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浦沢直樹さんインタビュー詳報

 新作「あさドラ!」(小学館)の舞台に伊勢湾台風で被災した名古屋を選んだ浦沢直樹さん。創作の舞台裏や今後の作品のイメージなど、東京都内の仕事場で約1時間30分にわたり存分に語ってくれた。紙面で盛り込みきれなかったインタビューの詳細を紹介する。

 (聞き手・宮畑譲)

◆なぜ伊勢湾台風が舞台に

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 記者 どういう経緯で伊勢湾台風を舞台にしたのですか。

 浦沢直樹さん ドラマの冒頭の舞台を1950年代末に探すうち、伊勢湾台風の被災地を取り上げると決めました。そこが自分の頭の中にあるドラマの起点なのではないか、と思いついたんです。ここで主人公を12歳と設定しました。ネタバレになるので、あんまりしゃべれない部分もあるんですけど。ちょうど僕が1960年生まれ。60年生まれといっても1月2日生まれで、いわゆるクラスとしては59年クラスなんです。ちょうど、自分の生まれ年から始めるというのも何か因縁めいていて面白いなと思って。

 記者 東京生まれ、東京育ち。どこで伊勢湾台風を知ったのですか。

 浦沢 僕らの世代は、子どものころから、親世代からことあるごとに伊勢湾台風という言葉を聞いていました。最大の災害があったということで。伊勢湾台風という言葉は一つのアイコンだった。ニュース報道でもことあるごとに出ていました。

 記者 連載が始まったのは昨年秋。描き始めたのはいつごろから。

 浦沢 昨年の夏くらいから描き始めました。舞台が名古屋に決まったのは本当にその直前なんです。僕の場合、取材を始めるのは最終回までドラマの雰囲気が頭の中でできてからなんです。こんな想像してみたんだけど、実際はどうだったの、というのを後から調べるんです。それで、調べていけばいくほど、伊勢湾台風の被害が想像していたものよりも甚大なもので驚きましたね。こんな大変なことになってたのかって。

 記者 資料などはどれくらい調べるのですか。

 浦沢 データを調べて数字的な被害の実態を知るにつれ、本当に大災害だったのだなと驚いたのですが、それよりもこの作品においては、僕の中で伊勢湾台風の時の空気感を漫画でどう表現するかが大事かなあと思いました。東日本大震災の時には、自分たちも大きな揺れに見舞われ、リアルタイムでテレビで被害の様子が刻々と伝えられたじゃないですか。あの時の体験を基にすると、60年前の伊勢湾台風の描写もリアルにできるのではないかと思いました。

 記者 貯木場からあふれ出した材木が折り重なって浮かんでいる様子など、描写は詳細。

 浦沢 調べているうちに、名古屋がベニヤなどの製造地として国内有数の場所だということが分かった。港湾に材木置き場が何カ所もあって、それが流出したことでたくさんの人が亡くなったんだということが分かって。その時に何が起きて、どういうことになったのか。台風の被害に遭った人たちが、着の身着のまま屋根の上で手を振っている様子をちゃんと描写しなければ、と思いましたね。

 記者 伊勢湾台風の教訓は十分伝わっているでしょうか。

 浦沢 どうなんでしょう。台風の3カ月後に生まれた僕ら世代にすら、これほどまでの災害だったことは伝わっていなかったですからね。

 記者 もっと災害の教訓を伝えるべきだと。

 浦沢 ただ、私の作品はエンターテインメントなので、こんなふうに実際にあった災害を娯楽作品の舞台にしていいのかという思いはありました。一方で「伊勢湾台風の惨状をみなさんにお知らせするための作品」とすると、見る人を限定してしまう。むしろエンターテインメントだからこそ、災害の被害などを広く長く伝えられるということにもなるかなと。

◆東日本大震災とリンク

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 浦沢 連載を始めてみて読者からの反応で気づいたことなんですが、伊勢湾台風というものを描いた時に、東日本大震災を体験していることで、現代人にあの60年前の風景を「解る」という感覚があるのだなと。大多数の読者が知らない状況のはずなのに、漫画の中の災害を実感しているような反応を示したんです。1巻で心つかまれたと言ってくれる読者は多いんですが、おそらく読者が東日本大震災を経験したことで、作品に描かれた風景を理解できているんだと思います。60年の時をへて、今こそこの漫画を描くべき時だったのだな、と思いました。伊勢湾台風を起点にドラマが始まることで、主人公のアサという少女を読者が心から応援してくれている。そういう現象が起きているんじゃないでしょうか。

