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あの人に迫る

井上淳一 ドキュメンタリー映画「誰がために憲法はある」監督

写真・橋場翔一

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◆戦争放棄の理念 今撮らなければ

 日本国憲法の前文に込められた戦争放棄の理念を描いたドキュメンタリー映画「誰(た)がために憲法はある」。世の中に改憲の空気が広がる中、監督を務めたのが愛知県犬山市出身の井上淳一さん(54)=東京都中野区=だ。「憲法は世代を超えたプロジェクト。今の時代に終わらせてはならない」と、平和主義の大切さを、社会に改めて問い掛けている。

 −映画監督を目指したきっかけは。

 大学受験の浪人中、映画監督の若松孝二さんが名古屋駅のシネマスコーレに舞台あいさつで来た。僕は高校のころから若松さんの映画を見たり自伝を読んだりして、若松プロに行くつもりだった。これはチャンスと思って、弟子入りさせてと頼んだ。シネマスコーレの支配人と一緒に新幹線のホームに見送りに行って、「乗ってっちゃえ」と思って、そのまま新幹線に乗ったんです。そしたら「こいつは本気だ」と思ってもらって、大学入学と同時にプロダクションに入り、助監督をやっていた。若松さんは「映画を武器に世界と闘う」とよく言ってたけど、こんな世の中でいいのか、どうやって生きるのかを映画の中に問うてたと思う。そういうのに憧れはあったと思うね。

 −なぜ、今回の映画を作ろうと思ったのですか。

 改憲勢力が改正に手が届きそうな状況になり、安倍晋三首相も「二〇二〇年に改憲」と主張している。僕はずっと、今年の五月三日が現行憲法の最後の記念日になるかもしれないという危惧があった。映画の世界では、韓国は過去の歴史と向き合っている。アジアやアフリカ、ヨーロッパ、米ハリウッドも同様だ。もし映画が「社会を映す鏡だ」というのなら、こんな状況で新作の憲法映画が一本も作られないという国は、恥ずかしい。「他の人がやらないなら俺がやろう」という思いが何年か前からあった。

 −映画は「憲法くん」が自ら語りだす、というところから始まります。この設定にした経緯は。

 二〇一六年に、芸人の松元ヒロさん(コントグループ「ザ・ニュースペーパー」の元メンバー)による日本国憲法を人間に見立てた一人芝居「憲法くん」が絵本として出版されるという記事を新聞で読んだ。心と体を持った憲法くんが「変なうわさを耳にしました。わたしがリストラされるかもしれない」などと分かりやすい言葉で語りかける。憲法を擬人化してるところに、僕は「とんでもない発明だ」と感激し、これを踏まえて映画にしてみようと思った。

 今、「国民が国を縛る憲法」から「国が国民を縛る憲法」に変わろうとしている中、このことを伝える映画にしようと考えた。特定秘密保護法や共謀罪法の成立、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認など、現政権は私たちの権利を奪う政策を進めている。だが、森友・加計学園の問題があっても政権の支持率は下がらない。「俺たちはばかにされている」ということを表現したかった。

 −映画は、憲法くんのせりふに加え、広島の原爆投下を題材にした朗読劇を続ける女優たちの「夏の会」のドキュメンタリーなどで構成されている。その中で朗読劇に携わるベテラン女優、渡辺美佐子さん(86)が、原爆で命を落とした国民学校時代の初恋の相手について語っている。この部分を取り入れた理由は。

 戦争で亡くなった大勢のうちの、実在した具体的な一人に焦点を当てることで、憲法の前文が違って聞こえるんじゃないかと思ったから。広島で亡くなった人は十四万という「数」になるけど、一人一人が私たちと同じ人だということ。憲法とは生きている人のためだけではなく、死んでいった人の無念も乗せているものだ。

 −撮影を振り返って。

 訴えたことは憲法の「基本のキ」。前文は、戦争を繰り返さないための一歩で、ストレートに訴えることができたかとは思う。ただ、戦中、日本軍もアジア諸国を侵略している。日本側が殺した人がいることを語れていないことは最大の反省だ。

