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考える広場

カップルもいろいろ

 カップルの形が多様化している。同性同士で暮らすカップルがいれば、中高年になって「卒婚」するカップルも。夫婦の日(二月二日)にあらためて考える。夫婦って何だろう? 

 <カップルの多様化> 同性婚は日本では法的に認められていないが、欧米では2001年にオランダで同性婚を認める法律が施行されて以来、各国に広がっている。卒婚は、子育てが一段落した夫婦が離婚はしないで別居して、お互いの生活を尊重しあう関係などを指す。あえて法律上の結婚をしない事実婚のカップルもいる。

南和行さん

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◆多様化の実情考えて 弁護士・南和行さん

 大学時代に知り合った同性パートナーの吉田昌史弁護士と二〇一一年に結婚式を挙げ、家族や友人知人に二人の関係を披露しました。「弁護士夫夫(ふうふ)」として、法律事務所を共同で運営しています。同性カップルとして周囲に認知されて社会生活を送っているので、「結婚」はしています。でも、法律で保護される「婚姻」ではありません。

 弁護士として離婚などの案件を扱う中で、社会的安定のために結婚している人も多いと感じます。女性が経済的に自立できずに離婚できない背景には、就職差別や賃金格差など女性の置かれた社会的状況があります。「婚姻」は、個々人が愛情で結び付くイメージが強い「結婚」より、社会制度に組み込まれる意味合いが大きいのです。

 民法と戸籍法が想定する家族は、法律婚の男女から自然妊娠で生まれた子がいる家庭です。昔は人の移動も情報量も少なく、医療や科学技術も未発達だったので、家族の多様性が表に出づらかった。だから、法律が全ての家族に合致しているように多くの人が思えました。でも今は法の想定と、多様化した実情が合わなくなってきています。

 最近ようやく嫡出子と非嫡出子の相続差別が解消されたのをみても、婚姻、つまり現行法での結婚の本質は、愛情や共同生活の実情ではなく、代々家を継ぐための枠組みづくりです。

 でも、そもそも「好きだから一緒にいたい」という自然発生的な人間関係があり、そうやってさまざまな家族ができるのが実際です。それなのに、過去に法律を制定した時に表面化していなかったために、法律上保護される家族と、そうでない家族がある。なぜ、と思うのです。

 同性同士が結婚と同じように生活を送っているとする。でも、婚姻届を出して法律上の保護が得られるのは、戸籍の性別で男女の組み合わせに限定される。それも、法律が家族の形を限定している一例だと思います。

 同性婚訴訟が全国で起こされようとしています。僕は、法律の話以前に、結婚とは何だろう、家族とは何だろう、ということに個々人が立ち戻って考える時期が来ていると思っています。「人の自然な営みとして家族形成がある」ことと、「法律が家族を保護する」ことを、どう調整していくか。多様な家族を肯定する社会があってこそ、一人一人が幸せになれると信じています。

 (聞き手・出田阿生)

 <みなみ・かずゆき> 1976年、大阪府生まれ。「なんもり法律事務所」運営。出演するドキュメンタリー映画「愛と法」が全国で順次公開中。著書に『同性婚』、『僕たちのカラフルな毎日』(共著)。

◆性愛より「ケア関係」 同志社大教授・岡野八代さん

 性的少数者であるLGBTへの理解が広がってきたのはいいことです。ただ、レズビアンの一人として、同性愛者だからといって同性のパートナーがいることを前提に語られることには違和感を覚えます。同性愛でも異性愛でも独りでいる人は珍しくないのに。

岡野八代さん

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 問題は、人と人とのつながり方が性愛に特化して考えられていることです。性愛は自然なことと思われていますが、実はそうではない。多くの強い力によって水路づけられているのです。その意味で「夫婦の日」はうさんくさい(笑い)。

 特に一対の男女の関係が社会の基盤になっているのはいびつだし、歴史的には特殊な在り方だと思います。家族社会学でいう「近代家族」、夫・妻とそこに生まれた子どもで閉じた家族モデルが日本で一般的になったのは一九五〇年代半ばから。家事や育児は女性に無償の労働を強い、その裏返しとして男性は長時間労働を余儀なくされた。日本はそのひずみを是正するどころか、ある種のイデオロギーとして近代家族の価値を押し付け、そこから外れる人たちをバッシングしてきた。それが日本のカップル像です。

