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考える広場

縄文 その魅力の根源

 いま縄文時代が注目されている。今夏、東京国立博物館で開かれた展覧会では二カ月の期間中、三十万人を超える入場者があった。縄文の何が現代人をこれほど引きつけるのか。

 <縄文時代> 縄の文様がある縄文土器が作られていた時代。考古学でいうと新石器時代に属し、石器も使われていた。遺跡は日本列島各地で見つかっており、縄文文化は広く分布していた。縄文人は小さな竪穴住居で暮らしていたとみられていたが、青森市の三内丸山遺跡の発掘では集合住宅のような大型の竪穴住居が見つかった。

苅谷俊介さん

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◆現代と違う価値体系 俳優、京都橘大客員教授・苅谷俊介さん

 考古学に興味を持ったきっかけは縄文土器でした。高校二年の時に学校をサボる口実として、近くの遺跡の発掘を手伝いました。土器のかけらが見つかって手のひらに載せて見ていたら、考古学者の賀川光夫先生が「八千年も昔の人が作ったんだよ」と。そんな大昔の人と自分は今つながっていると、カルチャーショックを受けました。

 縄文とは何か。実は分からないんです。ただ、私が言えるのは三つ。現代人も縄文人も自然との関係と社会組織の中で行動し、感情・感覚という「心的要素」、思考・知識という「知的要素」は同様ということ。二つに、現代と縄文とでは価値体系が大きく異なり、それに伴う世界観も違います。現代は物質本位の生産消費系、縄文は自然環境に対応するための道具による狩猟採取系で、現代と縄文の物質文化は明らかに違う。三つに、現代は自然とのつながりから生まれた信仰・祭祀(さいし)・風習が形骸化していますが、縄文には、人間を超越した神秘的な力を信じる「マナイズム」、全ての物に霊魂があり生きているという「アニミズム」、死者の霊魂が生者に災いと幸福をもたらすという「死霊崇拝」、これらを基にする思想信仰が非常に強い。私はこの三つを念頭に土偶・土器文様・遺構(貝塚・ストーンサークルほか)を観察します。

 縄文に今の価値観を適用するのは間違いです。「無知で野蛮」と言う人がいたら、私は許さない。縄文人は今と同じように子どもの足形を取っている。その足形付き土版にはひもを通す穴があり、つるす護符のようにして無事な成長を祈ったと思われます。そんな人間味あふれた人たち。大量殺りくを繰り返す現代人こそ無知で野蛮です。

 土器も何度も作りました。そこで分かってきたのは、土器の文様は単なる装飾ではなく、メッセージ性を記号化した高度な表現であり、心像(しんぞう)(五感による経験や記憶を具体的に描いたもの)を伝達しようとする意志ではないかということです。

 今の縄文ブームは「日本文化の基層は縄文だ」と誇りを持つところまでいかないと一過性に終わる。そのためにも、考古学は過去の文化の変遷様相を考究し、見習うべきところを未来につなげる「未来学」であるべきです。一万年も戦争のなかった社会、自然との共生に道具を駆使した社会。その精神性を未来に。

 (聞き手・大森雅弥)

 <かりや・しゅんすけ> 1946年、大分県生まれ。テレビドラマ「大都会」「西部警察」などで活躍。日本考古学協会会員として発掘、論文発表多数。著書に『土と役者と考古学』など。

◆自然と溶け合う思考 考古学者・大島直行さん

 縄文は歴史的には新石器時代です。その要件は原初的な文字、農耕、牧畜があること。縄文は、そのいずれもが存在していなかったとされます。この時代、狩猟採集社会だったのは極めてまれ。世界でも謎です。

大島直行さん

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 文字や農耕がなかったということで縄文は原始的な段階と見られがちです。世界最古の土器や弓矢を生んだのに。発達史観にとらわれた評価です。文字がないということは、決して遅れていることではない。文字は農耕、牧畜に必然的に伴うもの。人が多くなるから管理上、文字と数字が必要なのです。その必要性がなかったことこそ、縄文の特徴と考えるべきです。

 それは土器や土偶などの形や模様からも読み取れます。合理性や経済性に基づいて生活に直結する道具よりも、精神活動に関する遺物・遺構が多すぎる。そこには弥生以後とは全く違う世界観があります。

