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あの人に迫る

横山秀夫 作家

写真・池田まみ

写真

◆記者職との決別 想像重ね物語を

 これまでに数多くの警察小説、ミステリーの傑作を世に送り出してきた横山秀夫さん(62)。短編・長編を問わず、所属組織とのせめぎ合いや家族間の葛藤に、矜持(きょうじ)をもって対峙(たいじ)する主人公を描いてきた。群馬県の上毛新聞社で剛腕記者として鳴らし、退社後のデビューから二十年余り。歩んできた道筋を振り返ってもらった。

 −新聞記者時代のことを聞かせてください。

 群馬県内の事件事故を取材する県警担当が長かったです。ハードな仕事で通常は三年間なのに、異例の六年間。まあ、結構やり手の記者だったから(笑い)。自らに課したのは、ネタは嫌いな人から取るということです。子どもじみているかもしれませんが、作家が編集者と緊張関係を保つのと同じです。なれ合いではいけない。

 (取材対象者の自宅で待ち伏せする)夜討ち朝駆けを徹底的にやりましたよ。嫌われていたし、特ダネの逆の特オチも何度も経験しました。対戦成績では他社の記者に負けたことも多いです。でも、どこの会社にもいるでしょう。スクープの数ではなく、あいつは強いと評判になる大きなネタを書く記者が。そんな存在でした。取材では、警察官の思考回路も学びました。

 −なぜ作家に転身したのですか。

 新聞はある事象を分析した上で、提言したり、警鐘を鳴らしたりする。真実を突き詰めますが、真実を点のようなものとして捉えがちになる。でも、こと人に関しては当てはまらない。

 人の気持ちは点ではなく面積のあるものです。グラデーションもあり、本当の気持ちの横に、別の本当の気持ちがあったり、さらに反発する気持ちさえあったりする。それらが集合体として、面積のある心を形作っている。私は人の気持ちが書きたかった。例えば、無言電話がかかってきたとして、それが誰かを突き止めるのが新聞記者の仕事。「誰からかな」「なぜ無言電話が」と延々と理由を考えるのが作家の仕事です。

 あと、私にはジャーナリストに必要な使命感や正義感が足りなかった。紙面で犯罪者や不正を犯した人を断罪する中で、そんな資格があるのかと苦しくなっていきました。一つの職業を全うできなかった敗北感は今もあります。

 −作品群を貫くテーマに「組織と個人の相克」があります。

 自分自身が組織を離れ、あらためて個人との関係について考えました。組織には功罪がある。組織の中にいるからこそ、ひのき舞台を用意されることも、逆に組織が個人をむしばむ暴力装置として働くこともあります。日本という国が個人に求めている無言の圧迫もある。世間のしきたり、しがらみ、こう生きなければならないとか。そういった大きな構造も含め、組織と個人を捉えています。

 デビュー時から変わらないのは、主人公にとって最も起きてほしくないことは何かを考えること。子どもが小さければ、子どもに危害が加えられることです。筋立てに従うというよりも、主人公に強烈な負荷をかけることで、人間の赤裸々な感情や行動が自然に表れる。それをエンジンとして物語を進めます。

 −作品のもう一つの軸に「家族」があります。こだわりがあるのですか。

 近著の「ノースライト」や「64」では家族の話に多くを割きましたが、短編でも家族に関することを一行や二行だとしても盛り込んできました。自分の体験を作品に取り入れることはしませんが、どうして自分は「家族」にこだわっているのだろう、と考えていた時期が何年もあったのです。父親像とは何か、ずっとかみ砕けないでいたことを小説で表現しよう、と。

 −横山さんの父親はどのような人でしたか。

 父親はサラリーマンをしていました。でも、私が子どものころに病に倒れて働けなくなり、心も壊してしまいました。家に帰ると父親がいて、悩んでいるのか、独り言を繰り返している。父親に父親らしいことを言われた記憶がなく、自分が親になって、わが子との接し方に悩みました。

 父親は真っ正直な人で、組織の中で生きるのに不向きな、不器用な人だった。組織が個人を侵食したという構図に当てはまるのか分かりませんが、父親が社会の枠組みからドロップアウトしたという印象を持っていたことは確かです。

