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平成ダイアリー ある30年

(3)家なき子 施設の方がいいよ

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あやかは、学校と家の間の公園でよく遊んだ。家に帰りたくなかった

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 真冬、手に息を吹きかけ、庭先の水場で蛇口をひねる。水が痛い。傍らでぞうきんを絞る妹の手は、あかぎれができていた。

 平成十(一九九八)年に母を亡くしたあやかと妹は、血のつながらない父と兄、そして祖父母と暮らしていた。「お嫁にいっても、困らないようにね」。祖母はそう言って、家事手伝いを小学生の姉妹に仕込んだ。

 あやかの当番は一日二回のトイレ掃除と、廊下のぞうきんがけ。妹は台所回りの床ふきと、洗面台の掃除。おつかいに夕飯の後片付け、肩たたきまで終えたころ、自由な時間はなくなっていた。たまらず、朝五時半に起きて、妹と誰もいない公園で遊んだ。それも、祖母に知れると「そんなに早く起きられるんだね」と、今度は早朝の掃除が日課に加わった。

 手を抜けば祖父母に怒られ、それを知った父から、また雷が落ちる。運が悪いと、三人から頬(ほお)を張られた。気が休まらず、息苦しかった。あやかはよく、缶コーヒーのCMソングでリバイバルヒットしていた「明日があるさ」を口ずさんでいたが、妹はあるとき、部屋の照明のひもの輪っかに小さな首をくぐらせた。「お母さんのところにいけるかな」。でも、ひもは一瞬で切れた。

 あやかは小学校が大好きだった。授業が終わる前から腰を浮かせ、放課になった途端、猛ダッシュ。誰よりも早くサッカーボールを転がし、ゴールに蹴り込んだ。小六になると、翌年の中学校からは完全週五日制が始まると知った。友だちは休みが増えると喜んでいたが、一人、心の中で「最悪っ」と叫んだ。

 卒業式で歌ったのは、両親や友だちへの感謝をつづった曲「心からありがとう」。家を飛び出したのは、その直後だった。

 春休み、友だちの家を転々とし、父に見つかっては連れ戻され、また家を出る。それほど「家にいたくなかった」。やがて、転がり込んだのは、妹の同級生のスパゲティ屋さん。一人で子どもを育て、店を切り盛りするママに親しみを感じた。ママは父に「しばらく様子見るから」と言い含め、店から中学に通わせてくれた。

 ママからすると、あやかはよく、ちっちゃなうそをついた。身を守るために染み付いたのか。宿題をやってないのに、「やった」。遊びに行ったのに、「行ってない」。そのたびに、ママは「一緒にいるんだから、顔で分かるんだよ」と向き合った。あやかも、母を感じたのか、厳しく叱られても居心地がよかった。

 制服が夏服に替わり、一学期が終わるころ。ママもあやかも「ずっとこのままではいられない」と感じ始めていた。学校も、児童相談所も、この先の生活を心配していた。

 ある夜、ママが店じまいしていると、突然、父が現れた。店のいすに腰掛けていたあやかに「どうするんだ」と詰め寄った。あやかはもう、父の顔を見ることすらできなくなっていた。押し黙ったまま、テーブルにあった帳面に書いて、差し出した。

 「家に帰るくらいなら、施設にいく方がいい」(敬称略)

 ◆学力低下の不安 <学校週5日制> 家庭や地域社会で、子どもたちが活動できる時間を増やすことを目的に、平成4(1992)年から公立の小中学校、高校で毎月第2土曜日が休みとなった。95年に第4土曜日も休みとなり、2002年から完全実施された。もともとは働き過ぎの日本人の労働時間短縮の議論に合わせて検討された経緯がある。授業時間の短縮による子どもの学力低下などが懸念され、しばらく導入を見合わせる私立校が目立った。

 

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