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原爆機出撃を傍受していた 元日本兵が証言

◆報告生かされず無念

 太平洋戦争末期の一九四五(昭和二十)年八月、広島と長崎に原爆を投下した米軍の部隊の動きを旧日本軍が事前に察知していたと証言する元兵士がいる。情報を軍の上層部に伝えたが、原爆は投下され、約二十一万人の命が奪われた。「せめて直前に空襲警報が出ていれば」。元兵士らは苦悩を抱えながら、戦後の七十三年を生きてきた。

 名古屋市千種区の鈴木忠男さん(92)は戦時中、現在の東京都東久留米市にあった陸軍参謀本部直轄の北多摩通信所にいた。米軍などの外報電文や無線を傍受する部隊に所属。通信所は傍受したコールサイン(呼び出し符号)からB29の出撃情報をつかみ、空襲警報発令に生かしていた。

米軍の外報電文などを傍受していた体験を語る鈴木忠男さん=名古屋市千種区で

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 広島に原爆が投下される数カ月前、四五年の春ごろのことだ。傍受中、新しいコールサインの部隊の存在に気が付いた。米軍はサイパン島に「V400」番台、グアム島は「V500」番台など部隊ごとの無線に符号を付けていたが、テニアン島を拠点とする「V600」番台が突然現れた。

 他の部隊は百機ほどあるのに十数機と小規模で、飛び立つ回数も少ない。通常の部隊とは性質が違うと感じた鈴木さんは、仲間と「Z爆弾隊」と呼んで警戒していた。

 滋賀県野洲市の長谷川良治さん(94)は陸軍参謀本部直轄の諜報(ちょうほう)部隊に所属し、通信所から届く情報を逐一報告していた。参謀本部はV600を「特殊任務を担う部隊ではないか」と分析。四五年七月には米国が原爆実験に成功したという未確認情報も流れ、原爆を投下するための部隊との見方もあったという。

傍受した爆撃機の情報を参謀本部に報告していた長谷川良治さん=滋賀県野洲市で

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 八月六日未明、V600番台の部隊がテニアン島を飛び立つ動きを各地にあった通信所が傍受した。明け方ごろには、原爆投下機「エノラ・ゲイ」に先行して飛んでいた気象観測機が発信した無線も傍受。西日本に向かっていることも分かり、情報は参謀本部に上がったが、原爆投下のタイミングでは空襲警報が出されなかった。

 八月九日に長崎へ投下された際も、通信所が無線を傍受して参謀本部に報告したが、広島と同じように多くの命が奪われた。

 鈴木さんは終戦間際、無線の傍受内容などの資料を上官の命令で焼却処分した。「口外するな」とも言われて長く口を閉ざしてきたが、「情報が生かされて空襲警報が出ていれば、被害を減らせたのではないかと悩み続けてきた」。七十三年後の今、自衛隊の日報隠し問題などを通じて「真実は伝えなければいけない。だから話そうと思った」と胸中を明かす。

 長谷川さんは「米軍の部隊が迫っているのを把握しても、当時の日本軍が撃ち落とすことは難しかったかもしれない」としつつ、「情報が参謀本部で止まり、対策が取られなかったのは残念で仕方がない」と話した。

◆資料なく証言貴重

 <原爆投下に詳しい明治大の小倉康久講師(国際法)の話> 大戦末期、爆撃に飛び立つ米軍機の情報を旧日本軍は把握しており、原爆投下部隊についても何らかの情報はつかんでいたとみるのが自然だ。原爆投下に関わる日本側の資料の多くが消失しているため、関係者の証言は非常に貴重。証言を生かし、歴史を検証していく必要がある。

(中尾吟、塚田真裕)

 

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