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考える広場

ラジオのチカラ

 ネットが主役の今、ラジオを聴く人は少なくなった。かつて深夜放送に夢中になった若者たち。今ではラジオ離れが進んでいる。でもラジコを使えばスマホで聴くこともできる。ラジオの魅力、将来は−。

 <日本のラジオ> 日本でラジオ放送が始まったのは1925年3月。東京放送局(現NHK)が電波を発信した。民放では、中部日本放送(現CBCラジオ)が51年9月に初めて放送を開始した。身近なメディアとして情報、娯楽を提供してきたラジオだが、テレビの登場、ネットの台頭と強力なライバルが出現し、競争は激しい。ただ、ことしは作家の村上春樹さんがラジオ番組でDJを務めたり、歌手の安室奈美恵さんの引退特別番組を全国の民放101局が放送したりして話題になった。

◆想像力養うメディア DJ、タレント・小林克也さん

小林克也さん

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 まだテレビがなかった時代、ラジオは生活のど真ん中にありました。家族だんらんの場ではいつもラジオが流れていた。子どもだった僕にとっては、おもちゃ箱のようなものでした。音楽やドラマ、そして外国語…。ラジオの中から何でも出てきました。

 小学生のときから家に帰ると一人でラジオを聴いていました。そのころは今より多くの放送が聴けたんです。国内の放送局だけでなく米軍の英語放送もあったし、中国や韓国、ソ連からも電波が届きました。米軍放送では「ターザン」のラジオドラマも流れていました。ジャズやカントリー音楽の背後にはアメリカという国の圧倒的な豊かさを感じ、あこがれました。

 一九五六年、僕が十五歳のときの出来事です。米軍放送で、それまで聴いたこともない音楽が流れてきました。衝撃的でしたね。一体これは何だ? エルビス・プレスリーでした。それからはプレスリーの曲がかかりそうな番組を探して聴くようになりました。聴きたい番組が始まる時間になると、高校を抜け出して自転車で家に帰ってしまったこともあります。

 若者の間でロックがはやるようになると、ラジオの聴き方が変わりました。家族だんらんから個人で楽しむものに。アメリカでは放送の聴かせ方も変わりました。曲のイントロが流れる間に曲名やアーティスト名を紹介するのではなくて、気の利いたジョークを言う。そういうスタイルが生まれました。曲名だけ言うのはダサいと。でも日本では変わらなかった。

 僕は七六年に始まった「スネークマンショー」というラジオ番組でアメリカのまねをしました。曲の前にコントのようなネタを入れる。ちょっと過激なコントに続いて、パンクロックが鳴る。過激なコントと反逆的なパンク。感性が合うんです。

 メディアは想像力をかき立てるものだと思います。例えば映画監督の小津安二郎さんは映像で、すべては見せません。堤防は映るけど川は出てこないとか。だから川は見ている人がそれぞれに想像するんです。そこが面白い。ラジオは音だけの世界。想像力や「遊び心」を養ってくれるメディアです。

 ラジオは僕の生き方を変えたフォース(力)です。やり方によってはすごく面白いなと今でも思っています。

 (聞き手・越智俊至)

 <こばやし・かつや> 1941年、広島県生まれ。70年からラジオDJ。俳優としてテレビドラマや映画に多数出演。ナレーション、音楽活動とマルチな才能を生かして幅広い分野で活躍中。

◆局の垣根越えていく ラジコ社長・青木貴博さん

青木貴博さん

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 ラジコは、ラジオで放送されている番組をインターネット回線に乗せて送るサービスです。通信ですから、ラジオ受信機ではなくスマートフォンやパソコン、タブレット端末で聴くことになります。

 無料のアプリをダウンロードするだけで住んでいる地域のラジオ放送がスマホで聴けるようになり、聴き逃した番組を一週間前までさかのぼって聴ける「タイムフリー」サービスもあります。月額三百五十円(税別)の有料会員になれば全国九十三局の放送が聴ける「エリアフリー」サービスも利用できます。

