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平成ダイアリー ある30年

(1)クルマの街で 母と娘は家を出た

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平成元年に家族が暮らし始めたマンション。あやかに「最初の家」の記憶はない

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 平成元(一九八九)年、愛知県豊田市。クルマの街は好景気に沸いていた。トヨタ自動車はその前年、国内販売二百万台の目標を前倒しで達成。かつて、男たちが「いつかは」と憧れたクラウンの売れ行きが、大衆車カローラを一時抜いた。元年秋にはクラウンをしのぐ高級車セルシオも華々しくデビュー。従業員や家族が増え、工場近くの田畑がアパートやマンションに変わっていった。

 そんなマンションの一室で、若い男女が暮らし始める。トヨタの職業訓練校を出て、正社員として工場で働く二十一歳の男と、別の会社に勤める一つ下の女。一年前、宴席で出会い、男の一目ぼれだった。

 一月十四日に婚姻届を出し、八日後の日曜に式を挙げた。嫁入りは、妻の実家の東三河から、紅白の幌(ほろ)付きの軽トラで家具を運んだ。体の不自由な妻の母を病院に迎えに行き、式場で男が車いすを押す。披露宴で同僚がギターを弾き、長渕剛の「乾杯」を歌った。

 この日、皇居では、宮殿・東庭に安置された昭和天皇の棺(ひつぎ)や遺影への一般拝礼が始まる。世にいう、自粛ムード。だが、男は気にも留めなかった。とにかく、一刻も早く。新婦のおなかに、新たな命が宿っていたから。

 七月、待望の長女が生まれた。「あやか」。男が好きだった響きに、実家近くの安産祈願の寺で漢字をあててもらった。

 夜勤明け。男は眠い目をこすり、近くの公園でベビーカーを押し、寝かしつけて布団に入った。乾燥肌で赤くなりやすいほっぺに、クリームをそっと塗った。「活発な子に育って」。生まれたとき二六〇〇グラムと小さかったが、夫婦の願い通り、周りよりも少し早く、十カ月で歩いた。ほどなく、年子の妹も生まれる。

 築四年の3DK。同じく子を授かった同期の仲間が集い、ビールや焼酎を酌み交わした。料理上手な妻の煮物をつまみに、子の成長を自慢し、将来を語り合う。家族四人、マイカーで出掛けた公園でゴムまりをけって遊んだ。絵に描いたような新婚生活。しかし、長くは続かなかった。

 「好きな男ができた。養育費はいらないから」。妻はそう告げ、あやかと妹の手をひき、出て行った。三年足らずの幸せ。首都圏を揺るがしていたバブルの終焉(しゅうえん)が、地方にも押し寄せようとしていたころ。世間では、「バツイチ」という言葉が広まり始めていた。

 最愛だったはずの妻と、生きがいだった二人の娘を突然失い、男は仕事を投げだし、実家に戻った。しばらく独り身のまま、娘二人の写真を免許証のケースに忍ばせて。

 今年三十歳になるあやかに、そのころの記憶はない。

 ◇ 

 平成の三十年と重なるあやかの歩みを、その時代の空気とともに振り返ります。(敬称略、この連載は全六回です)

 ◆高級車ブーム <セルシオ> 平成元(1989)年に発売されたトヨタの高級セダン。ラテン語の「至上」を意味する「セルサス」に由来する。当初、米国で「レクサス」ブランドの最上級車として売り出されたが、バブル景気に沸く国内市場にも、従来の高級車の代名詞「クラウン」を超える高級車として投入された。その前年には、ライバルの日産自動車の高級車が爆発的に売れる「シーマ現象」が起きていた。

 

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