 −憲法にはどんな思いがあるのですか。

 若松さんのプロダクションに所属していた二十五歳のころ、学習向けの漫画で憲法をテーマにしたシナリオを書かないかという話が来た。僕は子どもたちが原始時代にタイムスリップをして、自分たちが生きていくために憲法をつくっていく話を考えた。でも、憲法を自分たちをしばるルールとして書いてしまった。本来なら、先生も一緒にタイムスリップさせて、先生の暴走を止めるためのルールを子どもたちが作る、という話にしなきゃいけなかったんだ。その反省が、今も小骨のようにひっかかっている。

 −映画監督の使命とは。

 今の世の中、スマートフォンだけでわかった気になることがいっぱいあって、人と接することで何かを知るということがなくなってきた。人の痛みを想像することは力がいる。反対することは疲れる。でも戦争の「具体」を知れば「戦争すればいい」とは言えないわけ。十年後、二十年後、若い人から「世の中こういうことになっちゃったけど、あなたは何をしてたんだ」と聞かれた時、恥ずかしくないことをしていたいと思う。知った以上は、伝えなきゃいけない。映画という表現手段を持っているのに、何もしないのは罪だと思う。

 −最近の気になる出来事はありますか。

 あいちトリエンナーレで中止になった「表現の不自由展・その後」のこと。騒ぎになるのは予想していたけれど、すぐに中止になったことに驚いた。中止の後、芸術監督をしている津田大介さんが参加を予定していたシンポジウムまで中止になった、ということがあった。それが怖い。

 権力者による弾圧ではなく、国民の中で勝手に忖度(そんたく)し、自主規制につながっていく。実際の改憲を「大文字の改憲」と例えるとすると、それはまだだけど、「小文字の改憲」はすでに始まっている、と僕は言っているんですよ。これが広がって、例えば憲法の映画が公民館などで自主上映できなくなると、ますます表現の自由が奪われる。

 −護憲を訴える側に言いたいことは。

 日本は、六〇年安保闘争も七〇年安保闘争も市民らが政権に負けていて、民主運動が勝った成功体験が一つもない。今の世の中にも「何をやったって変わらない」というあきらめにも似た閉塞(へいそく)感がある。芸能人が政治的な発言をするとバッシングを受け、高齢のベテラン女優たちのような治外法権になる人たちしか、ものが言えない空気が漂う世の中になってきている。だからこそこんな映画を作っている人がいると知ってもらうことで、「まだあきらめるのは早いよ」と、そんな人たちの肩をたたく作品であればなと思う。現行の憲法にも課題はいっぱいあるけど、この憲法をわれわれの世代で終わらせてしまってはいけない。

 <いのうえ・じゅんいち> 1965年生まれ。愛知県犬山市出身。江南市の滝高校から早稲田大に。入学と同時に若松プロに入り、助監督として修業を積む。大学在学中の90年に「パンツの穴」シリーズの1本で監督デビュー。その後「アジアの純真」(2011年)、「止められるか、俺たちを」(18年)などの脚本を執筆。13年に公開された長編映画「戦争と一人の女」で監督を務め、15年にも「大地を受け継ぐ」を公開。慶州国際映画祭、トリノ国際映画祭など海外映画祭に招待され、社会派監督としての実績がある。監督5作目となる「誰がために憲法はある」は今春以降、各地で上映され、名古屋のシネマスコーレでは28日から1週間、再映が行われる。

◆あなたに伝えたい

 芸能人が政治的な発言をするとバッシングを受け、高齢のベテラン女優たちのような治外法権になる人たちしか、ものが言えない空気が漂う世の中になってきている。

◆インタビューを終えて

 「私というのは、あの戦争の後、こんなに恐ろしい、こんなに悲しいことが二度とあってはならないという気持ちから生まれた、理想だったのではありませんか」−。映画の冒頭で「憲法くん」が問い掛けてくる言葉は、驚くほどすっと胸に入ってきた。堅苦しいイメージの憲法を身近に感じた瞬間だった。

 これまでも戦争や原発をテーマに映画を撮ってきた。今作は、「社会を撃つ映画を撮りたい」と願い続けてきた井上さんの、真骨頂なのではと感じた。改憲や戦争の足音が近づいてくるような世の中で、恐れず反対の声を上げ続ける映画監督がいることが頼もしい。

 (鈴木里奈)

 

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