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考える広場

明治150年と日本語

 近代化の道を急ぎ足で進み始めた明治の日本。そこでは言葉も問題になった。誰にでも通じる「標準語」が求められ、戦後は「共通語」と呼ばれることも多くなった。ことしは明治維新から百五十年。日本語はどう変化してきたのか、これからどう変わっていくのか。

 <明治の国語問題> 近代化を進めるために日本語を改良する必要があるという意見は幕末にもみられるが、議論が本格化したのは明治に入ってから。漢字の廃止・制限、ローマ字採用など主張は入り乱れた。国語問題の一つとして、全国で通じる「標準語」形成の議論があり、教育を通して普及が図られた。太平洋戦争後は「共通語」と言われることが多くなったが、専門家の中には今でも使い分ける人もいる。

小野正嗣さん

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◆言葉が生まれる好機 作家、立教大教授・小野正嗣さん

 大分の田舎から東京に来て、最初は共通語に違和感を持ちながら勉強を続けました。そこで思ったのは、学習すること、大学で学んだり本を読んだりすることは基本的に共通語でなされているということです。田舎に戻って「おまや(おまえは)大学で何しよるんか」と聞かれても、方言ではうまく説明できない。知の言語は共通語と結び付いていると帰省のたびに感じました。

 ただ、僕の周りの方言をしゃべる人たちは、確かに書物の文化からは遠いですが、知的に劣っているかというと全くそんなことはない。人間として非常に魅力的で、機知に富む面白い話をするおじさんやおばさんがたくさんいる。東京で会話をしていると、そこに出てくる人物は意外と少ないんです。田舎では皆、他人に興味があって、過疎地だけど話の登場人物は圧倒的に多い。「○○さんって、どこん人か?」「おまえのお父の同級生のいとこじゃが」とかね。次々と別の人が呼び込まれ、生きている人も死んでいる人もごっちゃに出てくる。死者と生者がつねに共にある。それは文化的に豊かということではないですか。

 僕が研究しているカリブ海地域の小説は、島に固有の言葉でしゃべる魅力的な人物で満ちています。その言葉の影響を受けたフランス語で書かれ、そこに生きる人たちの口承性が息づいています。それを読んでますます自分の田舎は書くに値するところだと確信を得ました。

 文学は日本の近代化において言文一致を通じて「国語」の形成に一定の役割を果たしました。新聞小説が典型です。しかし、フランスの作家プルーストが言うように、優れた文学とは国語を用いながら「外国語(=異質な言語)で書く」ことなのです。普段慣れ親しんでいるのとは異質な言葉を作ること。新聞で傑作を次々と発表した「国民作家」の夏目漱石が代表ですが、「国語」を作る一方で壊す。それが日本語の可能性を広げる。

 そもそも今の日本語は明治時代、いろんな地方の言葉が混じってできたと思うのです。それがよりグローバル化して、今や違った母語や文化を持った人たちが日本にやって来ている。何を言っているかは分からないけれど、異質な言葉の響きは耳に残る。その中から新しい言葉、文学が生まれてくるかもしれない。これは日本語にとってチャンスだと思います。

 (聞き手・大森雅弥)

 <おの・まさつぐ> 1970年、大分県生まれ。専門はフランス語圏文学。2015年に「九年前の祈り」で芥川賞。近著は『ヨロコビ・ムカエル?』(白水社)。NHK「日曜美術館」の司会を務める。

◆放送用語は一モデル NHK放送文化研究所主任研究員・塩田雄大さん

 書き言葉としての標準語は大正初期にはほぼ成立していました。そして、それを読み上げれば標準語の話し言葉になると思われていました。ところが、一九二五(大正十四)年にラジオ放送が始まると、いろいろな問題が起きました。アナウンサーがなまっているという苦情もあったようです。

塩田雄大さん

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 話し言葉について国は何も決めなかったので、放送局が主体になって放送用語や発音・アクセントの調査や研究に取り組んできました。「放送用語委員会」が発足したのは三四(昭和九)年です。耳で聞いて分かりやすい言葉が放送には適しています。漢語は同音異義語が多いので分かりにくい。だから大和言葉を使おう、場合によっては外来語も使おうという方針が採られました。ただ、戦時中には轟沈(ごうちん)とか玉砕とか勇猛果敢な漢語も使われていました。

