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平成ダイアリー ある30年

(番外)若者の居場所、元店経営者逝く

母親のように慕った吉木美子さんの遺影に手を合わせる「あやか」さん=愛知県豊田市で

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 一月下旬、愛知県豊田市の病院で、末期がんの女性が家族に見守られ、静かに息を引き取った。かつて、市街地の一角にあったスパゲティ店「じゃんご豊田中央店」を営んでいた吉木美子(よしこ)さん=享年四十九。面倒見がよく、店には地域の子どもや若者らが集まった。出会いを大切にした人生の最期を「ありがとう」の言葉で締めくくった。

 店を切り盛りしたのは一九九八〜二〇〇八年ごろ。夕方になると、当時小学生だった一人息子が、いつも友だちを連れて店にやってきた。両親が共働きの子には「出世払いね」とスパゲティを振る舞った。営業終了の午後十時が近づけば、なじみ客やアルバイトが休みの若者が顔をのぞかせた。一緒に片付けをしながら身の上相談に耳を傾ける毎日。自然と人が集まった。

 定休日を設けず、元日と年一度の社員旅行以外は、ほぼ店を開いた。店内の九つのテーブルには自由に書けるノート。客が記した仕事の悩みや恋愛相談に返事を書くのが日課だった。

 女手一つで子育てしながら店を切り回す姿は、同じママ友たちの励みにも。子育て中の友人が夜も働きに出れば幼子を預かり、悩み事があれば、家に出向いて話を聞いた。困った人を放っておけなかった。

 十八歳で結婚し、二度の離婚。息子の成長を見届けて店を知人に譲ると、一一年からは「親世代への恩返しがしたい」と介護タクシー事業を始めた。肝内胆管がんと分かったのは、事業が軌道に乗っていた一七年秋。それでも「これで、介護を受ける人の気持ちも分かる」と前向きだった。

 本紙で一月に連載した「平成ダイアリー」の主人公「あやか」も、スパゲティ店を営んでいたころの吉木さんに面倒を見てもらった一人。小学校卒業後すぐに家出し、行き場を失っていた三カ月間、自宅で寝泊まりさせてもらった。大人になっても家族のような関係は続いた。連載を通じ、あやかの実父が見つかったことを自分のことのように喜んだ吉木さんは、病床で意識を失う直前まで「もう会ったの?」と気に掛けた。

 あやかにとって吉木さんは「もう一人の母親」だった。「ママがいたから、今の自分がある」。病に倒れたママを思うと、いつも涙があふれた。

 吉木さんが「あやか」についての取材を受けたのは、「人との出会いは大切」と感じてきたから。死期を悟った病床で、これまでの出会いに思いを巡らしていた。一月上旬、自身の葬儀に参列してくれるだろう人を思い浮かべ、親族に口伝えでメッセージを託した。同二十二日の通夜、親族のあいさつの中で参列者に伝えられた。

 「ありがとう。今まで出会った方、これから出会う方、すべての方に感謝の気持ちを忘れずに生きてください」

 (細井卓也)

 <連載した「平成ダイアリー」のあらすじ> 平成元年、愛知県豊田市で女の赤ちゃんが生まれた。名はあやか。物心つく前に両親が離婚。母はあやかと年子の妹を連れて再婚したが、病に倒れ、帰らぬ人になった。あやかは血のつながりのない父や祖父母との暮らしの中で居場所を失い、小6の終わりに家を飛び出した。手を差し伸べたのは妹の同級生のスパゲティ屋さん。新たな生活の場となった児童養護施設では周囲に支えられながら成長し、社会に出た。理容師として慌ただしく過ごしていた平成最後の師走、実の父からメールが届いた。

 

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