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人はなぜ戦うのか 早川由紀美・論説委員が聞く

 戦争について思いを巡らす夏が来ました。そもそも人はなぜ戦ってしまうのか。それを考えることが戦争を抑止する一歩になるかもしれません。考古学の見地から、戦争について研究をしている国立歴史民俗博物館教授の松木武彦さん(57)と語り合いました。

◆農耕が生んだ支配欲 国立歴史民俗博物館教授・松木武彦さん

松木武彦さん

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 早川 日本列島で集団的な戦いが始まったのは、朝鮮半島から渡ってきた人々が稲作文化を広めた弥生時代だそうですね。

 松木 紀元前十世紀後半に玄界灘を越えて九州に上陸したと考えられています。難民だったか開拓だったかは分かりません。水稲農耕のノウハウや技術とともに戦いの思考も携えてきた。それがなぜ分かるかというと集落の周囲に防御のための濠(ほり)を巡らせています。遺跡からは武器も出土している。福岡県糸島市の新町遺跡からは、太ももに石を細く磨いた矢尻が突き刺さった四十代の男性の遺骸が見つかりました。

 早川 それまで続いた縄文時代の狩猟生活の方が攻撃的になっても不思議はないように思うのですが。食料の供給源は不安定だし、日常的に動物を殺している。稲作をすれば安定的に食糧が確保できるのに、なぜ戦いが生まれたのでしょう。

 松木 世界的に農耕が始まると、人は戦い始めます。定住することで、水や土地などの不動産が生まれます。干ばつや飢饉(ききん)の時には、不動産を巡る争いが生じる。生活が安定することで寿命も延び、子どもも増える。人口が増えるとより広い農地も必要になり、隣から奪うしかないということになる。狩猟採集生活の時代は、人口も少ないし、四季折々の恵みもあるので何かが不足しても別のものでカバーすることもできました。農耕生活では、森を伐採して米を作り、それに依存しているので、不作だった場合は、経済的な危機が起こりやすいのです。

 さらに言えば、狩猟採集文化では、自分のことも生態系の中に位置付けており、食べる分だけ猟をする。それに対して、農耕は一つの植物を徹底的に管理する。生態系の外側で支配することで、人間中心の世界観が築かれやすいのです。それは他者を支配する世界観にもつながっていく。

 早川 そもそもなぜ、戦いを古代研究の一つの柱にしようと思われたのですか。

 松木 即物的なきっかけとしては、学部時代、アーチェリー部にいて、筋力を落とさないため、発掘の合宿にも弓を持っていっていました。それを見た教授に「弓が出土しているから、それで卒論書かないか」と提案されたんです。子どもの頃、周囲に戦争の語りが満ちあふれていたことも影響しています。父方の祖父は神主で若者を戦地に送り出していた。母方の祖父はシベリアで抑留された。戦争って何なんだろうという思いが蓄積されていました。

 早川 先日、百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群(四〜五世紀)が世界遺産となりました。巨大な古墳も戦いの思考と関わりがあったのでしょうか。

 松木 古墳が巨大化したのは、奈良盆地の大王が中心となったヤマト政権が鉄を入手するために、朝鮮半島の諸国と協調したり、軍事力を派遣したりしていた時代です。倭軍特有のよろいが半島でも出土しています。半島での利権確保のため、中国の王朝に使いも送っています。大阪湾岸に巨大な百舌鳥・古市古墳群が造られたのはそういう国際的な競争関係が背景にあったためでしょう。半島でも同じ時期、高句麗と百済では階段ピラミッド状、新羅は土まんじゅうの大きなお墓が造られています。

 ただ、朝鮮半島での戦いを経ても、軍備の革新には非常に鈍感でした。騎馬戦術を用いる高句麗に歯が立たなくても、その時と同じ重装歩兵用のよろいをその後も七十〜八十年間作り続けている。山城など防御の施設も機能的には発達しなかった。島国で、他国から攻め込まれることをあまり想定していなかったのでしょう。防御への関心の薄さや軍備を改良していく柔軟性の欠如といった特質は、その後の日本のありようにつながっているようにも思います。