 それを読み解く理論として、私は脳科学や神経心理学などの認知科学に注目しました。それによると、私たちの脳には合理性だけではなく非合理性の思考をつくり出す基盤が生得的にある。具体的には象徴体系(シンボリズム)と、それを表現する修辞法(レトリック)。縄文人は合理的な思考、人と動植物を区別するような二項対立、「矛盾律」に基づく思考ではなく、人と動植物の明瞭な区分がなく溶け合うような「融即律」の思考だったのではないか。

 私の考えでは、縄文人は、死から逃れて再生を可能にするものとして、月−子宮−水−蛇というシンボル体系をつくりだしました。自立型の土偶の多くが斜め上を見ているのは月の水(精液)を集めようとしていると見えますし、縄文の模様は交合する蛇を象徴しています。

 最近の縄文ブームがその芸術性の魅力によるものであることは、従来の考古学の限界を超えるものとして評価できますが、一方で考古学が芸術にのみ込まれてしまったとも思います。ましてや、それが「日本人はすごい」というナショナリズムの発揚に使われるのは危険と言わざるを得ない。

 シンボルの世界に生きていた縄文人には「美」や「芸術」という考えはなかったでしょう。現代に生きるわれわれとは全く異なる価値観・世界観を基盤とする文化であることが縄文の魅力であり、普遍的な価値なのです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <おおしま・なおゆき> 1950年、北海道生まれ。札幌医科大客員教授、日本考古学協会理事。著書に『縄文人はなぜ死者を穴に埋めたのか』『縄文人の世界観』『月と蛇と縄文人』など。

譽田亜紀子さん

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◆命つなぐ懸命さ新鮮 「土偶女子」・譽田亜紀子さん

 私を縄文の魅力に目覚めさせてくれた恩人が、二〇〇九年に偶然出会った小さな土偶です。そのユルさ加減たるや、子どもが粘土でこねた人形みたい。衝撃でした。どういう人たちがこんなものを作ったのか。調べると、そこにはめくるめくような「土偶界」が広がっていました。ムンクの「叫び」そっくりな子、映画「E・T・」の宇宙人みたいな子…。思わず「子」と呼びたくなるほど個性的で朗らかな魅力にあふれていました。

 同じ日本列島にいたご先祖がこんなにも面白いものを作っていた。考古学に興味がない人にも知らせたくて、本の出版や講演などにいそしんでいます。

 文字のない時代を想像する縁となるのは、土偶や土器などの「遺物」です。本当の意味は分からない。でも逆に、いくらでも想像の余地がある。縄文の謎は本当に多いです。たとえば八丈島で、青森産の土器片が出てきたりする。どうやって海を渡ったんでしょうね。

 数年前、縄文人をまねしてスープを作る実験をしました。火をおこし、土器にお湯が沸くまでに一時間、完成まで二時間半。そのおいしかったこと…! 釣り針ひとつ作るにも、頃合いの鹿の角を探すところから始まる。縄文人は、自分たちの命をつなぐために、毎日懸命に生きていたんだと思います。

 ちっぽけな人間が厳しい自然の中で生き抜くためには、集団生活が有利です。ユートピアではなかったと思うけれど、奪い合うより譲り合わなければ生きていけなかったと思う。現代の日本人が縄文に引かれるのは、生きるための懸命さが失われた社会の裏返しかもしれません。

 島国の狩猟採集民が持っていた独特の世界観は、海外でも脚光を浴びています。縄文人は「自然と共生」するのではなく、「自然の一部」として生きていたのかなと。アニミズムは世界中にありますが、自然界で生きていれば「万物に魂が宿る」と思うようになるのでは。突然の災害、病や死など理不尽な運命を受け入れるためにも、「目に見えない世界がある」と考えるようになったのだと思います。

 中高年男性が多い考古学の世界ですが、今年開催された縄文展には、若者や女性が大勢来場しました。本物を鑑賞して、そのエネルギーを感じ、各地の博物館や資料館に、縄文遺物を見に行く人が増えてほしいです。

 (聞き手・出田阿生)

 <こんだ・あきこ> 1975年、岐阜県生まれ。フリーライター。著書に『はじめての土偶』『土偶界へようこそ』『おもしろ謎解き「縄文」のヒミツ』、折り紙本『折る土偶ちゃん』など。

 

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