 カップル至上主義は日本の現実に合っていません。統計上、日本の世帯は単身世帯が一番多い。多くは高齢者ですが、結婚しなかった独身者も増えています。そのときに性愛だけの結び付きが家族を形成するというモデルでいいのか。単身者が互いに支え合い、共同で暮らす形態も家族と認め、法的にも担保すべきではないでしょうか。

 私が人と人とのつながりで性愛関係以上に重要と考えるのは、弱い存在を世話し、配慮する「ケア関係」です。人は生まれたとき、誰かケアしてくれる人がいないと生きられません。年を重ね心身の自由を失ったときもそう。ケアする・される関係にこそ政治は配慮すべきです。実際、カナダでは二〇〇一年に政府の諮問機関である法律委員会が、成人同士のケア関係について婚姻を中心とする家族と同等なものとして法的に扱うよう求める報告書を出しました。実現されませんでしたが。

 国を運営する政治家が子どもを増やしたいと希望するのは分かります。しかし、現実を見ない政策は意味がない。今苦しんでいる人たちに、自らの希望ではなく将来の展望を示してほしいです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <おかの・やよ> 1967年、三重県生まれ。同志社大大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。専門は西洋政治思想史・現代政治理論。著書に『フェミニズムの政治学』『戦争に抗する』など。

杉山由美子さん

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◆後半生もっと自由に フリーライター・杉山由美子さん

 結婚を卒業する「卒婚」。この言葉に出合ったのは、雑誌の仕事で中高年の共働きカップルを取材しているときでした。ある女性が「うちはもう卒婚している」と言ったんです。中高年夫婦の在り方、生き方として、いい言葉だなと思い、それから使わせてもらっています。

 ただ、卒婚には明確な定義があるわけではありません。だから人によって、カップルによって、卒婚の形やイメージは違うかもしれない。私の場合、私はマンションで一人暮らし、夫は歩いて三分ほどの別のマンションで生活しています。

 夫とは学生時代に知り合い、大学四年のときから事実婚でした。私には姓にこだわりがありました。家を継ぐとか姓を残したいという気持ちはありませんでした。当時、盛り上がっていたウーマンリブの考え方、フェミニズムの思想が根底にありました。結婚するとどちらかの姓になるけれど、圧倒的に夫の姓を選ぶ夫婦が多い。それに抵抗があったんです。

 女性向けの雑誌を発行している出版社に勤め、周りには結婚しない女性や、結婚はしても出産はしない女性がたくさんいました。でも、私は子どもを産みたかった。夫と一緒に暮らし始めてから十年以上迷っていたんですけどね。三十三歳のとき、長女を出産し、その三日後に婚姻届を提出しました。夫はフリーライターだったので「自分はペンネームで生きる」と言ってくれました。それで私の姓を選ぶことにしました。

 長女が中学三年のとき、夫は仕事場としてマンションを借り、そこで寝泊まりするようになりました。別居の始まりです。翌年、長女は夫のマンションに移り、私は次女と暮らすことになりました。結婚はずっと迷うものじゃないでしょうか。私も随分、悩みました。「結婚って何だろうな」と。でも、二人の娘は普通に結婚しました。人それぞれですね。夫は今、三度のご飯の時間になると私のマンションに来ます。病気がちになった私の分も料理を作ってくれるんです。

 いろいろな夫婦がいるし、これからは多様化がもっと進むでしょう。特に中高年のカップルが変わってきています。超高齢化社会になって、後半生はとても長くなりました。子育ても終わって第二の人生。もっと自由に生きてもいいと思います。

 (聞き手・越智俊至)

 <すぎやま・ゆみこ> 1951年、静岡県生まれ。早稲田大卒。出版社勤務を経てフリーに。働く女性、子育てなどをテーマに取材、執筆活動にあたる。『卒婚のススメ』(静山社文庫)など著書多数。

 

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