 委員会が発足した当初は全国ニュースは東京の言葉、ローカルニュースは各放送局のある地域の方言で放送するという案もありました。しかし、委員会で否決されたようで、結論としては全国、ローカルを問わず放送では標準語を使うという形になりました。ニュースについてはそれが現在まで続いています。

 放送が各地の方言を壊したとか衰退させたと言う人がいます。しかし、放送用語はあくまで一つのモデルです。それを採用するかどうかは個人の問題だと思います。関西の人も全国放送を見聞きしていますが、日常生活ではふつう方言で話しています。その地域の人が個人で選択しているからだと思います。

 調査をすると、NHKのアナウンサーが話す言葉が共通語の手本と考えている人が多くいます。共通語の定義は人によって違いますが、私は地域や世代を超えて意味が通じれば共通語だと考えています。放送用語だけが「正しい言葉」とは思っていません。放送という場面で「ふさわしい言葉」とは言えますが。アナウンサーの言葉は、いわばタキシードです。普段の生活には向きません。言葉がふさわしいかどうかは文脈や場面で変わります。放送には適していなくても友達同士の会話なら何の問題もない言葉もあります。

 タキシードをどう着るべきかも時代によって変わります。だから、時代の空気や価値観の変化を注意深く見ながら放送用語にも微調整を加えています。

 (聞き手・越智俊至)

 <しおだ・たけひろ> 1969年、神奈川県生まれ。学習院大大学院博士課程修了。博士(日本語日本文学)。著書に『現代日本語史における放送用語の形成の研究』(三省堂)など。

安田敏朗さん

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◆政治的思惑に注意を 社会言語学者・安田敏朗さん

 近代国家を効率よく運営していくためには、できればひとつの均質な言語がある方がよい。それが標準語の原則です。国民皆兵、義務教育。近代国家が一人一人の人間を把握し、均質な国民として制度に取り込むためには、同じ言葉を使う必要がある。標準語は、「国家制度を動かすための国語」を具現化したものです。

 日清・日露戦争が起きた一九〇〇年代前後に国民国家の形成が進むと、国家的な統一言語を構築しようとする流れが急激に進みました。〇二年には文部省に「国語調査委員会」が設置され、基本方針のひとつに「方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト」が示された。一六年に公表された同委員会の調査報告『口語法』では、「東京ニ於テ専ラ教育アル人々ノ間ニ行ハルル口語」、つまり東京の山の手言葉を標準語の基準にするとされました。

 「国語に国民精神が宿る」といういい方で、国語普及を後押しした側面もありましたが、強制というよりも標準語を習得することで社会的上昇ができる、つまり立身出世できると人々が考えた側面も忘れてはいけません。いま、英語ができれば何でもできると考えてしまうことと同じです。

 標準語は力のある側が使う言葉です。東京の山の手言葉の代わりに、関西弁が標準語になっても同じこと。だからこそ言葉をめぐる政治性にはもうちょっと注目してもいいと思います。

 二〇〇〇年ごろから「国語」に過度の精神性を付与する動きが、再度目立ち始めています。文部科学省文化審議会の答申「これからの時代に求められる国語力について」では、「情緒力」などと言い出した。「近年の日本社会に見られる人心などの荒廃」を治癒するものとして「国語」を位置づけています。社会の分断を回復させる力が「国語」にあるのでしょうか?

 今後は日本に移民が増え、日本語の位置づけが変わるはずです。移民への日本語教育だけでなく、母語の継承教育も必要になる。かつての日本にも植民地などからの人の移動があったこと、アイヌ語、琉球語の存在、そして方言もひとつの言語と考えれば、日本はこれまでも多言語社会でした。多言語社会でわれわれは生きてきたし、これからも生きる。そんな意識が大事だと思います。

 (聞き手・出田阿生)

 <やすだ・としあき> 1968年、神奈川県生まれ。一橋大教員。近代日本言語史専攻。近著に『漢字廃止の思想史』(平凡社)『大槻文彦「言海」−辞書と日本の近代』(慶応大学出版会)など。

 

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