 記者 オープニングも東日本大震災を想起させる。

 浦沢 今、災害ものを描くということは、東日本大震災とリンクしないわけがない。とにかく読者の皆さんがともに体験したことなので、それがちゃんと描けていないと「分かっていない」作品になる。(作品を描き始める時点から)7年前、東日本大震災が起きて、そのころからみんなを元気づけるドラマをつくりたいなあと思うようになったのは確か。どちらかというと、「MONSTER」や「20世紀少年」、「BILLY BAT」で、少し暗い雰囲気をつくる作家だと思われていたかもしれない。「YAWARA!」や「Happy!」のように、もう一回、僕の漫画を読んで今日、明日を楽しく元気に生きていこう、と活力になるようなものをみなさんに提示したいという気持ちになったのは確かですね。それはやっぱり東日本大震災が大きかったです。

 記者 読者にも東日本大震災を意識してもらいたいか。

 浦沢 僕は自分が思っていることをそのまま出すっていうことはあまりしない。なぜなら自分だって昨日と今日で思っていることが違うことがあって、自分自身に普遍性はないですから。自分の考えをポンって出すよりは、みんなそれぞれに考えてもらうことのほうが大事なことなので。おそらくそれはボブ・ディランから学んだんです。「ライク・ア・ローリング・ストーン」のサビで「How does it feel?(どんな感じがする?)」って聞いているんです。その感じに近いんです。100人いたら、100通りの答えがあっていい。だから、僕の作品を読んで、何かもやもやっとするとか、釈然としないという意見があるのは、僕が答えを出していないから。君らはどう思うって聞かれて、考える意思のある人はそこで考えますけど、誰かが答えを出してくれるのを待っている人は、答えがないのかってなっちゃう。それはボブ・ディラン様式なんですよ。

◆戦後大衆文化を伝える 元号も意識

 記者 題名がイメージさせるNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)をはじめとして、作中には、戦後、昭和の文化がちりばめられている。

 浦沢 それこそ漫画もそうなんですけど、怪獣映画、朝ドラもそう。全部僕が生まれたころに始まった文化なんですよ。そういう文化と一緒に生まれ育って、それで、ものすごい活況を呈してくるのをリアルタイムでずっと見てきた。もうすぐ60歳ですけど、端的に言うと自分が浴びて育ってきたものに決着をつけたい感じはするんです。すごく面白い文化の時代に生まれ育ったと思っている。そこにあった躍動感とか高揚感をこれからの時代に伝えるのが、僕らの役目かもしれない。

 記者 当時はみんなが同じものを見ていた。

 浦沢 それが今はばらばらになってきているでしょ。その塊みたいな文化がどういうふうに躍動感を持って転がってきたかを見てきた僕たちは、いわば生き証人。今の若い漫画家たちはその時代はすでに現代史になっているから、調べて勉強しないと描けない。あと案外、僕らが生まれた時は戦争が近かった。45年終戦だから、「戦後15年生まれ」で、渋谷のガード下に傷痍軍人がいたな、とか。そういうのもひっくるめて、自分が感じた59年から2020年までの日本の文化を生き証人のように描けるのは案外、僕たち世代なのかもしれないと。ただし、それを突拍子もない話でやろうとしているんですけどね(笑)

 記者 生きてきた60年の文化を総括したいと。元号というものは意識されますか。

 浦沢 新元号・令和が発表された時に、「あさドラ!」という作品を通して、令和生まれの子たちにも昭和、平成の時代が伝わればいいなと思いましたね。決して遠い昔の話ではないので。僕が通り過ぎた文化というものを皆さんに報告するという色合いは強いかな。振り返ってみると、自分の作品は時代と一緒に呼応をしている作品が多いなと思います。週刊連載というのは、漫画家が描いてから雑誌となってみんなに伝わるまでのスパンが短い。今週こう思ったんだよね、ということが少なからずドラマの中に入り伝わっていくということ。だから、昭和、平成を舞台にした過去のドラマであっても、令和の今、リアルタイムで思ったことがドラマに入っているということになっていくかもしれない。

