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あの人に迫る

リヒテルズ直子 教育研究家

写真・中山梓

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◆選択肢を広げて公教育に風穴を

 オランダで普及する先進教育「イエナプラン」が近年、国内でも注目を集めている。昨年、長野県佐久穂町で国内初の認定私立小学校が開校し、広島県福山市では公立小学校の開校準備が進む。オランダ在住の教育研究家リヒテルズ直子さん(64)は著作などでイエナプランを日本に紹介してきた。根底にあるのは日本の教育への危機感。人工知能(AI)やロボットの発達で社会が変わるこれからの時代を生きる人材育成の必要性を訴える。

 −イエナプランとは。

 ひと言で表現すれば、自分らしく主体的に、また他者と共に生きることを学ぶ教育です。学年ごとのクラス編成ではなく、一〜三年生、四〜六年生が同じ教室で学ぶ異年齢学級を構成します。自分とは違う立場の存在と触れ合い、他者から自分の価値を学び他者を尊重することを学びます。日本の総合学習に近い「ワールドオリエンテーション」では、本物の題材を使って、子ども自身の問いを出発点に、教科学習で学んだことを生かしながら協働で探究活動をします。教科の学習ではそれぞれが自分の進度に即して出された課題を、自分で計画して進めます。教科学習で学んだ知識やスキルを使いながら探究をし、探究を通して知識やスキルを持つことの意義を学ぶのです。広く世界のシステムを学ぶことによって、社会をより良くしていくために働く人材を育てようとしているのです。

 −日本でもイエナプランの学校が誕生し始めるなど、従来の教育からの変革を目指す動きがあります。

 これまではテストで測る学力だけを過大に重視してきました。でもテストで測れる能力というのは実はAIが最も得意とする分野です。人間だからできる力、人間にしかできない力とは、自分と他者の違いを認めてお互いの尊重のうえに立って何か共有された目標に向かって協働することや、感情を共有していく力です。

 国語や算数、理科、社会の知識を覚えることは、世界を理解し、世界に関わっていく上でとても大切なことですし、イエナプランもそれを軽視しているわけではありません。しかし点数評価できる基礎学力だけを偏重せず、それと同じかもっと大きな価値を、子どもたちの社会的能力や情緒の発達にも認め、子どもたちが、自分の力を見いだして、本当の世界の中で生きていく力を育てようとするものです。そのようなビジョンに人々の目が行き始めたのではないでしょうか。

 今の社会には、経済、環境、原発の問題など、さまざまな問題が山積しています。これらは過去のどの時代にもなかった人類社会への挑戦的課題でもあるのです。そこに必要なのは、こうした新しい問題の解決のために、他者とともにアイデアを寄せ合う力だったり、クリエーティブに解決策を生み出す力だったりします。過去の知識を教えているだけの学校教育では限界があるということに気付き始めている人が増えてきたのではないでしょうか。

 −なぜオランダの教育に興味を持ったのですか。

 私の子どもたちがオランダの普通の学校に通っていた時、日本とは驚くほど異なる教育を受けていました。中学二年生の経済の授業では「国営鉄道を民営化することによるメリットとデメリットを、国と消費者と企業それぞれの立場で考えなさい」という課題が出るんですね。こうしてオランダの子どもたちが現実に社会で起きていることについて深く考える練習をしている間、日本の子どもたちは、学校の授業や塾で同じ計算問題を繰り返し解いて、ひたすらテストに受かるための訓練をしている。危機感を覚えました。

 もう一つの大きなきっかけは、第二次世界大戦中に日本軍によって家族や財産を奪われたオランダ人との対話の会に参加して、当時オランダ領だったインドネシアの日本軍の捕虜収容所でつらい思いをした人たちと交流したことですね。

 私の親も戦中を生きて、苦しんできた世代です。人を苦しめるなんて考えもせず、物資不足で苦しんでいた時代に、他方では、兵士として人殺しをさせられ、捕虜になった女性や子どもたちに、一生消えない苦しい経験をさせていた。

 ある時、日本とオランダの歴史教育を比較して話してほしい、という依頼がありました。そこで調べてみると、オランダの学校では「ヒトラーの時代にあなたがドイツ人として生きていたと仮定して、なぜヒトラーを支持したかを説明しなさい」という課題を出しているんです。

