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平成ダイアリー ある30年

(2)涙のポケモン 星になったお母さん

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幼い姉妹を残し、30歳で亡くなった母。ペンダントトップを形見に残した

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 カンッ−。子どもたちの声に、金属バットの音が混じる。近所のグラウンドに家族で出掛け、六つ上の「お兄ちゃん」が打ち込む少年野球の応援。平成元(一九八九)年、愛知県豊田市で生まれたあやかは、二歳で母に連れられ、妹とともに父の家を出る。母は、バツイチの新しい「お父さん」と再婚し、あやかは一駅ほどしか離れていない保育園に通い始めた。物心ついたとき、家族は五人だった。

 平成四年、甲子園での五打席連続敬遠で「ゴジラ」こと松井秀喜が注目された夏。新しい父の野球熱は相当で、小三の義兄は一日三百回の素振りを課せられていた。母も、そんな義兄の練習の世話を厭(いと)わず、コーチの昼食の準備やお茶出しに精を出した。

 夫婦が再婚同士と知っていたママ友の一人は、照れながら、なれそめを話す彼女を覚えている。「買い物で、床に落としたものを拾ってくれて」。いつもそろって応援に一生懸命な家族は、周囲に円満そのものに映っていた。

 だが、幼かったあやかの記憶に刻まれているのは、家の中で両親が言い争う姿。平成九年の春ごろ。母が父に包丁を向けていた。なぜだかは、わからない。翌日、母に連れられ、妹と三人で家を飛び出した。山一証券が破綻し、今年の漢字に「倒」が選ばれた年だった。

 三人で九カ月、隣の市のアパートで暮らしたが、再三、説得に訪れた父に折れ、家に戻った。母が倒れたのは、その直後だった。

 小二だったあやかは妹と千羽鶴を折り、入院先に届けた。母は「ありがとうね」と笑みを浮かべた。「インフルエンザ」と聞いていたが、次第に呼吸ができなくなっていった。

 何度目かの見舞いのとき、昼食をとった病院の中のマクドナルド。前年に、テレビ放送が始まったポケットモンスターのおまけをもらい、ご機嫌だった。病室に戻ると、部屋の前で大人たちが泣いていた。「どうしたの?」。尋ねるあやかに、親類が言った。「お母さんは、星になったんだよ」

 母は、目が少し開いていた。「お母さん、うそ寝しとる」。返事はない。人工呼吸器を外すと、口元はかさぶたのようにカサカサ。口紅を塗ってあげた。棺(ひつぎ)に詰めた花のにおいが、嫌いになった。しばらく、妹と二人で遺骨を拾う場面を自由帳に描き続けた。

 母が入院したころから、姉妹は父方の祖父母と暮らしていた。母の死後、あやかは祖母から、父とは血がつながっていないと聞かされる。「行くところがないのに、お父さんが引き取ってくれたんだから、感謝なさい」。家に居場所がないような気がした。

 小学校では、母の姿をダブらせたのか、三、四年の担任だった大学を出たばかりの女の先生を追っ掛け回した。「見つけたら幸せになれるんだって」。そう教えてもらった四つ葉のクローバーを毎日のように摘み、職員室に届けた。

 いつもカラッと明るいあやかが、先生にそっと告げたことがある。「毎日、おみそ汁つくってるんだよ」。ちょっと褒めてもらいたかったのと、何かを伝えたかった。「すごいねっ」。先生は、あやかのサインに気付くことができなかった。(敬称略)

 ◆バブルの爪痕 <山一証券破綻> 野村、大和、日興に続く四大証券の一角だった山一が平成9(1997)年11月、経営破綻し、自主廃業を決めた。株価や不動産価格が実態とかけ離れて高騰したバブル経済の崩壊で、保有する株などの含み損が拡大。損失を別会社に付け替える「飛ばし」を乱発したが、簿外債務を隠しきれなかった。社長が会見で「社員はわるくありませんから」と号泣する姿がテレビで繰り返し流され、バブル崩壊の爪痕を印象づけた。

 

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