トップ > 特集・連載 > あの人に迫る > 記事一覧 > 記事

ここから本文

あの人に迫る

魚戸おさむ 漫画家

写真・由木直子

写真

◆在宅でのみとり 理想の終末願う

 在宅のみとりをテーマにした漫画「はっぴーえんど」(小学館ビッグコミック連載中)が好評だ。作者の魚戸おさむさん(62)の生まれ故郷の北海道・函館を舞台にした在宅診療医のドラマで、医療関係者のファンも多い。家裁判事を主人公にした「家栽の人」や食育の漫画で知られる魚戸さん。一転して終末期医療を描く意味を、語ってもらった。

 −「はっぴーえんど」は、函館を舞台に、在宅支援クリニックを営む若き医師が、さまざまな在宅の現場と出合いつつ、より良いみとりを目指していくお話。「死を前提とした医療」という設定が、従来のドクターものとはまったく違いますね。

 僕自身、若くして両親が他界し、死は身近な問題だったけれど、ここ数年で、義理の両親と弟、仲の良かった伯母など親族四人が相次いで他界しました。義母は肺がんでしたが、入院先で、同室の患者さんが僕の職業を知って「患者の気持ち、家族の話をぜひ描いてほしい」と話していたと、義母から聞きました。それが発端でした。

 医学的な知識はまったくなかったので、ホスピスを何度か見学するうち、在宅という選択肢があることを知り「家族と直接関わるし、物語になりやすいかな」と方針を変更したんです。在宅医療関係の本を読んで、会いたいと思った医師に連絡を取ったり、講演を聴きに行ったりして取材を進めました。函館は、僕が一歳半まで過ごした生まれ故郷で、その後も何度も訪れて大好きな街になったし、都会すぎず田舎でもないということで選びました。

 −監修の大津秀一さん(早期緩和ケア大津秀一クリニック院長)は、緩和ケアの分野で有名な方ですね。

 かみさんが大津先生の本を何冊か読んでいて「あなたに合うと思うよ」と薦めてくれたんです。在宅医はどんな言葉で患者さんに接するのか、患者さんの家庭はどんな様子なのか、いろいろヒントをいただきました。他にも“裏監修”と言うべき先生たちが何人かいて、迷った時にメールで質問したりして、助けてもらっています。その一人で、札幌麻酔クリニックの金谷潤子先生は、言葉がびんびんと心に響いてくる人で「この先生にみとってもらえたら幸せだな」といつも思います。

 −家族の葛藤、悪質な医療、緩和ケアの意味など多様なテーマ。丁寧な取材が、作品のリアルさにつながっているわけですね。

 取材して描くことの楽しさは「家栽の人」のときに学びました。植物を愛し、家庭裁判所にこだわり栄転を拒否する判事・桑田義雄が主人公ですが、当時の裁判所って閉鎖的で、中のことがさっぱり分からない。法服ってどんなものかさえ教えてくれないんです。それで、地裁の法廷に入ってスケッチしたり、弁護士さんにインタビューしたりするうち、取材が楽しくなりました。その後の食や農業を主題にした作品も、大勢の方たちに会って共感することから生まれました。

 ただ、終末期医療をめぐるテーマは無限です。最近、「口から食べる幸せ」を取り上げたのですが、すごく奥が深くて必死で調べました。

 −「病院から在宅へ」の医療政策の転換。どう感じていますか。

 ぼくが小学校一年のとき、祖父を家でみとりました。親族が集まって遺体をふいて、ぼくと妹は「二階に行ってなさい」と言われました。当時はそれが当たり前でした。それから五年ほどたって、父が最期を迎えたのは、札幌の病院でした。そのころには、家で亡くなる方は少なくなっていました。それがまた、国民医療費の問題もあって、国は在宅推進を打ち出しているけれど、家庭によって地域によって、状況は千差万別です。一概に在宅がいいだなんて絶対に言えない。独り暮らしだったり、経済的に苦しかったりすると、どうなのか。認知症を発症したらどうなのか。これから、独りで亡くなる方がどんどん増えていく中で、在宅死が可能なのか、想像力が及ばなくて漫画にできないことも多いです。

 ただ、延命治療の判断など、あらかじめ話し合い、自分たちで決めるべきことを決めて在宅を選ぶなら、後悔も少ないだろうし、つらいことばかりじゃなくて最期まで一緒に過ごす喜びもあると思います。

