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私の冒険 マゼラン世界周航500年

 五百年前、ポルトガルの航海者マゼランの艦隊が世界一周の旅に出た。そうやって人間は自らの世界を広げてきた。限界に挑戦する冒険は、情報過多の現代も私たちを魅了してやまない。勇気を持って未知の世界に飛び出した人たちに冒険譚(たん)を聞いた。

 <マゼラン>(1480〜1521年) ポルトガル語ではマガリャンイス。スペイン国王と契約を結び、1519年9月に5隻の艦隊(237人乗り組み)を率いて同国サンルカール港から航海に出た。マゼラン自身は2年後、途中のマクタン島(フィリピン)での戦闘で死亡。一行は航海を続け、地球を一周する形で22年9月にサンルカール港に帰着した。生還者はわずか18人という厳しい航海だった。

◆未知を知り、夢を描け 宇宙飛行士・東京理科大特任副学長・向井千秋さん

向井千秋さん

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 きっかけは新聞記事でした。外科医として大学病院で当直勤務を終え、医局で開いた新聞にその記事は載っていました。「日本人宇宙飛行士を募集」。一九八三年十二月のことです。日本人も宇宙に行ける時代が来たんだ。私も地球を見てみたい。二、三日後には応募しようと決めていました。

 九四年七月、スペースシャトルに搭乗しました。窓から初めて見えたのはインド洋辺り。やっぱり地球は美しいなと思いました。ふるさとは離れたときに良さが分かるものです。地球とスペースシャトルの間には真空の隔たりがある。もしかしたら戻れないかもしれないと思いながら地球を見ると、ふるさとをいとおしく感じました。

 ただ、実は地球に帰ってきてからの方が私には面白かったんです。二週間の飛行で体が無重力の状態に適応しました。それが強い重力がある地球に戻ってきた。紙一枚の重さを実感しました。物が落ちるのは、強力な磁石が地球の中心にあって、パシャーンと引きつけられているように見えました。

 重力があるところで生まれたから、風が吹いたり物が落ちたりするのは当たり前だと思っていたけど、それは当たり前ではないんです。重力が強い力で地球を支配している。一方で重力があるから空気もあるわけですから、われわれは重力に生かされているとも言えます。私は重力文化と呼んでいます。宇宙医学の分野では、遺伝子発現に重力がどう影響するかという研究も進んでいます。

 私は今、月面に住むために必要な技術開発について多くの教員とともに研究しています。月での衣食住ですね。水と空気、食べ物、エネルギーの確保がテーマです。例えば、光触媒を水の再生やごみ処理に使えば、循環型の社会をつくれます。その技術は、もちろん地球の生活にも役立ちます。

 冒険とは、知らないことを知ろうと努力することだと思います。だから日常の中にいくらでも冒険はあります。若い人には人生は短いんだから、やりたいことにどんどん挑戦しなさいと言っています。私の好きな言葉は「夢に向かってもう一歩」。一番大切なのは夢を描くことです。「こんなことをやってみたい」と胸が熱くなるような夢。それを実現するために教育をツールとして使ってください。

 (聞き手・越智俊至)

 <むかい・ちあき> 1952年、群馬県生まれ。慶応大医学部卒。医師。医学博士。94年、スペースシャトル「コロンビア」に搭乗して日本人初の女性宇宙飛行士になる。98年に2回目の宇宙飛行。

◆社会の情報網の外へ 探検家・作家・角幡唯介さん

角幡唯介さん

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 冒険とは、日常の外へ飛び出すことです。でも、いまや未踏峰や地理的な空白はなくなりました。しかもテクノロジーの発達で高度情報化社会になり、世界中が見えない網で覆われています。だから現代の冒険は、「人間社会のシステムの外側に出ること」だと考えています。

 冬の北極圏と南極圏では、一日中太陽が昇らない特異な現象「極夜(きょくや)」があります。二〇一六年末から翌年にかけての八十日間、犬とソリを引いて、極夜を探検しました。太陽と人工照明に支配された人間社会から、未知と混沌(こんとん)の、暗闇の領域に飛び出す「脱システム」です。

 移動中に自分がどこにいるのか分からない不安や恐怖が極夜の本質なので、わざと衛星利用測位システム(GPS)を使いませんでした。星を目印に方角を探り、月光が見せる幻影に翻弄(ほんろう)され、死と隣り合わせで歩き続けた。そして、いにしえの人々が見たように月や星、闇、太陽を感じることができました。