 −代表作「クライマーズ・ハイ」は日航機墜落事故が題材です。執筆の経緯を教えてください。

 ノンフィクションではありませんが、自分自身のすべてを込めました。事故発生から二カ月間、凄惨(せいさん)な現場のど真ん中にいた。遺体が果てしなく並び、書きようがない、伝えようがないなと思ってしまった。警察官が遺体を運び出す。自衛官がそれをヘリに乗せる。手伝うべきではないのかと自問を繰り返しました。

 新聞社退社から作家デビューまでの食い詰めていた時期に、御巣鷹山の現場のノンフィクションを書いてほしいという依頼を受けたことがあります。書こうにも書けず、胸が苦しくなり嘔吐(おうと)しました。五百二十人が亡くなった事故を踏み台にして、世の中に出ようと考えた自分の浅ましさを痛感した。いつか、お金や自分のためではないところで書こうと思い直しました。

 「クライマーズ・ハイ」は事故を報じる新聞社内のいざこざを書いています。でも、私は会社の中で何が起きていたかは全く知らないわけです。書くと決めてから一年ほど悩んだ結果、記者としてこだわりのある現場を捨てることにしました。間接的な事故の描写は入れましたが、主人公のデスクを一度も御巣鷹山に行かせていません。そうやって、私は記者と決別した自分との決着をつけました。取材を小説風にまとめたわけではなく、「この場面、登場人物ならどう考えるか」という想像を積み重ね、私の十二年間の記者生活、報道機関のメンタリティーを再構築した作品です。

 −かつては多作でした。近年は作品数を抑えているようですが。

 デビューからしばらく、仕事場のマンションの小さな部屋にこもり、ただ書くだけの毎日でした。小説の登場人物の人生を紡ぎ出してばかり。心筋梗塞になっても、二週間ほどで退院してすぐに仕事場です。数年先まで仕事は埋まり、八階のベランダから飛び降りそうになっていた。記憶力が急激に低下して、三行前に書いた主人公の名前が思い出せなくなった時期もありました。

 自分が気に入らないものを人に読ませるわけにはいかない、という思いは強くあります。全面改稿も多いです。原稿を捨てるのは苦しいですが、一文を追い求める楽しさもあります。

 −二十年を超す作家生活を振り返って思うことは。

 「記者の経験に寄り掛からない」という気持ちで続けてきました。デビューから数年間、小説のふりをしてノンフィクションを書いていると言われましたが、決してそんなことはありません。先に話したように明確な一線がある。情報は時間の経過とともに散逸し、風化しますが、物語はいつまでも読んだ人の心に残ります。ジャーナリズムへの敗北感は引きずっているけども、とことん作家を突き詰めることで、ジャーナリズムを超えるものを書きたいと思い、書けると信じ、今も続けていますね。

 <よこやま・ひでお> 1957年1月、東京都文京区生まれ。都立向丘高、国際商科大(現東京国際大)卒。79年に上毛新聞社に入社後、記者として12年間勤務する。91年に「ルパンの消息」がサントリーミステリー大賞佳作を受賞し、同社を退社。アルバイトの傍ら、漫画原作や児童書の執筆を手掛ける。98年に「陰の季節」が松本清張賞を受賞し、作家デビュー。主な作品に「半落ち」(講談社)、「第三の時効」(集英社)、「クライマーズ・ハイ」(文芸春秋)、「64」(同)などがあり、これまでに作品の多くが映像化されている。今年2月、建築士を主人公とした長編ミステリー「ノースライト」を新潮社から刊行した。群馬県伊勢崎市在住。 

◆あなたに伝えたい

 情報は時間の経過とともに散逸し、風化しますが、物語はいつまでも読んだ人の心に残ります。

◆インタビューを終えて

 新聞記者になる前、偶然手にした「クライマーズ・ハイ」を読んだ。そうか、記者とはこういうものかと思った。現場をはいずり回り、原稿を没にされればほえ、遺族の前で膝を折る。

 たかが小説ではない、と半人前記者の身で思うのは、横山さんが作品に託した「十二年間の記者生活、報道機関のメンタリティー」がほとんど信仰に近い形として、今も一部の記者に根付いているからだ。

 得意満面の記者クラブから創作の世界に身を投じ、体を壊すほどの労苦で傑作を続々と送り出した。今もなお前進を志す。自らへの「強烈な負荷」を力の源としてきたのは、横山さん本人ではないだろうか。

 (西田直晃)

 

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