トップ > 特集・連載 > 生活部記者の両親ダブル介護 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

生活部記者の両親ダブル介護

(55)父亡き後の虚脱感 頭の中ではまだ介護

父が散歩の供にしていた犬。保健所から引き取りました。情緒不安定で急に走りだし、父は何度も転ばされていました。保健所に引き渡す時は抵抗しましたが、最後は自分から車に乗ったそうです

写真

 まるで、父(享年81)に魂の半分を持っていかれた感じだ。父と母(82)両方の「ダブル介護」だったのが、一方は終わったはずだ。なのに、心身の疲労と失調が著しい。

 持病のパーキンソン病の症状も、父を亡くしてから目に見えて進んだ。パーキンソン病は精神状態が症状に表れやすい病だと実感する。歩行もすり足で、遅々として進まない。先日はバランスを崩して倒れそうになり、同僚の助けを借りた。

 確かに父の介護は終わった。葬儀は喪主として、葬儀会社の担当者に言われるままにしているうちに済んだ。当面の各種手続きも調子を崩した私に代わって妻が市役所に出向き、代行してくれた。父の介護保険証や後期高齢者の健康保険証を返却すると、担当者は「後日、『葬祭費』として五万円が振り込まれます」と説明したという。種々の儀礼も済み、遺骨も当地の風習に従って、骨つぼから「骨袋」に移し、墓に納めた。

 だが、この虚脱感は一体、何なのだろう。決して気の合う父ではなかったが、ふとわれに返ると、父のことを考えている。これで良かったのか、との一片の後悔とともに。現実世界での介護は終わっても、脳内では父の介護をやり直している。

 結末を知る現在から過去を悔いるのは、答えを見てから問題を解くようなものだが、やはり思ってしまう。当時は哀れな話程度に思っていたが、父が飼い犬を手放したのは、寝たきりになる岐路だった。父が家にこもるきっかけとなったからだ。介護保険で住宅改修も行ったが、どれだけ役に立ったのか。この次に書くことになると思う。

 (三浦耕喜)

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山
地方選挙

Search | 検索