 面白いと思った番組をSNS(会員制交流サイト)で発信できるシェア機能もあります。これはデジタルネーティブといわれる若い世代を意識して導入しました。ネットにはエンターテインメントの選択肢があふれています。その中からラジオを選んでもらうためにはどうしたらいいか。いま聴いている若者が他の若者に薦めてくれれば効果的です。若い人は親や先生の話は聞かなくても友達の話は聞きます。友達が面白いと言うなら、自分も一回聴いてみようかなと。それがきっかけになって若いユーザーが増えていけばいいなと思っています。

 ラジコが試験配信を始めたのは二〇一〇年三月です。そのころラジオの聴取率は下がり、広告収入はピーク時の半分ぐらいまで減っていました。都市部では高層ビルが林立し、ラジオが聴きづらくなっていた。難聴取エリアの解消がラジコ誕生の第一の狙いです。しかし、リスナーの減少や広告収入の落ち込みに各放送局が危機感を持っていたことも背景にあります。

 ラジコというプラットフォームは各局の協調領域です。競合する会社が手を組むのは、どの業界でも難しいことですが、ラジオ局は同じ土台に乗れた。いまは一日に百二十万〜百三十万人が聴いてくれています。

 今後は、ラジコを聴いている人に、別の番組を薦めるサービスを始める予定です。スマホの画面に「あなたにはこの番組もお薦めです」と表示する。他局の番組を薦めることもあります。これまでの放送文化では考えられないことです。しかし、ユーザーへのサービスを向上させてラジオ業界全体を活性化するためには協調することも重要です。来年中には実現したいと考えています。

 (聞き手・越智俊至)

 <あおき・たかひろ> 1970年、東京都生まれ。法政大卒。93年電通入社。主にラジオ領域の業務に従事。ラジコ設立前から事業に携わり会社設立の2010年12月から出向。17年6月から現職。

◆ネットの歩み、先取り 京都大教授・佐藤卓己さん

佐藤卓己さん

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 ラジオは法律上は「無線電話」と定義されていました。この電子メディアが登場する前と後で、コミュニケーションという言葉の意味は大きく変わりました。それ以前は「交通」と訳されていましたが、以後は「伝達」「通信」が主流になります。

 ラジオ以前のメディアである新聞、雑誌などは、情報の移動と物理的な移動(物流)がセットでした。新聞や雑誌は鉄道や自動車などの交通機関で運ばれてこないと見られない。しかし、ラジオでは情報が交通から切り離されて届けられます。

 歴史上初めて場所に規定されない情報アクセスが登場したという意味で、まさに画期的です。歴史的には、市民(ブルジョア)社会から大衆(マス)社会への画期をなしました。言葉の正しい意味でのマス(大量)メディア、全国的なメディアはラジオをもって成立したといえます。

 ラジオの黄金期は一九三〇〜四〇年代のファシズム=総力戦の時代に重なります。周知のように、ヒトラーやルーズベルトは効果的にラジオを使い、国民の支持を集めました。なぜラジオだったか? アトム(原子)化した個人を直接、総統や大統領の声に触れさせることができたからです。伝統的な情報アクセス組織だった教会や労働組合などの中間集団は中抜きされてしまいました。この「場所感覚の喪失」も大衆の政治参加を高めました。ラジオは情動的な「参加=動員」のメディアでした。

 この「参加=動員」という意味で、ラジオは今日のインターネットに直結するメディアです。ただし、ラジオは定時に放送され、みんなで同時に聴くという意味で時間拘束性は非常に高いメディアでした。一方、ネットは時間に拘束されず、いつでもアクセス可能です。ネットは時間感覚まで奪います。受け手がいつでもアクセスできるため、送り手は情報を十分にコントロールできません。「いいね!」とクリックする受け手の欲望に適合した情報だけが集められます。自己満足の歴史修正主義が台頭するのは必然です。

 そのため、受け手は細分化、分断化されていくでしょう。しかし、国民全体に向けた画一的ブロードキャスト(広範放送)から特定聴取者向けのナローキャスト(限定放送)への歴史は、ラジオの歩みに他ならない。その意味で、ラジオはネットを先取りしていると言えるかもしれません。

 (聞き手・大森雅弥)

 <さとう・たくみ> 1960年、広島県生まれ。専門はメディア史、大衆文化論。2003年に『「キング」の時代』でサントリー学芸賞。今年、『ファシスト的公共性』で毎日出版文化賞。

 

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