 記者 今作はどんな雰囲気のドラマになるのか。

 浦沢 なぜこの時代をドラマの舞台と設定したのかというと、とんでもなく進んだIT技術を知らないで21世紀のドラマを進めるのは難しいんじゃないのかと思ったからです。僕はあんまりSNSもやらないし、自分の知識が足りないんじゃないかと。今はLINEを使えばいいとかっていう話になるんだけど、僕の生きてきた時代にはそんなものはなかった。むしろ、そういうものじゃないところにドラマがあった。彼と彼女が待ち合わせする時に、連絡取れないから1時間半でも待ったというところにドラマがありましたからね。

 記者 名古屋編はまだ続きそうですか。

 浦沢 本家の朝ドラのあり方からすると、子役がかわいいなと思って見ていたら、あっという間に大人になっちゃうんですよね。「あの子役がよかった」と思われるドラマほど、歴史に残る朝ドラになったりします。そういうものになればいいな、という気がします。一人の女性の成長を60年以上も描ききるというのは、漫画家としても技量の試されるところ。この子がどんな可憐でたくましい女性に成長するのかを、見守っていただけるとうれしい。

 記者 名古屋弁のせりふがたくさん出てきます。調べたのでしょうか。

 浦沢 まず、僕が名古屋弁でせりふを書く。それで、名古屋出身者4人に監修していただいて、僕としてはもっと強く言いたいとか、もっと優しく言いたいとか、戻ってきても自分が考えるニュアンスと違うなと思ったら、また戻して見てもらって。名古屋弁でのせりふ作りをしていくうちに、災害の暗い雰囲気を明るく前向きなものにしてくれる力強さがあるのを感じました。現地の人にも入り込んで読んでもらえるよう、なるべく違和感のないものにしようと努力しています。

◆創作は終わりなき禅問答

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 記者 どういうイメージで創作していますか。

 浦沢 われわれは現実にない、誰も想像したことのないようなことを思い浮かべるのが仕事。ドラマ作りって、いわゆる完全なファンタジーと、もう一方で、ノンフィクションとしての表現もありますよね。もしかしたら、僕はそれを混ぜたいのかもしれません。「20世紀少年」や「MONSTER」、「BILLY BAT」もそうですけど、現実に「もしも…」を入れた架空の人類史をつくっている。考えてみるとドラマというのは、全て架空の人類史とも言えるかもしれませんね。

 記者 59歳になられて、これから長期間連載を続けるとなると、今作が最後になる可能性はありませんか。

 浦沢 描けなくなるとか、描かないとかいうことがどういうことか分からないんですよね。4、5歳くらいの時からずっと描いていて、中学のころからは漫画を描きながら、気が向いたらギター弾いて曲をつくって。今もそのままなんですよ。たまたまそれが仕事になった。小学校低学年の時から「おまえ、ちゃんと描けてないな」ともう一人の自分が話しかけてくる。「偉そうなこと言っているけど、だったらすごいの描いてみろよ」と。それはずっと変わらないので。

 記者 中学1年生の時に手塚治虫さんの「火の鳥」を読んで衝撃を受けた。

 浦沢 「火の鳥」という作品を読んだ時に、漫画の限りない可能性みたいなものに触れたんですよね。だから、漫画はどこまででも行けるんだと、その時に思った。それが原動力で、そこまで行けたらいいなあという思いでずっと描いているんですけど、きっとたどり着けない。なぜなら、自分が描いた作品から自分が読者として感銘を受けることはないから。「火の鳥」を読んだ時の感銘というのは、手塚先生が描いたものを読者として受けたものであって、僕は自分の描いた作品から読者としての感銘を受けることはないんですよ。だから一生、満足は得られないんです。

 記者 終わりはない。

 浦沢 毎回、この表情、この演技で、ある感情を描けるか、というチャレンジなので。それで、やるごとに「うまくないな」とか「わりといいかな」というのを繰り返している。面白いとは何だろうと、一生探求するようなこと。一生考える禅問答みたいなもので、終わりがないんですよね、きっと。

 

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