 人は、経済不況などの苦境に追い込まれた時に、どんな政治行動をとり、どのように戦争へとつながるのかを、戦争を知らない子どもたちに考えさせているのです。日本の教科書では学ぶことができないことです。戦争を経験したオランダ人男性に対して「日本の子どもたちは学校でそういうふうに歴史を学んでいない」と話したら、彼は「日本軍がなぜあんなにひどいことをしたのか、やっとわかった。思い込まされていて、自分の頭で考えることができなかったんだね、啓蒙(けいもう)されてなかったんだ」と言ったのです。私にとって衝撃的な言葉でした。これこそ伝えていかなくてはいけないと思いました。自分の頭で考えることができる子どもを育てることが本当に必要だと思ったんです。

 −著書では日本の公教育の在り方に疑問を投げかけていますね。

 教育が効果を上げるのは、子どもが自分がどこまでできるかをわかっていて、その次を学ぶ時です。子どもが次にどこを学ぶべきなのかは、一人一人違うんです。それなのに、日本ではすべての子どもに対して、同じ教科書で、同じ進度で教えている。多様性がないんです。

 オランダで日本人向けに一週間〜三カ月のイエナプラン研修を開いています。研修には日本の学校現場に違和感を感じながらも、制度や環境の中で自分の理想を実現できずにいる先生たちも参加します。日々ものすごい量の仕事があり、保護者とのあつれきにも苦しむ。教員を志望した時には、子どもたちを幸せにしたい、より良い社会をつくりたいという大志を抱いているのに、日々の雑用で疲弊してしまう。一人一人に応じた教育ができるように、先生たちが、もっと自分らしく教育できるチャンスを持つべきだと思います。ロボットのような人間がロボットのような人間をつくっても仕方がない。人間が、人間としての感覚で子どもたちのニーズを受け止め、その場で自由に創意工夫できて初めて人間の子どもは人間として育つのです。

 −これからの日本の教育への期待は。

 私はイエナプランの紹介はしていますが、イエナプランの学校が日本にたくさんできればいい、とは思っていません。イエナプランの教育ビジョンを教育改革の議論の俎上(そじょう)に載せることで、日本の人々がもう一度教育の原点に立ち戻って、自らの学校を見直す時期が来ているのではないかと考えているんです。

 イエナプランへの関心が広まれば、それを通して日本の学校がこれまでやってきたことを見直すきっかけとなり、見直すための鏡になる。例えば、選択の自由を与えることで子どもたちにどんな力がつくのか、とか、どう変えていけば、子どもと教師が信頼できる関係になり、それを土台に、子どもたちの発達が促進できるのか、といったことです。そのような議論が広がり、閉塞(へいそく)してしまった今の日本の教育に風穴をあけられれば良いな、と願っています。

 <りひてるず・なおこ> 1955年2月、山口県下関市出身。九州大大学院博士課程修了(比較教育学・社会学)。81年からマレーシア・マラヤ大に研究留学。83年からオランダ人の夫とともにケニア、コスタリカ、ボリビアに暮らし、96年からオランダ在住。オランダの教育や社会事情について自主研究し、著作で発表。日本各地での講演活動や日本からオランダへの視察・研修の企画実施を手掛ける。著書に「オランダの教育−多様性が一人ひとりの子供を育てる」「公教育をイチから考えよう」(苫野一徳氏と共著)。昨年8月には「イエナプラン実践ガイドブック」を出版。DVD「明日の学校に向かって−オランダ・イエナプラン教育に学ぶ」を監修・刊行。

◆あなたに伝えたい

 先生たちが、もっと自分らしく教育できるチャンスを持つべきだと思います。ロボットのような人間がロボットのような人間をつくっても仕方がない。

◆インタビューを終えて

 「イエナプランをどう伝えたいと思っているのか説明してほしい」

 名古屋市の教員の同行取材で参加したオランダの研修の場で私自身がリヒテルズさんから受けた質問だ。研修中、リヒテルズさんは日本でイエナプランが「自由すぎる」と紹介されていると聞いて、すぐに自由を考えるプログラムを組んだ。その中で取材者として参加していた私にも問いが投げかけられた。リヒテルズさんは私や参加者からのどんな質問にも答え、移動中も夜も語り合った。

 その真剣なまなざしにはイエナプランを正しく日本に伝える使命感と熱意があふれていた。

 (中山梓)

 

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