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水戸黄門がいた昭和、そして令和

 「この紋どころが」の決めぜりふとともに大映しになる葵(あおい)の印籠。昭和のみ世、国民的人気を誇ったテレビドラマ「水戸黄門」だ。地上波からBSに移ったものの、令和になった今も健在。その理由とは?

 <テレビドラマ「水戸黄門」> 1969(昭和44)年8月にTBS系列で始まった国民的時代劇。2011(平成23)年12月の最終回まで42年間続いた。計43部、通算回数1227話の平均視聴率は22・2%。最高視聴率は1979年2月5日放送分の43・7%。民放ドラマとしては史上2番目の高さを記録した。黄門役は、初代の東野英治郎さんから、西村晃さん、佐野浅夫さん、石坂浩二さん、里見浩太朗さん−と5人が引き継いだ。

◆体験共有し寄り添う 歌手、俳優・武田鉄矢さん

武田鉄矢さん

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 大好きなたい焼き屋がありましてね。自分が好きなのは昔ながらに小麦粉で作った黄金色のたい焼きなんですが、米粉で作った白っぽいのを出す日もある。たまたまそれに当たると残念に思うんですね。たい焼きはやっぱり黄金色に限る。

 水戸黄門役の依頼が来た時に思ったことをその伝で言うなら、「自分は小麦粉のたい焼きとして黄金色に焼き上がるだろうか」ということでした。かつらから衣装まで全部決まっている。味を工夫するとか、違うものを混ぜるとかは許されない。

 じゃあ、あと何ができるかって、焼き方です。味が変えられないなら、新しい舌触りを出したかった。今の世間とあまり矛盾しない黄門像を。プロデューサーには「自分は眉毛の真っ白な黄門はできません」と言いました。プレゼントのために歩き回るサンタクロースにはなりたくない。少し黒が残っている生々しさ。何か割り切れないものを持っている人で行きたいと。

 現代は枯れていく老人というのが形として成立しない時代です。かなりの年齢になっても燃え残った物をいくつも心の中に持っている。それは恋でもあり、貫けなかった倫理でもあり、自分の中で完成しなかった正義でもある。そんな時代にふさわしい黄門は、何かを完璧にやり遂げた人として裁くのではなく、できなかったからこそ慚愧(ざんき)して「許せぬ」と言う。

 水戸黄門には悪に苦しめられる人々を助ける役割もあります。彼らの悲しみにどう向き合うか。武田黄門が心掛けているのは、そのとき原因を聞かないということなんです。人を一番慰めることができる言葉って、同じことを繰り返すことだそうです。「私、もうだめ」と言う人に、「頑張りましょう」ではなく「だめだと思っているんですね」と繰り返してあげること。これは老人しかできないことなんですよ。同じような体験をしたからこそ、解決策も励ましもなく、おうむ返しする寄り添いができる。

 最近のドラマは先が読めないドキドキが売り。でも水戸黄門は一切ドキドキしない作り方です。血が流れない峰打ちの時代劇ですし。でもね、平凡がいかに大変か。砂粒のような人間が昨日のごとく今日も生きるというのがいかに決意の要ることか。そういう人間の手触りが描ければと思います。

 (聞き手・大森雅弥)

 <たけだ・てつや> 1949年、福岡県生まれ。72年デビュー。2017年、テレビシリーズ「水戸黄門」の6代目黄門に。現在、第2シリーズがBS−TBSで毎週日曜午後6時から放送中。

◆日本的道徳の錯覚か 九州大教授・高野信治さん

高野信治さん

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 水戸黄門を考える一つのポイントは、江戸時代に流行した「武家物」と呼ばれる読み物や講談です。講談の源流となった「太平記読み」では、楠木正成が仁政を施した武士として語られます。「曽我物語」では「敵討ち」という美意識、「太閤記」では秀吉に対する親近感、「大岡政談」では正義を実現し、民を思う政治が描かれます。

 これらが形作った歴史認識や道徳観が水戸黄門を生む土壌となったのではないでしょうか。一言で言うなら、太平の世を実現した武士への信頼であり、その恩義に報いなければならないという道徳観です。

 もう一つのポイントは「水戸」という場所。黄門さまがなぜ、実際には関東の外へ出たことがない徳川光圀だったのか。水戸は尊王観を形成した「水戸学」の地。光圀は『大日本史』の編さんを通じて、忠臣・楠木正成を見いだしました。「太平記読み」ともつながります。