 冒険家の資質とは、鈍感力というか、無謀さでしょう。未知の領域に行くのだから絶対リスクはあります。予定も立たず、マニュアルもなく、成果が得られるか分からない。自力で全て判断し、処理しなきゃいけない。現代社会は情報通信網に管理されるのが当たり前。でも「管理された楽ちんな世界」より、自然の中で体感する「しんどい自由」に、生きていることの秘密があるような気がします。

 でも現代人の脳は、テクノロジーが不確定要素を排除することに慣れてしまった。予測が立てられないことは「非効率的だから選ばない」という発想や思考法がまん延し、若い人もそう育てられます。人間の発想自体が非冒険的になっている。

 昨年は人質事件から生還した戦場ジャーナリストがバッシングされました。まるで勝手に飛び出して秩序を破った人間は責任を取って死んでこい、というように。ぬるま湯のような世界で充足していると他者への想像力が働かない。外へ飛び出す人は、居心地の良い日常を脅かす存在になるからでしょうか。

 でも、日常から飛び出す人が5%いることが大事だと思います。「外にはこんな場所があるよ」「あなたたちの世界は外からはこういうふうに見えるよ」と新しい価値観をもたらすから。その多様性が発展につながるし、人間社会として健全だと思うんです。

 (聞き手・出田阿生)

 <かくはた・ゆうすけ> 1976年、北海道生まれ。元朝日新聞記者。『空白の五マイル』『アグルーカの行方』で複数の文学賞を受賞。最新作の『極夜行』で本屋大賞(ノンフィクション本大賞)、大仏次郎賞。

◆困難突破する知恵を 映像・コンテンツプロデューサー・益田祐美子さん

益田祐美子さん

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 主婦から映画プロデューサーになりました。けっこう危険な海外にも行ったり。確かに冒険でしたね。でも、英語にこういうことわざがあるんですって。「ナッシング・ベンチャード、ナッシング・ゲインド(危険を冒さずに成功はできない)」

 きっかけは、児童劇団に入れた娘が映画のオーディションに合格し、その青森ロケに付き添ったことです。ストーリーが暗いやら寒いやらで、娘が「やめる」と言い出しました。そこで「ママがあなた主演の映画を作るから我慢して」と言ってしまった。約束を守ろうと、映画を作ることを決心しました(結局、娘は主演を降りましたが)。

 そう思えた理由もありました。青森で見た映画の現場は無駄が多くて「私だったらこうするのに」と思うことがしばしば。これなら私でもできると思い込んでしまった。その数年前にペルシャじゅうたん販売店のイラン人店主と知り合い、同国との関係ができてきたこともあり、日本とイランの子どもが心を通わせる映画を作ろうと。

 店主の紹介で企画書を同国政府などに送ったら「いい話だね」と歓迎してくれた。でも日本ではまず「誰がお金を出すのか」。プロデューサーが必要と言われ会ってみると、映画会社などからどうお金や協力を引き出すかという口利きの話ばかり。「じゃあ自分でプロデュースする!」。映画って、まず一緒にやろうという気持ちが大事。イラン人となら経験のない私でもできるかもって。

 失敗は考えなかったか? 心配するだろうと家族には後まで言いませんでしたが、まあ、あまり物事を深く考えないたちで。だまされても何を言われてもニコニコ。それが相手の壁を崩してくれる。イメージとしては、細胞膜に穴を開けて心の琴線に入り込んで、中でぶわっと増殖して味方にしてしまう。まるでウイルス(笑い)。

 映画作りは冒険と同じで、先に何があるか分からない。計画が駄目になったとき、頭でっかちの知識では対応できません。困難に遭遇したときに逃げ道を見つける知恵が大事。きつい交渉もありますが、相手は人間だから突破の余地はある。しかし、日本は外の交渉相手より組織内部の人と戦うのにエネルギーが必要。私の冒険が成功したのは組織に縛られず、外に向けて動けたからだと思います。

 (聞き手・大森雅弥)

 <ますだ・ゆみこ> 1961年、岐阜県生まれ。2003年公開の「風の絨毯(じゅうたん)」を皮切りに映画13本を製作。最新作の日本・ロシア合作「ソローキンの見た桜」が3月22日から全国公開。

 

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