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 早川 第二次世界大戦(一九三九〜四五年)が始まる七年前の三二年、国際連盟から依頼を受けた物理学者のアインシュタインが心理学者のフロイトと戦争について往復書簡を交わしています。「人間を戦争というくびきから解き放つことができるのか」というアインシュタインの問い掛けに、フロイトは攻撃本能を抑制する文化の発展に希望を託しています。でも弥生より前の縄文時代に組織的な戦闘がなかったとするならば、時代が進めば文化が発展するとも言い切れない気もします。

 松木 「平和」は考古学には痕跡が残りにくい。武器がなければ平和ととらえるしかないのですが、武器をつくっていなかった縄文への憧れがあります。戦争という観念がなく、暴力で上下関係をつくらず、支配もしない。飢餓などもあっただろうし、早くに亡くなるし、あまり美化してはいけないのですが。人間だから競争心はある。それをどこに投入したかといえば土器です。世界各地のネーティブ(先住民など)の文化を調べた民族学の研究からは、土器は女性がつくる場合が多いことが分かっているので、縄文もその可能性が高いと考えられます。見事な土器を作る競争を通じて、女性が威信を獲得する社会だったのかもしれません。

 稲作をもたらした渡来人と縄文人との間には部分的には戦闘があったかもしれませんが、短期間で縄文人も農耕を取り入れ、弥生の農耕民として溶け合っていったと考えられています。縄文と弥生とでは世界観が変わり、弥生は好戦的になる。パソコンでいうと機種としてはつながっていても、それを起動させるソフトが違う。

 古墳時代も四世紀後半ぐらいまでの最初の百年は、地域の有力者とみられる古墳の埋葬者のうち四割は女性でした。女性の場合は副葬品に甲冑(かっちゅう)などの武器がないので性別が分かるのです。朝鮮半島に乗り出すなど軍事の存在感が増すにつれ、男性の支配が勝っていった。

 早川 地域のリーダーの四割が女性ですか…。指導的地位に女性が占める割合を三割にすることがいまだ目標とされている現代の日本よりマシかもしれない(笑)。「弥生ソフト」のバージョンアップのたび、好戦的・男性優位の世界観が徐々に強まっていったのかもしれないですね。今、七十年以上戦争をしていないことは、戦争をたたえたり必要としたりする文化を次世代に引き継がないという意味で貴重だと思います。

 松木 二〇一一年にスティーブン・ピンカーという認知科学者が「暴力の人類史」という画期的な本を書いています。古代から現代までの間に、戦争につながることを喜ぶ人間性や、暴力は減少していると彼は書いています。ローマ帝国時代には奴隷同士の殺し合い競技に拍手を送っていました。現代の暴力を嫌がる心は、動物愛護や男女平等などの概念の拡大にも表れている。未来もその傾向が強まるだろうし、これこそ人類の進化であると。ただ、日本についてどうかというと、死刑は存続し、男女平等は進まず、商業捕鯨が復活している。彼の論法を用いれば、日本はまだ進化の前段階かもしれません。 

 <まつぎ・たけひこ> 1961年、愛媛県生まれ。大阪大大学院博士課程修了。岡山大教授を経て、2014年から現職。著書に「人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争」(中公文庫)など。「全集日本の歴史1 列島創世記」(小学館)でサントリー学芸賞受賞。

 <古代の武器> 朝鮮半島から渡ってきた人たちが石を磨いて作る短剣や矢尻を日本列島にもたらした。その後、青銅製、次いで鉄製の武器が半島から流入した。弥生時代の後半には、剣や刀など鉄製の武器が多く用いられるようになった。地域の有力者とみられる人が埋葬された古墳には鉄製のよろいやかぶと、剣や刀、矢尻などの武器が副葬されている。

 

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