 −その意味でも「死」について語り合うことは大切ですね。

 死を語るのは縁起でもない、という風潮はまだまだ残っていますね。僕たちより上の年代だと、死は身近な問題だけど、もっと若い世代に興味を持ってもらいたいし、真剣に死を考えたら、どんな思いを持つのか、知りたいですね。たとえば、元気に生きてポックリ亡くなる「ピンピンコロリ」にあこがれる人は多いですが、あんまり急だと周囲も大変だし、会いたい人にも会えない。せめて一週間ぐらいの余裕を持って亡くなるのが理想じゃないか。そんな話が普通にできるようになるといいですね。

 −十一歳でお父さんを亡くされたときは、ショックでしたか。

 それが、大変だったという記憶がないんです。母がエネルギッシュな人で、猛烈に働いて、僕と妹を育ててくれて、その姿を見ているだけでおもしろかった。保険の外交員をやればトップになるし、デパートの売り場担当になれば売り上げ一位。それなのに、すぐに新しいことに興味を持って、仕事を替えちゃう。

 ぼくは札幌の定時制高校に進んだのですが、高二の時に母が「東京へ行く」と言い出して、目黒区の社員寮の寮母さんになりました。

 ぼくは東京の定時制高校に編入し、やがて通学しながら漫画家のアシスタントになりました。その母もぼくが二十五歳のときにがんで他界しました。葬儀の後、母が東京行きを選んだ事情を伯母たちから知らされたんです。「おさむは、高校を出たら東京へ行って漫画家になるって言っているけど、あの性格じゃ一人でやっていくのはとても無理。私が漫画家にさせるために東京へ連れていきます」と啖呵(たんか)を切って、札幌を出ていったそうなんです。無口で人見知りが強い子でしたからね。母の思いを知って、アシスタントではなく本気で漫画家になろうとスイッチが入りました。

 −大きな愛を感じます。

 その意味では、師匠の村上もとか先生も大恩人です。アシスタントが定時制に通うと、その間、作業が止まってしまうわけですが、そんなわがままを認めてくれました。高校卒業後、もっと絵がうまくなりたいと思って、イラストの専門学校に通うために先生の元を離れたことがあったんです。でも、授業の中身が期待外れで、すぐに辞めてしまって、二年近くさまよった末に先生に電話したら「おー、心配してたんだよ」とやさしく受け入れてくれました。

 僕の作品は「家栽の人」でも「はっぴーえんど」でも、現実にはいないような理想的な職業人が主人公なのですが、理想の姿を描くことも現実を見つめるために大切だと思います。僕が、理想的な環境で漫画家として育ててもらったことも大いに関係している気がしますね。

 <うおと・おさむ> 1957年、北海道函館市生まれ。上京後、漫画家の星野之宣氏、村上もとか氏に師事し、85年、「忍者じゃじゃ丸くん」で商業誌デビュー。ビッグコミックオリジナル(小学館)で連載した代表作「家栽の人」(原作・毛利甚八氏)は、93年に片岡鶴太郎さん主演でテレビドラマにもなった。

 その後、「玄米せんせいの弁当箱」「ひよっこ料理人」、西日本新聞の連載をもとにした「食卓の向こう側 コミック編」などを通じ、日本の伝統的な食文化や農業の大切さを若い世代に伝えてきた。「はっぴーえんど」は数年の取材を経て2017年に連載開始。今年7月に、単行本の第7巻が発売された。函館市の観光大使も務める。

◆あなたに伝えたい

 これから、独りで亡くなる方がどんどん増えていく中で、在宅死が可能なのか、想像力が及ばなくて漫画にできないことも多いです。

◆インタビューを終えて

 魚戸さんは、自身の苦労をあまり語ろうとしない。札幌の定時制高校時代のことも「みんな昼間働いてるのに、一日も休まなくて、すごく向学心がありました」と、周囲を主役にして話す。頑張っている人たちに引かれるのは、お母さんの姿を重ねているのかも。穏やかで、自然体の強さを感じる人だ。

 「はっぴーえんど」は、みとりをテーマにしつつ、人々の暮らしへの共感と透明感のある明るさが魅力的な作品だ。単行本の表紙は自分で手掛ける。毎回、空の雲、海、木の葉など自然界のひとこまを切り取った図柄。「だれもが穏やかに最期を迎えられたら」と願う作品の主題と調和している。

 (編集委員・安藤明夫)

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山
地方選挙

Search | 検索