をいただき、読み始めました。吉増さんの言葉は、とにかく力強くて大好きです。一筆書きのような力強さを感じるし、言葉にならないところを書いている、そんな感じもします。僕が詞を書くときも、自分の中にある言葉にならない「感じ」に意識を向けているような気がします。

 音楽には、いろいろな意志が含まれています。だから、聴く人の心は動かされるのかなと思います。そして、音楽は聴いている人にとって優しい場所だと思います。とがった曲だったとしても優しい。だから音楽は楽しい。僕はこれから、より研ぎ澄まされた楽曲や音源を作りたいと思っています。バンド活動とか、違うジャンルの人とのコラボレーションもやってみたいです。

 (聞き手・越智俊至)

 <さきやま・そうし> 2002年、静岡県生まれ。18年5月、ネット配信番組出演で脚光を浴び、同年7月にオリジナル曲の配信を開始。12月に初アルバム「いつかみた国」を発表。高校2年生。

◆跡継いだのはSNS 椙山女学園大准教授・広瀬正浩さん

広瀬正浩さん

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 かつて体制にプロテスト(抗議)するカウンターカルチャー(対抗文化)としてあったフォークが、やがて商業主義的な流れに巻き込まれていき…という音楽史的な説明も可能なのですが、今回は、私なりに現代の視点で捉えてみたい。二つの見方があります。

 一つ目は、若者による表現に関わるテクノロジー(技術)の問題です。かつての若者にとってのリアルな自己表現の手段であったフォークの正統な跡継ぎは、現在のツイッターやインスタグラム(いずれもスマートフォンなどを使用して画像や文章などを投稿し共有するSNS=会員制交流サイト)なのではないか。

 フォークで使われるアコースティックギターは、入手しやすく持ち運びが可能です。アンプも不要。自己表現のツール(道具)として手軽なものです。そうした手軽さが、飾ることのない等身大の自分を歌う音楽としてのフォークを成り立たせたのです。

 一方、現代の若者にとっての身近なツールはスマートフォンやタブレットです。音楽よりも写真や動画、そして短い文章が彼らの自己表現です。フォークとツイッターやインスタグラムとを対比することで、若者にとって何が等身大のリアルな表現であるかを考えることができるのではないでしょうか。

 二つ目は、音楽の様式化の問題。今日、多様な音楽が様式としてフラット(等価値)に置かれています。さまざまなジャンルの音を参照して創造するDJカルチャーもありますが、フォークもまたそのように参照される対象としてあります。

 いろいろな音楽が様式として参照される現在、フォークは「郷愁を喚起するもの」として捉えられるでしょう。懐かしいあの時代の空気感。それは当時生きていなかった人にも感じられる共同体の記憶。対抗文化としての存在価値も喚起されるでしょう。そこに、自らの体から発せられる音楽としての原初的イメージが加わって、様式としてのフォークが特別な存在になったのかもしれません。

 今回の紙面にも登場される崎山蒼志さんの曲を聴くと、数ある音楽表現の中から一つの様式としてフォークを選んだように感じます。情報があふれている時代の音楽の在り方、表現の在り方を象徴しているのではないでしょうか。

 (聞き手・大森雅弥)

 <ひろせ・まさひろ> 1973年、岐阜県生まれ。日本近現代文学研究を軸に、ポピュラー音楽や声優文化、ラジオドラマなどを研究。著書に『戦後日本の聴覚文化』(青弓社)など。

 

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