 光圀の編さんの動機は「藩」に縛られない「日本」という意識を持ったことでしょう。水戸黄門の「漫遊」には、藩の境界を相対化し越えていく日本認識が具体化されているようです。これが明治以降の天皇制につながったのかもしれません。

 この二点から考えると、水戸黄門で悪事をして懲らしめられるのがいつも代官などの臣下と悪徳商人で、トップである君主は決して裁かれないことも理解できます。「君」は侵すことのできない存在だからです。不徳・不忠の「臣」と利益ばかりを追求する不徳の「商人」こそが悪であり、善良だが非力な「民」を苦しめる。そういう民を救うのは徳と力(武力)を持つ「名君」だけだと。

 ここが中国と大きく違います。中国では徳を持たない君主は代えていいとなる。それが革命です。日本は儒学をはじめとして多くの思想を中国から受け入れましたが、なぜかそういう発想がありません。

 日本的な道徳はより良い人格形成のためのものではなく、自制によって他者との関係を形成するためのもの。具体的には、果たすべき役を遂行するための忠・孝です。価値観は多様であり、何が善悪かは分からないはずなのに、一面的に決められる善悪。水戸黄門が長寿番組になった背景には、動かし得ない価値=善悪=君が存在するという私たちの錯覚があるのかもしれません。

 (聞き手・大森雅弥)

 <たかの・のぶはる> 1957年、佐賀県生まれ。専門は日本近世史。著書に『武士神格化の研究』など。本年度から共同で「障害の歴史性に関する学際統合研究−比較史的な日本観察」に取り組む。

◆生き方のヒント学ぶ 心理カウンセラー・舟木彩乃さん

舟木彩乃さん

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 水戸黄門は、見ている人にとって精神安定剤のような効果を発揮します。なぜでしょうか。心理学的な視点から考えてみたいと思います。

 「首尾一貫感覚」という理論があります。米国の医療社会学者アーロン・アントノフスキー博士が提唱した理論で、「ストレス対処力」とも呼ばれます。三つの感覚で構成され、一つは、いま起きていることは大体分かるという「把握可能感」。二つ目は、何が起きてもなんとかなるという「処理可能感」。三つ目は、自分の身に起きるどんなことにも意味があると感じる「有意味感」です。これらの感覚を高めれば、ストレスに強くなるとされています。

 この理論を水戸黄門に当てはめてみます。水戸黄門は、いろいろな手段を用いて問題を調べ上げ、悪事はすべてお見通し。それは把握可能感です。助さん、格さんたちを使い、最後には印籠を示して悪人を力でねじ伏せる。これは処理可能感。最終的に、悪をくじき正義を実現するのは有意味感の表れです。

 水戸黄門は首尾一貫感覚がとても高い人物です。見ている人の心もすっきりさせてくれます。

 ただ、時代によって受け止め方は違います。昭和は高度成長の負の側面として、政財界の癒着が問題になりました。汚職事件もあり、国民の不満は高まりました。水戸黄門はドラマとはいえ、地道に働く庶民を尻目に私腹を肥やす悪代官らの悪事を暴き、懲らしめてくれる。その姿に視聴者は爽快感を得ました。把握可能感、処理可能感に共鳴したと思います。

 令和の時代はどうなるでしょうか。悪人を成敗すれば皆が留飲を下げるという時代ではありません。人生百年時代とか働き方改革で、一人一人の時間が増えていきます。自分の人生物語の意味を見いだしたいという欲求が強くなるでしょう。そうであれば、視聴者は水戸黄門の中にある有意味感に、より共感を覚えるようになるのではないかと予測します。

 ユング心理学では、誰もが共通して無意識の深層に男性の理想像である「老賢人」というイメージを持っていると考えます。水戸黄門はこのイメージにぴったりです。だから昭和から令和に至るまで支持されるのでしょう。このドラマには、そんな老賢人に学ぶ生き方のヒントがちりばめられていると思います。

 (聞き手・越智俊至)

 <ふなき・あやの> 千葉県生まれ。公認心理師。カウンセリングの実績は延べ8000人以上。筑波大大学院博士課程に在籍中。著書に『「首尾一貫感覚」で心を強くする』(小学館新書)。

 

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